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スイス料理 マラコフ・・・クリミア戦争由来のチーズ料理

毎年のことですが、1月末頃にジュネーブに参ります。5月に開催される、世界各国の保健医療の責任者が集い、1年間の保健政策を審議し合意する、通称WHO総会で表彰される笹川健康賞受賞者選定委員会に参加するためです。この賞のことは次回に回して、今回は、図らずもめぐり会った近代看護の祖ナイチンゲールを思い出させるお料理についてです。

ヨーロッパも暖冬らしく、かつて勤務した頃には真っ白だった周囲の山に雪はほとんどなく、一昨日2月2日は防寒具が重く感じられる穏やかな天気でした。でも、せっかくのジュネーブなので・・と同行の財団理事とスイス料理店に参りました。スイスの料理と云えば溶かしたチーズに具を浸して頂くチーズフォンデュです。ホテルにも近く、小さいですが旅行案内にも乗っているというお店のメニューを読んでゆくと、気になる地名がありました。クリミアです。目下、続いているウクライナ戦争にも関係しますが、看護の世界では、何といっても、かのナイチンゲールが赴いたクリミア戦争の地です。

メニューには、スイスのボー州(Vaud canton)の兵士がクリミア戦争時に、11か月間もマラコフ砦(Fort Malakoff)に立てこもったときに、チーズ片をフライパンで揚げて作ったものが原型だとあります。何はおいても、それは挑戦しなくては!と注文しました。写真にありますが、大ぶりのサラダにコロッケのような固まり・・・それがマラコフでした。割ってみると、とろりとしたチーズ・・・う~む、チーズのフライかな?ま、アツアツでおいしい料理でした。

で、ホテルに帰って、ボー州の兵士のクリミア派兵を調べてみました。
スイスにはカントン=州と呼ばれる26の行政区があります。それぞれの州には、時代がかった旗や記章があり、各地折々の催しの際には、大きな旗がひらめきます。各カントンは19世紀半ばまでは独立した主権国家として存在していました。すなわち、それぞれ独自の通貨や軍隊があり、いわゆる直接民主制で青空会議とも呼ばれる住民の直接関与、つまり住民の選挙で事が決まりました。現在もゆるやかな連帯をもつ連邦国家ですが、それは1848年、日本の幕末に近い頃に成立しています。蛇足ですが、各州女性参政権が1971年と遅かったのも、選挙権が兵役をもつ男性だけが諸事決定すべきとの考えがあり、女性の選挙権の是非を男性が決めたので遅れたと聞きました。

チーズのフライ?

さて、クリミア戦争は、ロシア帝国の南下に対し、当時のオスマントルコ帝国にナポレオンⅢ世のフランスとビクトリア女王の大英帝国、それに統一前のイタリア北部の小国サルジニアが関与し1853~56年にわたる現在のクリミア半島あたりで繰り広げられた、当時として大戦争でした。が、この戦争は明確に誰が勝者とはいえない終わり方でしたが、ロシアは南下を挫折、オスマントルコは消滅し英仏は消耗したのに対して、サルジニアの王様エマニュエルⅡ世は、負けはしなった大国英仏に連なったことで国際的認知を高め、その勢力余力でイタリアを統一された、と歴史はそう教えています。

ナイチンゲールは、世界初の戦場実態が報道されたクリミアの状態を知って、自ら志願しますが、同時に友人シドニー・ハーバード戦争大臣からの要請もあって遠路はるばる現地に向かいます。が、現地では伝統的で石頭(失礼!)の軍隊長に、今風に申せば、強烈なパワーハラスメントをうけ、実際の活動までには時間がかかりました。しかし、万端準備していたナイチンゲールの加勢を要する事態が発生し、その後は「ランプの貴婦人」の活躍となり、私たちが今も繰り返し読む、近代看護の祖の功績につながります。

この戦争にスイス兵士が関与していた・・・へぇぇでした。マラコフ砦は、激戦セバストポリの戦に出てくる砦ですが、そこにスイス人兵士がいた!のです。情報によりますと、公式にはスイスという国はクリミア戦争にかかわっていないとあります。上記のようにスイス連邦は1848年に成立していますが、フランス語圏ボー州の兵士は外人部隊としてフランス軍に関与したとありました。

スイスの外人部隊の最たるものはバチカン市国の衛兵でしょうか。16世紀以来、世界最小の国家であるバチカンの衛兵はスイス人、若い独身のカトリック教徒と決まっています。

現在のスイスは近代的工業と高い知的産業や世界経済にも関知する一方、豊な牧畜農業もありますが、19世紀中頃は貧しい小国でクリミア戦争時のボー州の若者の外人部隊参加は出稼ぎだったのでしょう。が、クリミア戦争の悲惨さ、重傷化する戦傷や戦場にまん延する感染症などの状況もあって、1859年には外国軍隊への参入が禁止されたそうです。

何はともあれ、クリミア戦争最大の激戦セバストポリの戦いは、フランス軍が要衝マラコフの砦を制圧したことでロシア軍がセバストポリを撤退し、このことがクリミア戦争の決着に関係したのですが、その後の11か月をここに立てこもったフランス軍の中の若きスイス人兵士たちの食を賄ったのがこのマラコフというチーズのフライでした。

アツアツをたっぷりしたサラダと一緒に、とても美味しくいただきました。

メニューの“Malakoffs”