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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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日本の秋

猛暑のまま冬の気候に突入したような今年でしたが、久しぶりに美しい日本の秋の風景を堪能しましたので、ご披露を。

6月から始まった「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業は最終課程に入っています。今年は、どちらかと申せばベテラン組8人の受講者が切磋琢磨というよりは、各自の将来を練っておられるように思います。その受講者方と後期の地方研修にでました。

名古屋にて「日本財団在宅看護センターネットワーク」の仲間が発表する日本在宅看護学会第15回学術集会に参加したあと、本年から加えた「内藤記念くすり博物館」見学は、岐阜県各務原市の製薬企業エーザイの川島工園内にある総合的な薬に関する博物館です。古来の薬に関する知見、薬に使われた動物や植物の解説、そして日本の薬剤のみならず医学の古典が展示されています。今回は図書館にはまいりませんでしたが、構内の薬草園もゆっくり見学したところです。その構内の見事な紅葉を一枚。

次いで奈良。元明天皇(女性 在位707‐715)は710年、藤原京(現橿原市)から都を平城京(奈良市)に遷都なさいました。その後を継がれた元正天皇(715‐724)も女性、その後を継がれた聖武天皇(724‐749)は元正天皇の甥です。聖武天皇は、天平文化の産みの親のような方と、私は思っていますが、その御代は安定ではなく、感染症・・・主に天然痘に蹂躙されました。735~37年の大流行では、日本の人口の1/3が亡くなったとも。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の紫式部の頃、権勢を誇った藤原一族の4兄弟が命を落としたのも天然痘、天皇は深く深く悩まれ、それがために短期間恭仁京(くにきょう 木津川市)や難波宮(なにわのみや 大阪市)、紫香楽宮(しがらきのみや 滋賀県甲賀市) などへ一時的に遷都なさいましたが、結局、平城京に東大寺を建立(こんりゅう)され、仏教に帰依することで疫病対策とし国を治めようとされました。当時として最新の学問でもあった仏教に篤く、とてもとてもお優しい方であったようで、度重なる感染症のアウトブレークに悩みに悩まれたのでしょう。

エーザイ㈱川島工園の紅葉

大仏様を拝観するのは、かつてこの地に勤務した頃、毎年、訪日される外国の学者ご夫妻の案内係?を仰せつかったこともあって、数え切れませんが、何度仰ぎ見ても、その都度、異なる想いがございます。今回は、研修生が、お堂内の柱の一本の根っ子にある穴くぐりに挑戦したり、御朱印、お守り、はてはガチャガチャまでお土産三昧も含め、堪能しました。
奈良入りの日は、夕方でしたが、聖武天皇の皇后である光明皇后のお寺 法華寺に駆け付けました。天皇にもまして信仰篤く、いくつもの寺を建立されていますが、皇后の面影を宿すといわれる国宝十一面観音像(御開帳ではありませんでした・・・)があること、そしてハンセン病と因縁のある御寺です。ちょっとだけ深入りしますと、法華寺に「唐風呂(からぶろ)」と呼ばれる建物が残っています。

奈良公園にて

御仏の啓示で光明皇后が浴室を建てて、千人の垢を摺ると請願されました。千人目にきたのは全身が膿だらけのハンセン病患者だとされます。その患者は、皇后に膿を吸い出して欲しいと願います。皇后は臆することなく膿を吸い取ろうとされますと、患者は「我は阿閦仏(あしゅくぶつ)」と云い、黄金色に化身して飛び立った・・・という伝承があります。そして、皇后はその地に寺を建立されたというものです。
奈良・・・最近の国際情勢で、いわゆるインバウンドの一角は減った感がありますが、それでも世界中からの訪問者という感じでした。美しい日本・・・平和な民族です。

最後は、ネットワークの先輩が開業している和歌山です。かつての徳川御三家のお城がある・・・ちょっと鄙びてはいますが、日本の古き良き伝統が残る街です。それぞれの地の秋をご覧ください。

法華寺唐風呂裏の黄葉
奈良公園の紅葉
奈良公園の鹿
和歌山城