会長ブログ Chair's Blog

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新しい時代への想い

しばらくブログを怠けました。また、再開しますので、お付き合い方、なにとぞ、よろしくお願い致します。

早、少し懐かしい気もする平成の最後の年度末、久しぶりに12日間の長きにわたって、カナダとアメリカで、地域における看護の実態やその教育について調査にまいりました。(追ってご報告致します。)帰国した翌日が新年度でしたが、まだ、時代は平成でした。

ただ、ホームページでお知らせ致していますように、財団の名称を「公益財団法人 笹川保健財団」と短縮させて頂きましたほか、ホームページの改修やメイルアドレスの一新もさせて頂きました。

そしてその4月1日には、新しい元号『令和』が周知されました。

これで、昭和、平成そして令和の3時代を生きることになります。少し、過去を振り返ってみます。

私は、1939年8月の生まれなので、間もなく、満80年生きることになります。
1939年は昭和14年ですが、世界的には、1939年9月1日のドイツ空軍のポーランド空爆が第二次世界大戦の始まりとされていますし、同年5月、当時の大日本帝国の影響力が絶大だった満州国と、ソビエト軍の支配下にあったともいえるモンゴル人民共和国軍が両国のあいまいな国境線をめぐって戦ったノモンハン事件が起きています。世界は、ひたひたと戦争に向かって進んでいた・・・時代に生まれたのです。

6年に及んだ第二次世界大戦は、主要な枢軸国だったイタリア(1943.9.8)とドイツ(1945.5.8)に続き、最後にわが国が連合国側に降伏(1945.8.15)することで終わりました。

わが国の広島、長崎の原爆、唯一の地上戦であった沖縄、各地での空襲警報や焼夷弾に逃げ惑った記憶をもつ私世代も徐々に減っていますが、国と国の戦争、一国内での民族的宗教的対立=紛争は、たとえ勝っても、地域住民には何も得ることはないと、後に紛争地勤務した際にも痛感しました。戦争がないこと、それは社会が、そして地域社会が継続発展する基本です。

敗戦からたった20年、先の東京オリンピックは1964年、昭和39年でした。私は、医学部最終学年でした。非西欧、非キリスト教の東洋の小さな島国での初めてのオリンピックでしたが、実は、わが国は、前述第二次世界大戦もあって開催されなかった1940年への名乗りもふくめて、西欧諸国以外に初めて・・・ということは何度か経験しています。非西欧国で、初めて国際赤十字に加わったこと(1887、ただし南米アルゼンチンは1882)、大阪万博(1970)もそうでした。

1989年、昭和が64年で終わった時、すなわち昭和天皇の崩御は、紛争地パキスタンのペシャワール勤務時でした。そのため、その後の国を挙げての服喪のありようは経験しませんでしたが、平成から令和への時代の移行は新緑の時期もよろしく、華美過ぎることはなく、しかし私どもの気持ちが上に向かう、ある種の華やぎもありました。長いお休みもめでたく、久しぶりTVにかぶりついて上皇上皇后陛下のご退位、天皇皇后陛下のご即位を、繰り返し拝見しました。

色々な伝統行事、しきたりは時代懸かっています・・・当たり前だと思います。
何事も、継続性あること、つまり伝統にとってはカタチがとても大事です。日常事とは異質でなければならないと思います。伝統を壊すのは、伝統が壊れるのは一瞬、簡単であっても、作り上げられるまでには、長い、長い時間と途方もない膨大な知恵と試行錯誤があったはずです。今、私どもが拝見する伝統様式を失ってはなりません。

こうして、私は、平成から令和に移行しました。新しい時代の日本です。
へっ! 何が新しいの、新しいって何が?と白けてはいけません。新しい令和の時代の日本は、あなたや私、皆が作り上げるのだと思いませんか?

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