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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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春爛漫の中で戦争を考える

春。日本列島は一斉に浮き立ちます。桜の開花とともにうずうずするDNAがあるのでしょうか、人々は公園あるいは見事な桜並木のある川の堤に向かいます。そして豪華絢爛、満開に近い桜の下に集い、カシャカシャと携帯で写真を撮ります。その昔は、昼間から職場の新人が陣取りに動員され、夕方にはにぎやかに杯を交わすのが当たり前のようでしたが、昨今はもっとスマートになりました。が、お花見はわが国では古来の優雅な季節の行事であり、何よりも平和を実感させる春恒例の自発的国民行事です。

そのお花見にちなむ静かな「戦い」がありました。
まず、場所取り・・・満開の桜の下、日当たりがよく、景色がよい場所は限られます。誰が日中に、時には午前中から最適空間を確保するか、陣取り合戦もありました。地球上の国家間「領土」問題としての陣取りは、遺憾ながら、もはやどの国にも属さない土地はありません。ですから、どこかの国が他の国の領地を侵したら戦争になります。

次に情報戦・・・インテリジェンス闘争とでもいうような事態もあります。開花予測、満開のタイミング、その日の天候、そして曜日にもよりますが、午後の交通事情も正確に把握できる態勢があるならば、その一味は、最も美しい桜を愛でる最適の場所を占めることが可能です。どの桜も同じように美しくとも、我らが陣地の花見こそ今年一番の地なのです。かつても今も実際の戦争では諜報活動の成果が勝敗を分けますが、お花見の情報戦は優雅なものです。

次に食の競争もあるかと思います。その昔は手作りお料理を重箱につめて、緋毛氈とは云わないまでもお座敷風に広げたゴザの上で、高級でなくとも、お料理自慢?の美味しそうなお料理が並べられたこともあります。時には、地方の名産品など、参加者が持ち寄る地方色豊かな食材やお料理が、それとなく比較され工夫や美意識が競われたこともありました。優雅な戦いでもありました。が、日本のお花見は、何を競っても一定の秩序がありました。場所争いも、お祭り騒ぎも節度を保つことが基本でした。和も持って貴しとなす・・・我らが古来の美徳でしょうか。

わが国のお花見とは異なり、南米アステカには「花戦争」と呼ばれるものがあったそうです。

脱線しますが、アステカ文明とは、チチメカ人の一族メシカ族が、1325年頃、メキシコ中央高原のテスココ湖上に一大都市テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を築き繁栄した中央アメリカ地帯最後の高度石器文明です。強大な軍事力、住民からの貢納、トウモロコシやカカオを栽培する高度農耕と近隣との広範囲な交易網、ピラミッド型神殿と太陽暦をもち、太陽神や生贄を捧げる独自の宗教的儀式を持っていました。この中世の稀有な石器文化帝国は、1521年、スペインのエルナン・コルテスの侵攻そのものと、それに合わせて持ち込まれた天然痘または腸チフスともいわれる感染症の流行により滅亡しました。現在、メキシコシティの中心「ソカロ広場」の地下に主要遺跡である大神殿が残っています。

アステカ帝国の場所と神殿(PRメキシコより)

アステカ文明の「花戦争(スペイン語 Guerras Floridas)」は領土争いとは違う特異な戦争形態、儀式化された戦<いくさ>でした。すなわち、周辺の敵対する部族や集団を乗っ取ったり殺傷したりするのではなく、対立集団の一人二人を生け捕りにし、信仰する太陽神に心臓や血を捧げたといいます。戦争は神さまへのお供えとして捕虜の心臓や血が必要だったのです。少数者の命はなくなりますが、神への貢ぎ物ですから、高貴な犠牲だったのでしょう。

で、なぜ「花(Floridas)」なのかですが、アステカ文化での花は「美」や「命」を象徴するものだった・・・とされています。とはいえ、敵対する集団の中の誰かは犠牲になるのですが、めったやたらと殺し合うのではなく、神さまにお供えする「花=捕虜の心臓や血液」を見つける場で、何時、何処で、どんな武器を用いて、どのように戦うか、合意されていたそうです。誰かは殺されますが、宗教的で一定の決まりのある儀式だったとされています。そしてこの「行事」が軍事的訓練を秩序付け、兵士を育成し、周辺にアステカ国の威容を誇らしめたとされています。

良く云われることですが、有史以来、戦争の無かった年はないのです。
人が二人になると争いがおきる・・・最初は食物や水、住むところ、土地を争い、やがて集団が生まれると、組織だった戦<いくさ>となり、それに何らかの理由が付けられ、専門の戦士が生まれます。領土や権力や、時には宗教やかつては民族の違いも理由にされました。人力が簡単な武具に代わり、武器が発展しました。産業革命で生まれたエネルギーが殺傷に使われ、爆薬が生まれ、そして原子力が加わりました。戦いの方策が研究のテーマとなり、戦<いくさ>は広域化し大規模化し、遷延します。世界中を巻き込んだ第一次、第二次世界大戦に対し、国際連盟、国際連合も設立されましたが、今では戦争を抑止しているのは核戦力の有無のような気がします。が、その規約を反故にしたり、無視したりする国が世界の安定を脅かしています。そしておもちゃのようだったドローンが立派な武器に代わる・・・

そもそもは、人類の生存本能に由縁したであろう小さな争い、それは社会の変遷とともに国家規模となり、技術発展によって巨大化し激化し遷延しています。それにしても、戦争は多分一人かせいぜい数人の考えで起こるように思えます。それは欲望なのでしょうか、恐怖なのでしょうか・・・