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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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国のあり方② ベネズエラで起こったことは・・・

前回の続きです。
ベネズエラで起こったことは、現職大統領が、米軍事作戦で拘束され、その国に連行され、裁判にかけられたことです。その大統領は、米国裁判所で、「私はいまもベネズエラの大統領だ。無罪だ」と主張しましたが、一方、ベネズエラは憲法上手続で、副大統領を暫定大統領と任命しました。国際的には大きな議論が生じ、一部の国や専門家は「国際法違反の拉致行為」と非難するに対し、アメリカ側は「法的根拠に基づく対麻薬・安全保障措置」と説明しています。

独立国の「大統領が他国に拘束される」ことが起こったものの、ベネズエラでは、「まだ!」マドゥロ政権が継続しています。そして、多くの国民の生活は改善したとは云えない状況です。

その後の動きです。強力な反政府野党指導者で、2024年大統領選挙を目指したものの政府の公職追放処分で、事実上、立候補を阻止されたマリア・コリーナ・マチャド氏、2025年ノーベル平和賞受賞者の動きがあります。マチャド氏は1月16日、アメリカのトランプ大統領と会談し、ノーベル平和賞メダルを贈呈したと語っています。そしてそのマチャド氏は、自分ではなく、もう一人の野党指導者でスペインに亡命しているエドムンド・ゴンザレス氏を大統領にと語っているそうです。

さて「自称普通の日本人」である私は、戦後の80年間、戦争に巻き込まれなかった日本で暮らしてきました。その間、数度、数年間ですが、人道の危機と総称される国々というよりある国の地域での保健医療に従事しました。その時々、人々の生活の場である地域での保健医療の実践、それを何とか保持するための行政的政策的活動に、断片的な関与を致しました。断片的・・・紛争があれば、長期的な関与ができないことも多かったのです。そして実感したのは、「地域紛争をめぐる国際的な政治介入」という、何と表現して良いのか判らない、ちぐはぐさと成果のないまま、うやむやになりがちな事々を胸の痛みとともに思い出します。

しかし、私、普通の日本人として感じる違和感は、後期高齢者にして人生の40年間を国際保健に関わらせていただいてきた私なので、世間知らずで幼稚な思い込み・・・ではないと思います。

まず、「力によらず秩序を保つこと、対外的武力行使はしない!」という、戦後日本が選んできた国のあり方、価値観とでもいうものが、日本人の中、少なくとも私の中にはあるのだと思います。

が、国際政治の世界では、残念ながら、「おかしなこと」が繰り返されています。だからといって、それを「仕方がない」と受け入れ何も感じなくなった時こそが、私は人間として何か大切な感覚を失うのではないか、とちょっと青臭く感じています。

80有余年とは、第二次世界大戦敗戦後の日本の経過です。幼心に、「戦時中」の空襲警報、防空壕、焼夷弾、防火水槽、B29・・・疎開、非国民、「お国のため」、国防婦人会といった言葉、「敗戦後」の駐留軍、マッカーサー、復員、引き揚げ、浮浪児、戦災孤児、傷痍軍人、ピカドンといった言葉や、祖父や近隣のお爺たちが、「民主主義なぞというものは・・・」と、ちょっといきり立っていたこともかすかに覚えています。

戦時も最終の頃、昭和20(1945)年春頃には、幼いながら異様な雰囲気や、田舎生活だったことでそれまでなかった空腹感も経験しました。

医師となった後、国際保健に転じ、紛争地に勤務し、取り分け、紛争地近傍でみる痩せた子どもたち、長く耐えている飢え、裸足の垢まみれの少年のうつろなまなこは数十年前の私たちのそれでもありました。戦争は嫌だ!ではなく、戦争はダメ!なのです。

私の周囲の常識的な、そして知的レベルの高いどなたも、南米で起こったことについて物申すことをなさいません。私も声が出ません。

でも、戦後の日本社会、日本人が培(つちか)ってきた戦争への感性、もう少し強く云えば「戦後的嫌戦争感性」みたいなもの、多くの日本人が抱かれていると私が思っている紛争への違和感でしょうか否定感的な感性はキーキーワーワーさけぶ感情論ではなく、この80年間という2世代以上の日本(人)が身に付けてきた、内面化してきた重要な日本の核、コアとでも云いたい気がします。

正確に何と云えば良いのか判りませんが、戦争に敗れた、西欧民主主義を取り入れ(押し付けられたにせよ、受け入れたのは私たち日本人)、短期間に先進工業化国化した稀有な経過をたどったこの国の人間が身に付けてきた、多分、日本にとって一番重要な規範のような気がします。

ウ~ム、難しい・・・と思い返します。
一方である国の主権を侵害することは悪であり、まして一方的に武力を行使するなんて・・・最悪!との気もします。強力な(武)力をもつ大国が小さな国が気に入らないことしているからといって攻撃するのは不正義ともいえましょう。世界で一番重要なのは武力であるはずはない・・・国際秩序はどうなっているの、国連は何をしている・・・ブツクサ云いたい私の中の正義論派。

国際社会には、日本の警察のような絶対に秩序をまもるための権力はない・・・ことは、紛争地の数々で経験しましたが、今、起こっていることは、国と国の戦争ではなく、国内の勢力対立でもない・・・国際的な一時的侵略・・・拉致「事件」とでも呼ぶのでしょうか?でも国際的な暴力行為です。

白と黒が明確なら、判り易いのですが、ややこしいのは、絶対権力的大統領でありながら、政権に対立する人々が大勢いて、さらに国内に留まれず外国に流出している。そして大統領に対立する政治家がノーベル平和賞を受ける。が、普通のように渡航できない・・・って、これもベネズエラという国の現実です。

何かおかしい。でもこんなこと、そんなことが、常々といってもよいほど、普通のように起こっている国も少なからずある。それは国内紛争地に関与した間に経験した厳しい現実でした。だから大統領が寝室から拉致されたことを喜ぶ民衆がいて・・・拉致したアメリカに感謝するという人々もいるのです。

ウ~ム。国連と国際法・・・そんなものを常時必要としている状態、国々こそが問題なのです。
私は国際法をきちんと学んだことはありません。前職、赤十字の看護大学の教職時代を含め、国際人道法に関して少しは学習しましたが、国際法が都合よく守られたり、都合よく無視されたり、踏み越えられるものだと思うことは多々ありました。

1990年頃、それまでの東西対立構造が崩壊し、一方の雄であったソビエト連邦が消滅しました。「民主主義」や「人道」は、しばしば大義名分になりますが、現実にそれが実践されているかは、大いに・・・です。
今、ベネズエラで起こったことは、大国がこの国の為政者のやり方を非として武力行使して拉致した。その前段階として、長年のベネズエラでの為政者の横暴があり、近年は中国との連携が密であり、それが大国アメリカの為政者の怒りをかっていた・・・一国の大統領を拉致する理由が、民主主義の回復であり、人権侵害への対応であり、放置して起こるかもしれない人道危機への予防的介入・・・ウ~ム。流行りの地政学的解釈は、大国アメリカの「裏庭」とされる南米でのエネルギー資源が対立国に流れることを阻止したい、そして国内向けの強い大統領姿勢のアピールとも云われます。

起こったことは暴力的な拉致、でも説明には正義を示したい意向がある・・・という異質感と云いましょうか、多くの方が感じられるのは、何だか納得できない違和感でしょうか。でも、遠~い南米の国の話・・・で良いのでしょうか?