JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

社会貢献者表彰

過日、公益財団法人社会貢献支援財団の第62回社会貢献者表彰式典に参列させていただきました。この財団は、モーターボート競走法が制定されて20年目になる1971(昭46)年に、多様な分野で社会に貢献されている団体や個人を顕彰するために設立された民間公益財団で、私が属する笹川保健財団同様、日本財団傘下のお仲間です。会長は、10年来、故安部晋三首相令夫人がつとめておられます。

2013年に笹川保健財団に採用された後、国際保健活動でしかるべき組織があれば・・・とお声掛けいただき、これまでに国際活動に従事してきた団体のいくつかを推薦させていただきました。今回は、一転、国内で看護を中心に幅広く福祉的活動も行っておられる方をご紹介いただいたのです。そして、ほぼ推薦状をまとめた時点で、びっくりすることがありました。

その組織佐賀県小城市の一般社団法人あまねに、かつて勤務した看護大学の卒業生が属していたのです。推薦状を送るに際して、ひとまず、電話で話しはしましたが、そのKeikoちゃんが卒業したのは2008年、卒業後の就職先は病院・・・そのあたりの記憶はありましたが、その後の諸々、今回取り上げさせていただいた「あまね」に就職した経緯など存じませんでした。

あまねの紹介写真

そして12月2日の表彰式。
十数年ぶりのKeikoちゃんは、当たり前ですが、学生時代の若さではありません。しかし、若い日の彼女が持っていた、あのにじみでる優しさはそのまま、いえ、少し年季が入り、ギラギラはしていませんでしたが、底光りする何かを感じさせられました。

表彰されるあまね代表 大野様

私のいた看護大学は1学年に100名、全体でも400名ですから、割合、学生との距離が近いこともありますが、Keikoちゃんには特に鮮やかな記憶がいくつかあります。その一つを思い出しました。
当時、大学は3年次に国際看護IIとして夏季休暇中の外国訪問が中心の選択科目がありました。大学は2001年開学なので、一期生は本来なら2003年の夏休み実施されるはずだったのですが、確か鳥インフルエンザの流行のせいで実施できず・・・と、あいまいな言い方ですが、その時は担当でなく、細かい経緯は知らないまま、翌年春に例外的に一期生の春休みの実施から担当しました。で、2004年3月にベトナム、そして正規の夏期研修として同年8月にはミヤンマー、2005年ラオス・タイ、2006年フィリッピン、2007年インドネシア、2008年カンボジア、2009年インドと毎年、異なる主に東南アジアを訪問しました。2010年は開学10周年目だったので、特別研修としてナイチンゲールのイギリスなどヨーロッパ訪問としました。翌2011年は、3月11日に発生した東北大震災支援を希望する学生が多く、総勢80名が宮城県三陸町でボランティアをし、その代替として翌年春には再度カンボジアを訪問し、私の最後の勤務年2012年にはブータンに参りました。

四期生のKeikoちゃんとは、フィリッピンに参りました。
フィリッピン・・・マニラ都市部の医療看護の見学、セブの看護大学での学生交流もありましたが、私がKeikoちゃんを強く意識したのは、当時有名だったパヤタスの廃棄物処分場を訪問した時でした。
パヤタスが世界的に有名になったのは、かつてフィリッピンの首都メトロマニラ港湾部のトンドにあったスモーキー・マウンテン(煙の山・・・いつも何かがくすぶっていたから?)、ひらたく申せばごみの山が、当時の大統領フィデル・ラモスによって閉鎖され、代わりにこの地にゴミが捨てられるようになってからです。が、移動したのはごみだけでなく、その廃棄物を拾って生活していた人々もパヤタスに移住しました。説明で聞いたのは、政府は一応住宅を用意したが、家賃が払えない人々はゴミの山から見つけた諸々を組み立て、小屋ともいえないバラックに住んでいるとのこと。私たちは、そのような地域で支援活動をしているNGOを訪ねたのです。毎日、数千トンにも上る廃棄物、ごみが捨てられる・・・それらの中を歩いて、売れそうなものを拾い、使えそうなものを活用する・・・主に子どもたちの仕事、ゴミを資源とするスラムの生活、それを改善しようというNGO。

NGOの事務所は、それほど大きくもないがらんとした部屋に椅子が並んでいるだけでした。私たちが座ると、ばらばらと子どもたちが寄ってきます。一番後ろに座った斜め前にKeikoちゃんがいました。そしてそばに寄ってきた4、5歳の、顔にも手にも、汗まみれの垢でしょうか、縞模様があった女の子をさっと抱き上げて膝にのせました。その時の、その少女の嬉しそうな顔を私は写真にとりました。説明の途切れた時、「大丈夫?」と、私はKeikoちゃんに声を掛けました。「何がですかぁ?」と返事されて、確かに問いにはなっていないとは思いましたが、その時に身を寄せたその少女から発する何とも言えないにおい・・・決して心地良い香りではないその少女を、Keikoちゃんは講義の間中、しっかりと抱いていたのです。Keikoちゃんはにおいに鈍感なのか・・とも思いましたが、その天性の行動は18年経っても私の記憶からは消えません。
そしてその後、そのゴミの山を下って、その中腹辺りにあったタタミ3畳くらいの広さのバラックともいえないお宅を訪問しました。一見で結核だと判る痩せに痩せた父親が壁ともいえない壁もどきにもたれていました。一家6人、どうやって寝るの?です。両親と子ども4人とも病気なのだと、その男性は告げました。私たちにはなすすべもなかったのですが、ここでもKeikoちゃんは、部屋の外からのぞいている子どもに声をかけ、子どもが笑顔を見せる交流をやってのけてくれました。
このパヤタスのごみの山は2000年に崩壊していますので、2006年には相当改善し、だからこそ外部の私たちも訪問できたのでしょうが、それでも決して気持ち良いところではなく、率直に申して深呼吸したくない悪臭もありました。あれから18年、Keikoちゃんの筋金入りのやさしさがプロフェッショナルとしてお役になっているのですね。嬉しいこと限りありません。

Keikoちゃんが働く一般社団法人「あまね」は、重症児・医療的ケア児の支援事業所です。単に障害を持った子どもや大人をケアするだけでなく、その子どもたちが地域で暮らしていくこと支援する施設なのです。組織の概要はあまねのホームページをご覧いただくとして、私ども「日本財団在宅看護センター」ネットワークが目指すのと同じく、「あまね」は地域と共に、本人の「活動・参加」・家族を支援する多機能型事業を展開し、抱え込まない支援を目指されています。
「負うた子に教えられる」という言葉があります。(あまねHPより)
失礼ながら、学生時代もやや体格の良かったKeikoちゃんを私は負うことはできませんでしたが、現在は「あまね」の代表理事看護師でもあり宗教家でもあるONO SHINNYOさまのご指導下、Keikoちゃんがますます活躍することを確信し、その活動から学ぶこと大です。

Keikoちゃん、そして「あまね」さま おめでとうございました。

あまね大野代表、喜多、Keikoちゃん