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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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戦後80年のナガサキ

8月6日の広島に続いて、先週末の9日には長崎平和祈念式典が行われました。こちらもTVで拝見しました。正式には「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」、英語はNagasaki Peace Ceremonyとあります。(長崎市の行事案内では、7月22日付で「被爆80周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典について(長崎市HP)」が掲載されています。)

なお、広島の式典は2025年広島平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)で、英語は広島市のウェブサイトには“Hiroshima City Atomic Bomb Victims Memorial Ceremony and Peace Memorial Ceremony”とあります。(広島市HP参照

長崎平和祈念式典の様子(NHKの中継より)

長崎の式典は雨模様の中でした。「天を指す右手人差し指は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を、そして目をつむり一文字に閉じた口唇のお顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と、台座の裏には作者 長崎出身の彫刻家・北村西望の言葉が刻まれています。1955(昭30)年、戦争が終わった10年目に完成したそうです。ここには、かつて夜に撮った像を示します。

式の初めの方に、原爆さく裂後の熱線を浴び、水を求めながら亡くなった犠牲者を悼むための献水の儀式がありました。どのような災害でも水の供給は食糧以上に必須でありながら、とても難しいことです。食糧は何とか配布できても、水は適切な容器がなければ保存することも配布することもできません。が、ここ長崎の水には、また、別の意味があると思いました。

被爆地長崎市の鈴木史朗市長は、1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故山口仙二氏のスピーチを引用されました。「『私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん 右にも 左にも 石ころのように死体がころがっていました。』 そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。 『私の顔や手をよく見てください。世界の人々 そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような 核兵器による死と苦しみを例え一人たりとも許してはならないのであります。』 『ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ  ノー・モア・ウォー  ノー・モア・ヒバクシャ』  この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。」(「令和7年 長崎平和宣言」長崎市HPより

以前撮った夜の平和祈念像
献水の儀式の様子(NHKの中継より)
鈴木史朗長崎市長のスピーチの様子(NHKの中継より)

広島では「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」にある歌人正田篠枝の歌を引用された石破首相は、長崎では、「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ。」と述べられた永井隆博士の言葉を引用されました。(「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典挨拶」首相官邸HPより

永井隆博士は、長崎医科大学の医師、後に教授ですが、爆心地から700メートルの地で被爆し、自らも重篤な傷を受けながら救援にあたられました。後には慢性白血病を発病して度々重篤な状態に陥りながらも被爆者診療に没頭されました。その間にかかれた『ロザリオの鎖』、『この子を残して』、『長崎の鐘』などを拝読して涙を流したものでした。

式典当日のNBC放送より

毎年の8月、暑い夏・・・ヒロシマとナガサキを経験した私たち日本人ですが、今年は80年、長きにわたって戦争を経験していないからこそ「平和」というつかまえどころはないけれど、人類が生存しつつづけるに最重要な状態、モノの意義をより声高に叫ぶべきかと思いました。