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コンピューターの話1 最初のコンピューターと女性

国民総背番号制・・・などというと、国家が国民を統制するのか!とのご批判が必ず出ましょうが、ことは健康保険証とマイナンバーカードの一体化だけではありません。

昨年来、ヨーロッパ、アジアのいくつかの国・地域に参りましたが、飛行機、ホテル、レストラン、移動手段の予約、お土産購入などなど、紙に書くことも現金を使うことも皆無になっています。会議や訪問先での説明もIT化されています。ある国では、路傍の屋台のようなお店でも現金ではなくカード払いでした。書類を書く、紙に記入する、現金を使うことは外国ではほぼなくなっています。

マイナンバーカードでできること(マイナンバーカード総合サイトより)
マイナンバーカードの健康保険証利用促進資料より

そして、数年以上前ですが、外国からの講演者を含むIT関連集会に参加した若いスタッフが、わが国のIT化は諸外国に比し一周遅れではなく百一周遅れている!と嘆いたことがありました。もちろん、どの国も国際的な発表の際にはうまく動いているところをとうとうと述べられるでしょうから、全部がそうではあるまい・・・とも思いますが、インターネット化は、徐々にというより、ゼロか百か的に一気にシステム化が進むのでしょう。残念ながら、諸外国に比し、わが国のIT化の遅れは否めないような気がします。

昨年来、日本財団在宅看護センターネットワークの仲間・・・北海道から沖縄に至る各地で活動している在宅・訪問看護師たち・・・と訪れている北欧フィンランドでは、個人の健康情報は生まれる前から近くのネウボラと呼ばれる保健所とプライマリケア診療所を兼ねたような施設であり制度でもある公的機関に一元保存されています。個人・・・ですが、一家の情報でもあります。そして、少なくとも、子どもが小学校に行くまでは、近隣のネウボラがすべての健康情報を保存し、また、相談に乗っています。ご一家が他の地方に移転する際には、その資料がそっくり新たな地域の同類の機関施設に送られます。無駄がなく、徹底しています。

そんな中で最近読んだコンピューター関連本の感想です。
そもそもcomputerコンピューターという言葉はいつ生まれたのでしょうか?数年前に『コンピューターを創った天才たち:そろばんから人工知能へ』を読みました。訳に「そろばん」が入っていますが、もともと、コンピューターは計算機の意味です。

私はアナログ人間ですが、面倒くさいことが嫌い・・・端的に申せば、怠けもの故、便利なコンピューターは大いに活用してまいりました。ありがたいことに、膨大な仕事ができるのに、使い方はどんどん簡単になって、日々、携帯電話でなく“iPhone(アイフォン)”なしの生活は想像もつきません。ですが、日々、多様な機能が追加されますが、だんだん、それらの機能を習熟するのは難しくなってきていることも事実です。アイフォンはスティーブ・ジョブズが作ったとして、そもそものコンピューターって、何時だれが作ったのか・・・などと思うこともありました。

草思社 1989.10.1

最近出た『コンピューター誕生の歴史に隠れた6人の女性プログラマー』は、最初のコンピューターが生まれる経過と、その際に貢献した6人の女性たちからのオーラルヒストリー(現存する人の経験談を直積聞き取り、記録として取りまとめる研究手段)です。この本は、世界最初のコンピューターが機能するまでの経過なのですが、機械、装置をつくることとそれが機能することは別であることが良く読み取れましたし、1940年前後のジェンダー的状況と、さらに当時は、第二次世界大戦の最中、戦争とも関連した技術発展の経過としても興味深く読めました。

著者のキャシー・クレイマンは、ワシントンDCにあるアメリカン大学で、法律の専門家である弁護士を対象にインターネット関連技術とそれに伴う「ガバナンス(統治・管理学)」を教えられているのですが、実践活動家でもある‐2019年から3年間はGlushko-Samuelson知的財産法事務所での実務講義‐とか。
で、コンピューター・サイエンスを研究しておられるキャシー先生が、ふと気づかれたのは、この分野にあまり女性の姿がないこと、さらに歴史的にも女性の名前がないということでした。そして、その間にお目に留まった一枚の古い白黒写真がありました。第二次世界大戦中に開発されたENIAC(エニアック Electronic Numerical Integrated and Computer)、これこそ世界で最初につくられたコンピューターなのですが、そのバカでかい機器ととものに写っている女性たちのお名前探しから、コンピューター誕生にかかわられた彼女たち6名の貢献を追跡、発表されたのがこの本です。

共立出版 2024.7.30
本の表紙の女性たちの外の写真。後にプログラマーとよばれるようになったBetty Jean Jennings(左) と Fran Bilas(右)が、ペンシルバニア大学ムーア電気工学院で、ENIACの主統御版を開こうとしている。 1945頃 米陸軍写真(Wikipediaより)
ENIACの本体、部屋いっぱいではなく、2部屋をしめる一台のコンピューター(Wikipedia)

