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おめでとう!! パパムエンベ 第3回野口英世アフリカ賞受賞

前世紀の話で恐縮ですが、今回、第7回TICADにあわせた第3回野口英世アフリカ賞の受賞者の一人、エボラの大家、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo,以下DRC)のジャン=ジャック・ムエンベ=タムフム博士と知り合ったのは21年前の1998年でした(もう一人の受賞者は、ウガンダ共和国の保健医療人材育成に貢献のあった(or された)フランシス・ジャーバス・オマスワ博士)。

当時、ジュネーヴのWHO本部緊急人道援助部(Emergency and Humanitarian Action,以下EHA)に新設されたField Support(現場支援)という、火事場泥棒ではなく、火事場以上の紛争地の支援実践責任者となった私は、いくつもの紛争があったアフリカ各地、特に大湖沼地帯とよばれるDRC、ルワンダ、ブルンジあたりには毎週のように出かけました。そんな中で、知遇を得ていた当時のWHOアフリカ地域事務局長サンバ博士が、自ら人選して下さったアフリカの専門家を日本にお招きし、現国立国際医療研究センターで、「アフリカの健康(Health in Africa)」というシンポジウムを開催しました。そのお一人が、ムエンベ博士でした。

何度も出張した中で、DRCは最も対応困難で、しかし興味深い国でした。当時、30年にわたって旧ザイール共和国を支配してきたモブツ・セセ・セコの政権が倒れ、コンゴ・ザイール解放民主勢力(AFDL)の議長ローラン・カビラが国名をコンゴ民主共和国に変えた頃でした。

ヒロシマに投下された世界初の原子爆弾は、DRC産のウランを用いたものだったのは知る人ぞ知る事実ですが、DRCは、多数の自然資源の宝庫です。その上、いつも色々な感染症が発生し流行っていたり、それほど規模は大きくはありませんが、複雑な地域紛争がブスブスと燃えていたりで、偏見発言を許されるならば、国際保健実習のモデル地域のようである一方、現場監督としては、本当にシンドイ国でした。当時、DRCのWHO国事務所長は元ニジェール国保健大臣ムディ博士でしたが、二人で何度か、あまり中央政府の意向が及んでいない東部地域に参りました。1年前からのエボラ出血熱(正式にはエボラウイルス病)が、今なお、終息していないのはこのあたりです。

最初の訪日時、サンバ博士、ムエンベ博士ご夫妻らご一行8名は、神戸の医療機器メーカーSysmexを見学され、神戸湾クルーズや炉端焼を堪能されました。何事にも積極的な皆さまでしたが、そろって音を上げられたのは、お箸でイカそうめんが召し上がれなかった・・・思い出しても可笑しい・・・

右から2人目、3人目がムエンベご夫妻、左から7人目が筆者、Sysmex前にて

 

こうしたことも含めて、何度かの交流後、パパムエンベ、ママエツコと呼びあうようになりました。もちろん、パパムエンベには、ホンモノのママルーシーがおいでですが、時には、パパムエンベをホッタラカシにして、ママs(複数のs)が盛り上がることもありました。特に、キンシャサで時間がある場合には、ご自宅に寄せて頂いたり、パパムエンベの知人の大臣方のご自宅パーティーに連れて行ってもらったりもしました。またパパムエンベの居城でもある同国国立生物医学研究所も度々訪問しましたが、割合、ポンコツの機器しかないのねぇ・・・いずれ日本から支援して貰ったら・・・などと申したものでした。ここで初めてアフリカに多い眠り病を感染させるツェツェ蠅や羊を丸呑みするといわれる大蛇アフリカパイソンを間近に見たこと、さすがアフリカの研究所!とちょっと感動しました。

時折のエボラ発生時には、ちょっとした情報も知らせてもらいましたが、私は、ウイルス学者でもなく、国際保健、取り分け、紛争地での実践者に過ぎませんでしたから、学問的議論は記憶していません。でも、WHOを離れた後も、かの国の首都キンシャサ、ジュネーヴ、さらには日本で、数年毎には会っていました。

