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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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ナニワ風エスカレーターの乗り方

先週末、在宅看護起業家育成事業恒例の、通称神戸研修(喜多facebook)でしたが、その前に所用があり、半日ほど、大阪に立ち寄りました。新幹線新大阪駅で下車し、久しぶりに地下鉄御堂筋線でナンバに、そして南海電車に乗りました。数時間後に、またその逆、新大阪に戻り神戸に向かいましたが、何度もエスカレーターに乗りました。

大阪では、エスカレーターや動く道は右側に立ちます。新大阪駅構内、地下鉄御堂筋線の乗換えで、さっそく、後ろから、チョイチョイとシグナルがきました。郷に入っては郷に従うことは判っていましたが、そこは後期高齢者なので、身の安全を保つために、エスカレーターの手すりをしっかと握りましたが、習慣づいていた左側立ちでした。当然、せっかちの浪速っ子には、「ナンヤ、この邪魔なオバハン!!!」ですね。「スンマヘン・・・」如何せん、年齢相応の反応の鈍さ、判っているのに、次のエスカレーターの前では、また、瞬時ですが、もたもたしてしまいました。

しかし、わずか数時間の滞在でしたが、その昔、当時の国立大阪病院に勤務した新米小児科医時代を懐かしく思い出しました。当時、日本三大祭のひとつ、7月24、25日の、この神社の夏祭りで関西の夏が始まると云われていた(今もそうでしょうか?)大阪天満宮の傍に住んでいました。大阪では、格式高い神社も、皆、親しいご近所であり、天神サンの夏祭り、夜通し続く蛇踊り、その後に続く生玉サンや住吉神社(スミヨッさん)の夏祭り、どれもこれも懐かしいです。

でも、エスカレーター、「ナンで、オオサカは右?」なのでしょうか。海外で働いた時に、確か、世界的には、右側通行が多い・・・大体2/3は右と聞いたことがありますが、そもそも大阪の道は右側通行ではありません。単にエスカレーターと動く歩道が右立ちなのです。

でも、大阪で、最も古く、最もよく知られている地下鉄御堂筋線を降りて、南海電車に乗る頃には、急ぐ人が左側をセカセカ歩くなら、立ち止まるのは右側が合理的でもあるなぁ、などと思ったりしましたが、御堂筋線から南海電車、難波構内へのいくつかのエスカレーターは、もう、突っかかられたり、まごまごせずに、スマートにエスカレーターに乗りました。

その昔のオオサカは、御堂筋の北に位置する梅田<ウメダ>と南の難波<ナンバ>が、両雄拠点でした。そして、南北に走る道路は、ミドウスジ、堺筋<サカイスジ>など筋<スジ>と呼ばれ、東西に走る道路は千日前通り<センニチマエドオリ>、長堀通り<ナガホリドオリ>、曽根崎通り<ソネザキドオリ>など通り<トオリ>と呼ばれています。短くても、有名な繁華街は心斎橋筋<シンサイバシスジ>です。そしてその各所に、北の新地、南の千日前、通天閣や道頓堀などの名所があったのですが、現在は、「ユニバーサル・スタジオ ジャパン」、「あべのハルカス」、「グランフロント大阪」、「ノースゲイトビルディング」とカナ文字が増えています。

そして最大の変異は百貨店。今ではデパートですが、その昔、子ども時代の私にとっての百貨店とは、「大阪の・・」ではなく、「梅田<ウメダ>の阪急百貨店」が百貨店のイメージでした。そして隣の阪神は、ちょっと若向き・・・心斎橋の大丸やそごう、難波の高島屋は南の店で、ウメダ派は滅多に行かないものでした。さらに、三越と松坂屋はちょっと離れていましたが、中間位置。そんな感覚でしたが、今では、阪急と阪神は合体し、大阪駅の上には大丸が、その北側の「ノースゲイトビルディング」には伊勢丹が・・・そして私の懐かしの阪急は、九州の博多駅の上に・・・

たった数時間のオオサカで、数十年の思い出に浸りました。でも大阪は何で右立ちなのか・・・気になりますね。