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250歳のアメリカ。「独立記念日」が問いかけるもの

明日、7月4日は、アメリカの独立記念日・・・今年は、建国250年の節目です。1776年の独立宣言には、有名な一節があります。

「すべての人は平等につくられ、生命、自由、そして幸福を追求する権利を持つ。」

この言葉は250年にわたり、世界中の民主主義や人権思想に大きな影響を与えてきました。
のに・・・です。現在、2026年のアメリカでは、その理想そのものが激しい議論の対象になっているようにみえます。

世界は戦争(国と国の国際的に認知された武力対立。ロシアのウクライナ侵略、アメリカのイラン侵攻、イスラエルとパレスチナの戦闘〈これは紛争かも〉、紛争(国内外の武力集団の対立。ミミャンマー、スーダン・・・)、そして国内対立(同じ国の中の政治的地域的少し民族的な対立)、アメリカでも分断が目立っていると云われています。そのような中での7月4日、現地ではJuly 4th ジュライ フォースと云われています。過去3回の経験では穏やかなお祭りでしたが、現在のアメリカでは「何を祝うのか?」でも意見が分かれているそうです。

2026年7月2日のニューヨーク・タイムズNYTに、建国250年を「とても大きな誕生日。しかし何を祝うのかについて国民の意見は一致していない」と表現されていました。

確かに現在のアメリカは、政治的分断が明確なうえに、移民問題や経済格差、歴史認識もバラバラな感があり、したがって国の根幹であると私は思っている「民主主義」のあり方についても人々の意見、見方が深刻に分離しているように思えます。

本来、人々を一つにするはずの独立記念日の意味が問われるような事態・・・ちょっと想像を絶しています。少数ながら、何十年もお付き合いのある私世代の古き良きアメリカ人は、ため息をつくばかりです。

そして世界を見渡せば、上記のようにウクライナ、中東での紛争は泥沼化しており、その他の各地でも武力衝突が絶えません。平和を願う声、膨大な国連での、また国際会議とは裏腹に、今日も高価な武力、武器が消耗され、多数の生命が失われ、さらに多数の人々の健康が損なわれています。民主主義や自由には形がありません。そして一度手に入れたら永遠に続くものでもありません。250年前の独立戦争もまた、「自由とは何か」を巡る戦いでした。

その意味では、歴史は形を変えながら、絶えず時代を生きる人々、今なら今を生きている私たちに問いを投げかけているのでしょう。

そして最も怖いのは外の敵より内なる敵・・・対立のような気がします。

国際的に定義された戦争は国と国の間の武力対立ですが、「いくさ」は国と国の間だけに起こるものではありません。私だけが感じているのかもしれませんが、現在、多数の「民主国家」が直面しているのは国内の分断のような気がします。

歳の所為でしょうか、便利になるために使っているはずのSNSも、何だか情報の偏りをあおっているような気がしますし、民主主義の根幹を具現しているはずの国会も、わが国だけでなく、意見の異なるグループを敵視しているように見えます。選良と呼ばれる人々が、互いを理解しようとしていないばかりか、対立する人々をののしる、異質なものを敵対視する・・・民主主義って何?です。

「我々は・・・」というときには、我々でない人々を想定しているはずですが、「自分たち」と「彼ら」の境界線を強く意識するほど、民主主義は少しずつ・・・そしてガクガクと弱体化します。

NYTの記事で、ホワイトハウス担当の記者ピーター・ベーカーさんは、「独立記念日は本来、人々が国旗を振り、家族でピクニックを楽しみ、花火を眺める日だった・・・」と振り返っています。が、今年はその祝賀行事さえ政治色が濃くなり、多くの人が「自分たちの祝祭ではない」と感じているともおっしゃっています。その姿は、現在のアメリカ社会を象徴しているように思えます。

が、一方で印象的なのは記事の最後、ベーカーさんは家族とバーベキューを楽しみ、子どもたちが毎年独立宣言を朗読するという伝統を、断固!続けると仰せです。

独立記念日にニューヨークのハドソン川で打ち上げられる花火

「言葉の意味は時代とともに変わってきた。しかし、その理想は今なお人々を鼓舞する」と。
理想と現実は違います。大いに違います。それが故に、人々は理想に近づこうと努力するはずです。そして、それこそが民主主義なのかもしれません。

この記事を読みながら、フトおもいました。これは遠いアメリカの話ではない・・・日本でも価値観の違いが広がっているし、世界では戦争や紛争が絶えない・・・
「自由」とは、「平等」とは何か。「対立を超えて共に生きる」とはどういうことなのか。多分、建国250年を迎えたアメリカは、その答えを真剣に探し出している・・・今までの続きではなく、ちょっと新しい形で・・・そしてそれは私たち自身の未来を考える鏡でもあるように感じます。
よその国の独立記念日なんか関係ない!ではなく、とにもかくにも、この地球をうまく収めてゆくには、それしかないような「民主主義」というあり方を、私たちも再考し、育て続けねばならないということを改めて考える一日にしたいと思います。