JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

再びの熊本、今「外野」がなすべきこと

10年前の地震から、お住まいや街のインフラが再整備され、ようやく日々の暮らし、日常が元に戻った、というところでの再被災、2026年7月28日の熊本地方の地震、
お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、被災されたすべての皆さまにこころからのお見舞いを申し上げます。

2016年4月の熊本地震から10年。熊本は再び、最大震度7の巨大地震に襲われました。東京の事務所で仕事をしていたのですが、地震発生情報の直後、私の携帯が津波警報を報じました。エエッ!と思うと同時に、その昔の「島原大変肥後迷惑(1792〈寛政4〉年5月21日、肥前国島原〈(現長崎県)雲仙岳の火山性地震に発する眉山〈雲仙火山中最大の溶岩丘〉が崩壊し〈=島原大変〉その大半が有明海になだれ込んで発生した津波が、対岸の肥後〈現熊本県〉に押し寄せたこと〈肥後迷惑〉」を思い出しました。その当時としては、1万5千人にのぼる犠牲者は途方もないものだったでしょう、日本史上、最大の火山災害とされています。

と同時に、十年ひと昔と申しますが、その間に二度も、最大級の地震に襲われた熊本地方の人々の恐怖、落胆は外野の私どもが云々すべきものではないと思います。数時間後から、九州各地で開業している「日本財団在宅看護センター」の責任者たちの安否と周囲の状況を把握しました。メイルで状況報告してくれた数人他、電話での聞き取りを致しました。

地震の恐怖・・・ちょっとした揺れは日本人のほぼ全員が経験しています。私自身、当時は東京勤務ながら、1995年の阪神淡路大震災の被災家族で、臨時便でようようにして帰り着いた郷里で、翌日の最大余震を経験しました。が、それぞれの地震はそれぞれの様相を持っています。

地震発生直後に早くも全国各地で募金や物資提供、ボランティア派遣の動きが始まりました。困っている人を見れば手を差し伸べる、専門性をもった人々の統制ある救援体制の始動、これはさすがに日本だと、ちょっとジンとしますが、本当に誇りに思える、尊い善意の発現です。

ちょっと水を差すとお叱りがあるかもしれませんが、しかし長年、災害救援にもかかわり、被災者家族の端くれでもある身で、率直な意見を申します。

善意が大きい時ほど、私たちは一度立ち止まって考えなければなりません。
被災地のため、被災者のため、何かをしたい、しなければならない意識の私たちと、今、支援を受け入れられる被災地との間には、しばしば時間差と需要供給のギャップがあります。

現在、現地では救命・救助と安否確認、避難所の開設運営、道路や水道、電気などインフラ系の復旧が続いています。この猛暑、断水や停電!!!電気さえあれば、アア・・お水が欲しいと渇望されている方々も少なくありません。電気やガス、鉄道や行政、そして医療・福祉関係の方々の中には、自ら被災しながら対応に追われておられる方々もおいでです。

熊本県災害ボランティアセンターは設置されましたが、市町村ごとの受入れは、安全確認や需要の把握をしながら準備・調整されている段階です。被災自治体などへの個別の電話は、その対応自体が現地の負担になる可能性があります。また、熊本市は個人からの義援物資を受け入れず、企業・団体からの物資も事前登録制としています。必要な物を、必要な場所へ、必要な時期に届けるためです。(熊本県社会福祉協議会熊本市「義援物資について」

今、「外野」にいる私たちは、何をすべきでしょうか。
第一は、勝手に動かず、現地の声を待つこと、現地に駆けつけるだけが支援ではありません。頼まれていない物は送らない。個人的なつながりで被災者や自治体に「何度も」問い合わせない。SNSで未確認情報に脚色を付けて拡散しない。公式情報の確認、自治体からの公的ボランティア募集開始を待つ・・・私は、救援時には「待つ力」の重要さを痛感したことが何度もあります。

第二は、使い道を限定しすぎない資金を信頼できる窓口へ届けること。物資は輸送、保管、仕分けに膨大な人員を必要としますが、資金は、刻々と変わる現地需要に合わせた活用が可能です。被災者に直接配分されるのが「義援金」、支援団体の活動を支えるのが「支援金」なので、その違いを理解し、自らの意思にそって支援することです。
熊本県・熊本市は義援金を、日本財団は現地で活動するNPO・ボランティア団体への支援金を受け付けています。(熊本県の義援金窓口熊本市の義援金窓口日本財団の支援

第三は、専門職は「今すぐ!!」ではなく、「要請時に動ける準備」をすることでしょうか。
笹川保健財団も、これまでの現地との交流を踏まえ、日本財団在宅看護センターネットワークの中で何ができるか、いくつかの意見が寄せられています。その思いは大切にしながら、まずは現地の看護師、訪問看護事業所、行政、医療・福祉団体から、具体的な要請を丁寧に聞くべきだと考えます。

ことに高齢化著しい日本各地の災害では、看護力が本当に必要になるのは、発災直後だけではないでしょう。避難所に来られない独居高齢者、認知症、医療的ケア児、在宅療養者、薬が途切れたけど病院も被災してしまった人、そしてこれらの方々をケアしている人々の疲労・・・はこれからです。何といってもこの酷暑、脱水や熱中症にエコノミー症候群、精神的疲弊への中長期的対応も必要です。

日本財団在宅看護ネットワークでも、ありがたいことに、スタンバイしてくれている事務所もあります。派遣可能な看護師数とその専門性、現地での窓口と現地関係者との疎通性、派遣期間、さらに被災看護師や被災事業所の支援体制・・・そして大事なことは現地への関心を長く持ち続けることと考えています。
その昔、難民支援に従事した頃に実感したことは、「難民の真の問題は支援が無くなった時に始まる」でした。災害直後には多くの支援が集まりますが、報道が減り、人々の関心がうすれる頃に住まい、仕事、介護、新たな孤立、心の健康などなど経過の長い難しい問題が始まります。

2016年の経験から、熊本の人々が今回の新たな課題、前回から改善できたこととも併せ、何を求められるのか何を必要とされるのか、それらを良く咀嚼しての効率の良い支援が大事でしょう。

日本財団在宅看護センターネットワークの仲間たち(3期生、県外研修にて 2016年11月)

災害救援時の主役は支援者ではなく、あくまで熊本の人々です。熊本を再び立て直していく人々が何を求められるのか、今、「外野」に必要なのは、善意の大きさを競うことでもなく、速さを競うことでもなく、現地の声を聴き、求められる時まで準備し、求められたことを確実に実行し、そして忘れずに伴走することだと、思います。

急いで駆けつける善意と静かに待ち、長く支える善意のバランスを意識したいと思います。