私たちは、毎日毎時・・・毎分とは申しませんが、手のひらに乗せられる大きさの、いわば個人的コンピューターでもあるアイフォンを活用していますが、最初の、最初のコンピューターであったENIACは、17,468本の真空管、7,200個のダイオード、1,500個のリレー、70,000個の抵抗器、10,000個のコンデンサーからなり、高さ2.4m、奥行き約1m、幅30m、総重量27トンと記録されています。今では真空管などというものをみたこともない人々ばかりの世の中ですが、私世代ですと鉱石ラジオとか、真空管にはなじみがあります。

さて、この巨大装置は、ペンシルバニア大学電気工学科で秘密裏に開発されたそうです。
戦争中ですから、何でも秘密!!ですが、そもそもはアメリカ陸軍の弾道研究所が大砲をぶっ放した時、砲弾がどのように飛ぶかを研究するために始めたらしい・・・装置を創る!!ことが目的だった??

その巨大装置の本質は計算機、計算のためにはデータをインプットしなくてはなりませんし、計算させるための仕組み、プログラミングも必要でした。フフフと笑ってはいけませんが、装置は出来つつあったが・・・それを動かす機能を持たせなくてはならない・・・と気づかれます。そこでリクルートされたのが数学好き、物理学の素養もあるべき6人の女性でした。それがプログラマーという職を確立しながらも、長らく固有名詞・・・氏名での発表の場を与えられなかった、語らせてもらえなかった女性たちなのです。キャシー先生がもつれた糸をほぐすように、ひとりひとりとインタビューを続けられた、その成果が『コンピューター誕生の歴史に隠れた6人の女性プログラマー』です。

時は、1940年前後からの数年間。つまり第二次世界大戦中から終戦直後のアメリカ陸軍の秘密プロジェクトの一環に携わった若い女性のお話でもあります。6人の女性たちは、世界初の汎用全電子式コンピューターENIACを完璧にプログラムました。その間に、以前小欄で取り上げた『新古事記』(『新古事記』村田喜代子を読んで 2023年11月1日)にも書いたオッペンハイマー率いるマンハッタン計画・・・ロスアラモスでの原子爆弾開発・・・にかかわった人々が、史上初の原子爆弾の威力を計算するために計算をお願いに来たり・・・戦争が学問を促進したことは事実です。

戦争がある方が良いということは金輪際ないのですが、例えば戦傷外科や輸血学は第一次世界大戦で戦力が巨大化したことに伴って発展しましたし、気象観測や通信手段も戦争に伴って発展したとされます。女性の独り立ちが許されていなかった時代のアメリカでも、多くの男性が戦場に向かい、銃後の守りは女性という雰囲気の中で、軍事的機密的な銃弾の飛行や飛行機の翼にかかる空気圧などなど、数学や物理の知識を駆使した女性の活動があったことはとても興味深いことです。

キャシー先生は、インターネット関連のポリシー(政策)とガバナンス(統治管理学)のリーダー的な方だそうですが、“ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers,アイキャン)”というインターネットの名称に関して、いくつかのデータ群やその識別子(文章とか数字とか図をしめす)を維持管理する方法調整からネットワークが安定的で安全に運用できることを保障する、後に民営化されたNGOも設立されています。私などは、ぼんやりと云われた通りにやれば良いと思っていますが、どんな情報でも、瞬時に世界を駆け巡る時代の恐ろしさ・・・そのリスクを減らすために貢献される、このような方々の存在もこの本で理解できましたし、重要だと思いました。

私はITとかコンピューターそのものに興味があるわけでもなく、また、よく判ってもいませんが、それでもENIACというバカでかい装置が6人の女性によって生命を与えられる過程をとても興味深く読めました。それは6人の女性たちは、私の一世代上であり、戦争のこちら側で日本のちっちゃなオンナの子だった私が戦闘機B29の爆音に怯えていた頃、あちら側の20代、30代の女性たちは砲弾の飛び方を計算するという重要な任務にかかわりながら、発言の機会も与えられず、名前も残されていなかった・・・つまり、今風にいうジェンダー差別のただ中にいたのです。

今は、太平洋という物理的な距離を超えて、そして世代を超えて、国境を越えた交流があります。私も、毎日とは申しませんが、毎週、アメリカ大陸の誰かとはインターネットで交流しています。

そのことを想うと戦争を防ぐ、終わらせるのは決して武器ではない、人と人の交流が大事だと思います。そのために、もともとは計算機にすぎなかったコンピューターが、瞬時に世界をつなぐ手段になったことは何と素晴らしいことかと思います。次回、コンピューターの世界化を促進したジョブズについて書きたいと思います。