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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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岩手県一関市国保藤沢病院

暑いではなく、熱い夏の勢いも少し陰り始めた感があります。また、少し間が空きました。

8月!子どもと学生には夏休みですが、第二次世界大戦欧州戦線開戦の年生まれの私には、その後の太平洋戦争が日本の敗戦に終わったことの印象と、8月6日の広島、9日の長崎、15日の終戦の日が一連のものとして記憶されています。もちろん、5、6歳の田舎の子どもだった私が、当時、起こりつつあった事を正確に把握できていたのではなく、周囲の大人たちから徐々にもたらされた話から、自らの終戦記憶を作ったのだと思っています。そして直後の数年間の駐留軍、とりわけ、小学校の運動場に並んだ私たちの頭といわず、身体といわず噴霧された白い粉・・・DDTを思い出します。

8月9日、旧知のドクター高木史江(岩手県一関市国民健康保険藤沢病院内科長、訪問看護センター長兼務)のお招きで、第10回藤沢地区医療セミナー「在宅ケアと地域づくり」に参加し、私ども、笹川保健財団の行っている「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の趣旨をお話しさせて頂きました。

そもそも岩手県は、北海道に次いで大きな自治体であることは知っていましたが、国保藤沢病院が存在する一関市も大きいのです。2005(平成17)年に、何と7つの市町村が合併して現在の一関市なった、岩手県では2番目、全国市町村でも12位の広大な面積を持つ地方自治体なのです。すなわち面積は1,133.1平方キロメートル、人口は118,578人、人口密度は104.6人/平方キロメートルです。1キロメートル四方の中に105人が住んでおられる・・・日本で一番人口密度が高い東京都豊島区のそれは、21,885人/平方キロメートルですから、こちらは一関市に比べて208倍混んでいる・・・とも申せます。ちなみに夏の高校野球の熱戦が繰り広げられた甲子園球場のグラウンドは、13,000平方メートルですから、一関並みに申しますと、グラウンドの中に1.4人・・・甲子園のグラウンド2つに3人がお住まいという勘定になります。

もちろん、この地域の医療施設はこの病院だけではありません、が、あえて申せば、このような広大な「領土」を擁する国保藤沢病院のご苦労は、人口密集の都市圏のそれとは質が異なりましょう。そんな中で、一関市病院事業管理者の佐藤元美先生を中心に、前述ドクター高木らが、54ベッドの病院を拠点に、各種地域交流を広げ、とてもユニークな活動をなさっておられます。特に佐藤先生らの患者聴き語り本の作成や、自治医大など各地の医療・教育関係施設との連携は興味深いものでした。

その一環なのですが、岩手県一関市で、2019年8月9日という日に、私は、1990年初頭に現国立国際医療研究センターが行っていたエジプトナイル河中流域での母性保健に重点をおいたJICAプロジェクトで協力を頂いたエジプトの医師たちの後輩がたと巡り合ったのです。カイロにあるエジプトの名門アインシャムス大学の小児科、産科の医師らが、研修生を受け入れられている東京女子医大国際保健学杉下智彦教授に連れられて、一関市を訪問中、その昔、医療センターに留学されたハワリー医師のお名前を思い出すに苦労しましたが、何と世界は狭いことでしょう。

さて一関駅は、東北新幹線と在来東北本線大船渡の駅でもあり、また、いわて銀河鉄道の拠点でもあるそうです。さらにこの辺りは、柳田国男の『遠野物語<トオノモノガタリ>』(1910<明治43>年)の場でもあります。実際は、かつての土淵村(現在の遠野市)の小説家・民話蒐集家の佐々木喜善氏が語られる遠野地方伝来の民話、伝承を柳田国男が記録、編纂したものですが、民俗学の走りでもあり、高校生の頃には、まだ見ぬ岩手県、そして、はるかに夢をよぶような遠野という地名、地方に憧れたものでした。

ご多分にもれず、一関市の高齢化は激しく、2015年に既に65歳以上が33.4%、全国平均をはるかに凌駕しています。そして2045年には、それが47.8%となる・・・つまり人口の二人の一人が高齢者になると危惧されています。

美しい山野、日本の原風景のような濃い緑の広がるうねうね道を車に揺られながら・・・看護で、この地域の人々の健康を護ることが可能だろうか・・・と思案しながら、お別れしました。