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日本財団在宅看護センターネットワーク1期生の10年 その2 おんな城主たちの宴

前回は「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業の初年度の研修を終え、翌年3月に開業した仲間の、岡山城での10周年の集いについて書かせていただきました。その直後、今度はその初年度、つまり11年前の2014年6月に開始した8か月の研修を終えて翌年に開業したお仲間7名が、今回は日本財団ビルの会議室に集合し、「これまでの10年、これからの10年」を報告し論じる集まりを持ちました。

何年か前、NHK大河ドラマに『おんな城主 直虎』というのがありましたが、それになぞらえて申しますと、この研修はそもそも地域における看護師の「城」構築を目指して始めました。初年度研修の後開業し、現在まで引き続き事務所を運営されている14人中12人は女性です。各地の「看護師の城」のあるじです。

東から、福島市でカンタキ「看護小規模多機能型居宅介護 在宅看護センター結の学校」と「訪問看護ステーション結」他多様な事業を展開している沼崎 美津子氏。
東京都江東区で「アィルビー訪問看護ステーション」を運営する山田富恵氏、最近はACP(Advance Care Planning、人生会議)の地域展開に熱心です。
同じく東京都豊島区で「葵の空在宅看護センター」を運営する入澤亜希氏、在宅事業の初心者だったことなど微塵も感じさせない安定した管理者ぶりです。
同じく東京都目黒区で「街のイスキア訪問ナースステーション」を運営する石川麗子氏、麗子氏は初心者組を束ねてピヨピヨ組と名乗っていたのが夢のようです。

集まりの後の懇親会にて(男性2人の飛び入り参加も!)

神奈川県伊勢原市で六角形のカンタキ「看護小規模多機能型居宅介護 宝命の郷」を護り、「宝命訪問看護リハビリステーション」を運営する金谷益子氏。膨大なご経験とお人柄から、押しも押されもしない守り神的お仲間です。
大阪市生野区で「医療看護110番リハビリ訪問看護ステーション」を運営する高岸博子氏、ケアマネージャーの資格を駆使して、ユニークな在宅看護を展開されています。そして、
岡山市で、数日前に10周年を開いた赤瀬佳代氏

昼食をはさんで6時間、来し方を論じ、先を展望する密度の高い意見交換でした。

「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業は、『看護師が社会を変える!』と銘打っていますが、皆さま、看護だけでなく、社会のあちこちに見えている、あるいは見えてない問題に手を付け、口をはさみ、少しずつ波風も立てながら!!看護力を行使してくださっています。

11年前を思い出すと私は胸がいっぱいになります。単に事業が開始できたとか、うまくいったとかということではありません。皆が皆とは申しませんが、それぞれが、それぞれの地で、それぞれ思うことを着実に実践されていること、その姿が想像もできなかった時代を共に歩み始めた、そして曰く言い難い同志的連帯によって日々を支えて下さったことです。

日野原重明名誉会長と1期生17名

年寄りの繰り言的感想を申します。
国際協力分野で働いた間、病院がないとか医師がいないとかは当たり前のような地域、電気がないガスがない・・・安全な水がないというだけでなく、安全でなくとも水そのものを得るために何時間も歩くような地域、そんなところでも人々は暮らしていました。子どもが生まれ、お年寄りが亡くなる。そんな日々の人々を護っていたのは、わずかな保健知識をもった主に女性たちでした。そのような知識はかつて欧米NGOらから伝授されたもののようでしたが、機械などというものは皆無、道具らしきものもない場所で、それら女性の頭の中の知識と経験が人々を護っているように思いました。

時に、先天異常の子どもを診ることもありました。そして「日本だったら、この子は助かるか?」と尋ねられたこともありました。

その後、縁あって日本赤十字九州国際看護大学で国際保健を担当しました。国際保健とは、優て地域活動、公衆衛生的そしてプライマリー・ヘルスケアの考え(予防的、人々が自分の健康を自ら考える方向に向けること)が中心でした。適当な研修の場を求め、高名な佐久総合病院の付近を始め、大学近隣の九州各地も転々しました。

2000年初頭当時、地域によってはいくつかの小学校が廃校となり、地域の診療所が閉鎖されていました。地域の方と対話すると、健康維持には気を付けているが、万一の場合・・・どうすればねぇ・・とも耳にしました。国民全体をカバーする医療保険が確実に実践され、世界最長の平均寿命を誇る日本の中で・・・愕然としました。私の意識は国際から国内に転換し始めました。

健康であること、健康を得るための手段や方策を等しく活用できることは万人に認められた基本的人権です。国際保健分野では、その考えが活動の基本でした。一方、祖国日本のそれほど遠くない地域で将来の健康に不安を持っておられる高齢者がおられる・・・

徐々に、かつていくつかの外国、そうです、途上国と呼ばれていた国の、かなり辺鄙な地域で活動していた女性たち、lady health worker(女性保健作業員)とかhealth volunteer(保健ボランティア)と呼ばれていた彼女たちの顔が思い出されました。そうして、日本の地方の人々の健康をまもるにふさわしいのは看護師・・・途上国の辺境の地でわずかの知識をもとに活動している彼女たちに比すれば、その百倍も千倍もの知識を持っているはずの日本の看護師たち。そして数十万を数える潜在看護師とよばれる方々の活用・・・そんな想いが芽生えました。しかし、それははからずも学長職を命じられたことで封印。大学教育、それはまた命がけで取り組むべき価値ある仕事でした。

思いがけないことに、2013年、笹川保健財団に職をいただき、その夢が一歩近づきました。翌年、ドナー名を冠した「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業を始めることができました。前途不明の事業に飛び込んでくださった一期生、看護師でもないold小児科医、国際保健の果てに紛れ込んだ看護教育をかすめた私が企画した8か月の長期間に及ぶ研修のために職を辞めて飛び込んでくださった17人でした。

モラルサポートとしての日本財団 笹川陽平会長のお励ましはありましたが、毎日、薄氷を踏む思いでした。その事業の成果としてのネットワーク、カンタキ8を含む120余の事業所、180に至る事業、1,500人のスタッフに至るまで継続し発展してきたことに関して、私は、日々、切磋琢磨した1期生の意見、文句、苦情、激励があったからだと断言できます。

2025年3月21日、自発的に集まられた1期生には経営者としての逞しさを感じさせるものがありましたが、人を想う優しさと篤い気持ちは10年前より大きくなっていました。

夜の宴。激情の「おんな城主」たちのプレッシャーにも負けずに男性看護師の力を発揮されている愛知県小牧市で「看護小規模多機能型居宅介護 黒衣のかんたき」と「訪問看護ステーション黒衣」を運営する岡良伸氏と、沖縄県那覇市で「在宅看護センター ほっとやすらぎ高蔵」を運営する川畑武敏氏も駆けつけてくれました。

「日本財団在宅看護センター起業家育成事業10周年成果報告会」(2024年6月11日)

10年後、シンギュラリティは起こっているでしょうか?
少子高齢化、多死社会、地方の過疎化・・・そして新たなパンデミックの危険性。色々な自然災害そして人為災害でもある各地のインフラの老朽化・・・
世界各地のキナ臭い事態と日本はいつまでも無縁でおられるのでしょうか?

ワクワクしながら各おんな城主の発表とお考えをうかがいました。そしてご持参くださった事業誕生から10年を祝うケーキ、夜の部のケーキも堪能させていただきました。

皆さまの後に続く、オンナそしてオトコの城主たちのご発展と一緒に活動してくださっている約1,500名のお仲間のご活躍ご健勝を切に祈ります。