今回の受賞は、長年の知人としても、また、日本人としてもとても喜ばしいのですが、ウイルスましてやエボラの素人なりに、ちょっと心がザワつくことが生じています。

実は、その受賞が決まったと耳にした後、エボラ対策の不備から、突然、かの国の保健大臣が辞任を余儀なくされ、何とパパムエンベが実践責任者になったとの記事がScience誌8月9日号に出ました。これを、ちょうどキンシャサに滞在中の、長年のパパムエンベの研究パートナーである千葉大学大学院医学研究院分子ウイルス学特任教授井戸栄冶博士とパパムエンベご本人に、読みましたよ!!と知らせました。間なしに、井戸博士から、同じライターによる続編とも云うべき記事を知らせてもらいました。そのKai Kupferschmidtというライターは、ボン大学で分子生物学の学士号を取得後、ベルリンのジャーナリズム学校でも学んだScience誌への常連寄稿者のようです。

続編記事は、“Finally, some good news about Ebola: Two new treatments dramatically lower the death rate in a trial(ついに、エボラに関するちょっと良いニュース:二つの治療試行で劇的に死亡率が下がった)”前述したように、私はウイルス学など、基礎医学には疎い人間ですが、この記事、ちょっと気になります。

概略間違いなければ、以下のようです。
「エボラ治療法のための4処方が試行され、その効果判定の中間報告が8月12日に発表された。それらは、①ZMapp (Mapp Pharmaceutical, Canada)、②Monoclonal antibody mAb114 (NIAID, USA)、③REGN-EB3 3種類の monoclonal antibodiesカクテル(Regeneron Pharmaceuticals, USA)、④Antiviral drug remdesivir (Gilead Sciences, USA)である。結論は、③REGN-EB3と②mAb114は、他の2つより、効果に有意差が認められ、なおかつ血中のエボラウイルス量がまだ少ない早期に投与されればさらに生存率があがると期待できるという。この中間報告から、③REGN-EB3と②mAb114の2つだけがトライアル継続と決まり、他の2つは即座に中止だという。エボラウイルス病からの回復者の血清を用いた抗体療法に効果があることは、既に、ムエンベが世界に先駆けて実証しているが、モノクローナル抗体による治療法が最も有効という結果は、当然、予想の範囲かもしれないが、素人ながら、エボラウイルス病へのこれまでの化学薬剤の効果が芳しくないことを鑑みると、今後のエボラ対策の方向性は定まった・・・・ような気がする」、間違っていないことを念願しますが。

ここからは井戸博士からのレクチャーですが、今回のDRC東部で1年以上にわたって蔓延しているエボラウイルス病に2つの薬剤(③REGN-EB3と②mAb114)が効果を示したことは、今次流行が数年前の西アフリカで流行したのと同じようにエボラウイルスのザイール株だったことによること、モノクローナル抗体の弱点として、抗原が少しでも違うと全く反応しなくなる問題は依然として残っていること、だからこそ多価モノクローナル抗体が最有効だったことは非常に納得のゆく結果・・・ですが、どちらも大量生産するのは極めて大変なことに変わりはない・・・

で、私の心がザワついたのは、このような画期的薬剤を日本でつくれるのかどうかに関してデス。

東京オリンピック・パラリンピックを控え、エボラウイルスを安全かつ正確に診断できるように、国立感染症研究所村山庁舎(東京都武蔵村山市)のもっとも危険な微生物を扱いうる「BSL4」レベルの施設で、輸入した病原体を保管する計画が、藤野勝市長と根本匠厚生労働相の間で容認する考えだと、先日報じられました。実際に、エボラウイルスをジャンジャン扱うという体制ではありませんが、何時かは入ってくる危険性は否定できないなか、一歩進んだと思います。

で、私が個人的に思うことは、今回、せっかくパパムエンベが野口英世アフリカ賞を受けられたのだから、何もかもを彼のところでとは申しませんが、共同or協働研究できないか、と思う次第です。

20年前にも、彼の研究所に日本支援が入って欲しいと願いはしましたが、積極的には動いていません。が、昨年、JICAプロジェクトが始まる際、その入札に訪日したパパムエンベは、「やっと・・・ね」とって、ウインクしました。ハードの部分・・・と聞いていますが、その中身・・・気になります。

日本製の多価モノクローナル抗体、エボラ出血熱を解消!!!夢がかなうでしょうか?