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「看護」の話題 その1

少し古いのですが、厚生労働省の統計(「看護師等(看護職員)の確保を巡る状況」厚生労働省 資料より)によりますと2020年の看護師総数は173.4万人です。総数・・・とは、私たちが看護師サンとみている方々以外に、保健師、助産師そして准看護師を含みます。保健師と助産師は、看護師資格を持つことが必須です。准看護師は、看護師ですが前3者が国家試験資格であるのに対して都道府県知事が任命します。これらの職種をあわせて「看護職」と総称することもありますが、「看護師」はいわゆる「看護」を、「保健師」は地域住民の健康増進や疾病予防のための健康相談、保健指導、健康教育など、いわゆる公衆衛生面の役割を、「助産師」は出産介助(助産)だけでなく、妊産婦と新生児のケアを行いますが、助産師は「正常分娩なら医師の指示なく分娩介助を行える」、妊娠・出産・育児といういわゆる母子保健をカバーする専門職です、とアチコチで説明されています。

これらの職種の責任を規定しているのが保健師助産師看護師法、通称「保助看法」という法律です。法治国家として、私たちの存在、行為は必ずどれか法律で規定され、護られているのですが、この保助看法は昭和28(1953)年の制定、御年〈オントシ〉72歳です。

看護職員就業者数の推移(「看護師等(看護職員)の確保を巡る状況」厚生労働省 資料より)

その第37条には、「保健師、助産師、看護師又は准看護師は主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし、臨時応急の手当をし、又は助産師がへその緒を切り、浣かん腸を施しその他助産師の業務に当然に付随する行為をする場合は、この限りでない。」とあります。

保健師助産師看護師法 第一章第一条と第四章第三十七条 

もちろん時代の変遷に伴い、何度も改正されてきていますが、実際の場では、この条項が、敢えて申せば、手かせ足かせになっている様子は否めません。

わが国は人類初の経験である超高齢社会にあります。
はっきり病気ではなくとも健康水準は低下し、あちこち具合が悪い、昨日までできていたことが今日はできない・・が日常的にあるのが高齢者です。高価な薬剤や医療機器を用いなくとも、低下しつつある健康を何とか維持し上手に加齢の坂を下るには、病気を治す治療cureキュアでなく、上手なみまもりと介助、世話ケアcareが大事です。

今まで健康保険によって比較的安い支払いで良い医療を受けてきた経験から、私たちはやや医療を濫用しすぎてきたようです。ほんの少し具合が悪いだけでも、あるいは念のために「病気を治すcure」が主務の病院、医療施設に駆け込む癖がついています。一方、そのどこでも恵まれた受診環境は医療施設の80%が民間であること・・つまり組織維持には自ら稼がねばならない病院、診療所、医院が身近にたくさんあることで成り立っていました。「診て欲しい人」と「受診者が多い方が良い」医療施設がwin-winでした。

しかし高齢者が増えたことだけが原因ではありませんが、令和7(2025)年度の国の歳出(支出)をみますと33%が「社会保障費」です。繰り返しますが、そのすべてを高齢者が使うのではありませんが、一方で「文教および科学振興費」つまり教育関係はわずか4.8%、ため息ですね。少子化は由々しき問題ですが、社会保障費-福祉・介護・医療費にあてられる予算に比し若者への未来投資でもある教育への配分が少なすぎると云わざるを得ません。
医療・介護・福祉の需要はさらに急増する中、国の財政には限界もあります。国民が望むすべての福祉のためには収入である税金を増やすか国が借金をする・・・現在、進行中の参議院議員選挙では消費税も話題ですが、それを下げるならば何を削るのか、無駄のない財政への目配りも必須です。

令和7年度一般会計予算 歳出・歳入の構成(政策ニュース.jpより)

私ども笹川保健財団では、高齢化とともに衰えゆく健康をどう維持し、健康不安にどう対処するかを地域に足場を置く看護師、在宅でのケア(治療cureより生活支援を含めた健康維持を目指す看護)で可能であろうと考えています。

在宅、個々人の住み慣れた家でゆるゆると健康低下する健康に向き合い、それに上手に対処するのは、病気を相手に重厚な医療を担う施設や医師よりも暮らしを丸ごと世話できる看護師です。社会の大多数となった高齢者が我も我もと医療施設に向かうことが可能だとしても、それよりはるかに医療経費は削減できるでしょう。なぜなら、看護師は大規模な医療機器を用いたcureは行いませんし、通院では医療施設に払う費用以外に交通費や少しはおめかしして出かけるための費用、時には道中で飲んだり食べたりする経費もあるに対し、在宅では、訪問する看護師を普段着、時には寝巻パジャマで待っておればいいのです。そのような自然体でこそ本当の健康状態も見えますし、看護師の行う科学的状況評価で隠れている不具合もわかることもありましょう。

しかし、先に述べた「保助看法」が、何と申しましょうか、ちょっと重いのです!!
「保助看法」は看護師の業務範囲を法的に規定しています。それは一定の制限によって看護師の行う業務に安全性や専門性を担保していることでもあり、また、看護師を護ることでもあるのですが、この法律の第5条にある『看護師の業務は「療養上の世話」および「診療の補助」』の「診療の補助」とは医師の指示が必須である、厳密には、看護師が独自の判断で「医療行為」を行うことには限界があるということでもあります。あくまで看護師を助手的立場にみていた時代の法律です。

元々小児科医だった私は、開発途上国のいわゆるプライマリ・ヘルスケアの実態を経験し、また日本の看護教育に従事する中で、医師の行う「医療」行為と看護師が行う「医療」行為は重なることも多いものの、まったく異なる職種であると理解するようになっています。

実は、世界的には、高度な専門知識を持つ診療看護師(ナース・プラクティショナー Nurse Practitioner, NP)と呼ばれる人々も増えており、既にわが国でも20近い大学にNP課程が開設されています。医療すなわち人間(動物もいますが、ここでは人間のみ!)の生命・健康を扱うことは優れて深淵な専門性であり、また科学的思考と知識を要することは申すまでもありません。

しかし、現在の日本では、例えどれほど知識や経験があっても、看護師は医師の指示なしには注射や投薬は行えませんし、実際、それがなされているのは医師の指示があるからです。一方、海外のNPの多くは一定規定の下、ある程度の診断や処方が許されています。

在宅でのケアの主体は看護師にあります。明らかな病気の在宅療養では、もちろん、医師と二人三脚が必要でしょうが、慢性的な病気で状態が安定している時期や、はっきりとした病気ではなく徐々に加齢が進行しているような場合、昨日まで出来ていたことが今日はできない、そんな高齢者対応は在宅看護に習熟したベテランが自主的自律的に判断し、必要な場合は医師の対応を求める、それが可能なら、忙しい医師が地方の隅々まで駆け巡らなくともペアを組む、連携する在宅看護師の求めに応じて往診したり、住民が遠方の病院や診療所を一度受診する・・・そんなことが可能ではないかと思うのです。

実際、日本財団在宅看護センターの全国各地の仲間たちの話を聞きますと、既に無医地区的な地域では、はるかかなたの医師からどう指示を得るか、はたまた、お年を召した地域開業医ドノといつまで連携できるか、遠方の高度医療施設しかない場合の連携にやきもきしているようです。

地域をまもる看護師・・・看護師を護る保助看法、何とかならないかなぁ・・・と思っています。

続けて、在宅看護の話題を次回に・・