JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

残念無念or健闘をたたえる!! ラグビーワールドカップin Tokyo

朝刊のすべてに「4強ならず!!」の見出し。昨夜は、皆さま、TVの前で、さぞや興奮し落胆されたことでしょう。そんな中、スポーツ音痴の私が、ここにラグビーを取り上げるのは、はなはだ僭越ですが、実は、南アフリカとの一戦を前に、ラグビーの歴史をなぞったのです。

2010年、アフリカ初のサッカーワールドカップが南アフリカで開かれました。日本の本田、長友選手らのお名前を、当時在籍していた看護大学の男子学生から教えてもらい、やかましい(失礼!!) ブブゼラという現地楽器にも馴染みました。これは足でボールを蹴るサッカーのお話しです。

今回のラグビー東京大会で、快進撃の日本が、強豪南アと4強をかけて激突することになりました。で、ラグビーって、なんであんな奇妙な形(失礼!!!) のボールを使うのだろうか、何でスクラムって、ややこしい態勢を取るのかしらん、と思っておりましたので、この機会に、少し勉強しました。と申して、インターネット情報ですが。

ラグビーの原型となるスポーツが生まれたのは、英国のイングランド地方のラグビーという町の、ラグビー校という学校だとは、ぼんやりと知っていました。が、この学校は、エリザベスI世時代の1567年、日本では室町時代、つまり足利一族が天下を取っていた時代、に創立された英国最高レベル、全寮制のパブリックスクール(パブリック=公的とついていますが、名門私立学校)です。もともとは、ラグビーフットボールとよばれていたそうです。ま、その後の歴史の複雑なこと、世界史の復習になりました。

まず、歴史が長いということは色々あるとも云えますが、現在では、ラグビーユニオンとラグビーリーグに別れている2つのスポーツだそうですが、通常、ラグビーというのは、このユニオンのラグビーで、日本もこのユニオンラグビーですが、これはボールを持って走ることが許されているのです。蛇足ですが、ラグビー競技場は長さ100m、幅70m、両端にH型のゴールポストですね。試合時間は、前後各40分、ハーフタイムは10分以内、時々のけがなどで試合が止まるロスタイムを入れて、全体として、2時間弱でしょうか?それにしても、筋骨隆々の、立派な体格の選手たちが何十mも、何回も全力疾走したり、ぶつかり合ったり、さらにスクラムというのはもっとシンドイようにも思えますが、いったい、どれくらいのエネルギーが使用されるのかと思いつつ、拝見していました。

サッカーという手を使ってはいけないゲームとも異なる私たちが理解しているラグビーが生まれたのもラグビー校のようです。1823年、同校での試合中に、ウィリアム・ウェッブ・エリスという少年がボールを手で掴んで走り出したことが現在のラグビーの最初とされているようですが、十分の証拠がないとか。ま、このあたり、2日間にわたって、インターネットを渉猟したのをまとめますと、ラグビー校の生徒が、初のフットボール規則を成文化したのが1845年(日本は、幕末の直前)、それまでの全てのフットボール界を統括していたThe Football Association(1863年設立で、英国のすべてのサッカーゲームを統括してきた1863年創立の競技運営団体、由緒あるため定冠詞the付でThe FAとよばれる)から脱退し、さらに1895年にはラグビーユニオンとラグビーリーグに分裂したことなどなど。

いずれにせよ、スポーツに知識がない私がラグビーと認識しているゲームの発祥は、現在のイギリスの中でもイングランドとよばれる地域です。その後、スコットランド、ウェールズ、アイルランドというかつての大英帝国諸国に広まり、さらにフランス、イタリアというヨーロッパから、オセアニアの大英帝国関連国(かつての植民地でもありました)オーストラリア、ニュージーランド、サモア、フィジー、トンガ、そして南アフリカに広まっています。故に、強豪ニュージーランド、南アフリカ、サモア・・・ですね。

時折、ラグビーやサッカーの有名選手の移籍が話題になりますが、それは元来アマチュア主義を取っていた諸々のラグビー関係団体(ラグビーユニオンの国際競技連携 ワールドラグビーWR、国際ラグビーフットボール協議会IRFB、国際アマチュアラグビー連盟FIRA・・・)などが、1994年、事実上統合して、欧州ラグビー協会(FIRA)となり、さらに1997年、国際ラグビー評議会(International Rugby Board;IRB)となっていますが、この間、1995年にWRが選手への給与支払い制限を撤廃したことで、プロ選手が解禁されたことによります。

では、なぜ、ラグビーのボールは楕円形か・・・これは、ニッセイ基礎研究所の中村亮一氏の、本格的な解説をご覧いただくとして、そもそも豚の膀胱を縫い合わせてボールにした・・・その頃はプラム型だったって、へぇぇぇ!!

日本に、正式にラグビーが紹介されたのは、1899(明治32)年、横浜生まれのイギリス人で、慶応大学、第一、第三高等学校などで英語を教えたエドワード・B・クラークと実業家田中銀之助の両名が慶応大学の学生に紹介した時とされていますが、日本人がラグビーを観たのは相当早く、ぺリー提督による日本が開国してすぐのようです。きちんと記録があるラグビー試合は1874(明治7)年、横浜でイギリスの船員によって行われたものですが、その頃には、横浜、神戸といった条約港で、滞在外国人と船員や守備隊員の間で行われていますので、プレイしなかったものの沢山の日本人が見物はしていたでしょう。そして、記録に残っている日本人初のプレーヤーは、1872(明治5)年、後に文部大臣や京都大学総長になった菊池大麓のイギリス留学中のプレイです。

現在、TVを観てですが、何億人もの人々が一喜一憂するこのスポーツの陰にも、かつては黒人選手を排斥したり、また、アパルトヘイト期間中の南アフリカが排除されたり、関係団体が決裂したりと、世界の動きと関連している歴史がありました。

とまれ、足でけるスポーツではありますが、手を使ってはいけないサッカーと手で持っても良いラグビー、似ているがまったく異なるアメリカンフットボール、足を使ってはいけないハンドボール、それにバレーボール、テニスやピンポン、球技の世界は広く複雑です。

少し知識を増やしてみますと、面白い・・・よりはハラハラが増え、日本が敗れたこともあって、疲れました。が、それにしても、多数の外来選手からなる日本チームの素晴らしさ、国の中もこんな風であれば良いのに・・・と思いませんか? 皆さま お疲れ様。また、4年後に。