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イスラム国とクルド 1ーイスラム国首謀者の死

2019年10月28日、日本時間ですと早暁4時過ぎに、アメリカ大統領が、イスラム国を率いてきたアブバクル・バグダディ容疑者が、身に着けていた爆発物を起動し自ら爆死したと発表しました。ここしばらく、自然災害に翻弄されて続けていますが、わが国は、第二次世界大戦以降、国土での武力紛争はおろか、国土の外でも、武力紛争にモロに関与していません。戦争への関与は憲法によって禁じられています。私自身、紛争地の人道援助に関与した際、「日本の軍隊は、アンタを救いには来ないのか?」と尋ねられたこともありますが、70年以上、軍事行為によって国民は申すまでもなく他国民をも犠牲にしていないことは誇るべきことだとは思います。ですが、世界の複雑な状況は、それがいつまでも続くことを許さない事態が増えているようにも思います。

アブバクル・バグダディは、2014年6月、イラクとシリアにまたがる広大な地域で「イスラム国家」を樹立したと一方的に宣言し、イスラム界では預言者ムハンマド(モハメッド)後のイスラム国家の指導者、最高権威者のみに許される「カリフ」という称号を名乗り、欧米に対する徹底抗戦とテロを呼びかけました。バグダディは、首都バグダッドの大学で学んだとされていますが、当初(2014年頃)のイスラム国は、シリア北東部の砂漠の中の集落に、電気・水を供給し、礼拝所、パン屋、学校、裁判所から銀行まで設置していたといいます。何度か、日本人を含む外国人殺害の写真をメディアに流していましたが、中枢からの支配はインターネットだったそうです。

わずか1年ほどの間に、シリア領土の半分以上を制圧し、北部の街ラッカを首都としました。

ラッカ・・・高校時代、世界史が好きで、特に中東辺りの歴史に熱中したことがありました。ラッカは、文明発祥の地のひとつメソポタミアのユーフラテス川の中流に位置します。人口は20万人弱ですから、そんなに大きな街ではありません。が、古来、東西の交流の場でした。古くはアレキサンダーのマケドニア国の支配下にあり、その後継者たちによるセレウコス朝が長く続きまししたが、その後は紀元前1世紀頃、ローマの支配下になり、以後7世紀頃までキリスト教の街であり、聖ザアカイ修道院と柱の修道院とよばれる遺跡があるのです。その後、イスラム化が進んだのです。ですから、ラッカが、イスラム国の首都と知った時、これは戦略的意図かなと思いました。

急激に拡大したイスラム国を支えたのは何でしょうか?

アンチ西欧、アンチキリスト教としても、シリアの砂漠地帯に住む多くの人々にとっては、それほど深く西欧文化に毒される接点はないのではないでしょうか。もちろん、伝統的な習慣が強いこの地の人々は、集落の指導者の意向でどちらにでも流れる、いえ、流れなければ生きて行けない社会です。が、人々を掌握するにしても、地域のインフラを作るにしても必要なものは資金でしょう。それはどこから来たのでしょうか?また、武力紛争を続けるための武器は誰が支給し続けてきたのでしょうか?

バグダディという人は、1971年生まれのイラク人です。1990年代、当時の権力者サダム・フセインのイラクがクウェートに侵攻し多国籍軍によって撤収させられた頃は20歳代でした。2001年9月11日、アメリカでの同時多発テロが起こった時は31歳、その後のアメリカと多国籍軍のイラク進攻時に従軍し、2003年頃に収容された施設内で過激派イスラム思想を獲得したとされています。後に、もう少し前のイスラム過激派組織・・・国際的にはテロ組織アルカイダの一派に所属し、そのアルカイダの指導者ザルカウィがアメリカ軍に殺害された後、自らの過激派組織を率いるようになりました。

それからたった10年でイスラム国を作り、そして数年で終焉を迎えた・・・

地域のすべての住民がイスラム国を歓迎したとは思われませんが、ある種の恐怖政治におびえる人々は沢山いたでしょう。そして、そのような人々が、イスラム国に対立する外部勢力とつながることで、地域の人々が巻き込まれる紛争が拡大してゆくのでしょう。

Twitterによるホワイトハウスの告知と、それを発表するアメリカ大統領(Foxニュース)

 

何度か申し上げていることですが、ユネスコ憲章には、こうあります。

「この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。

戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終りを告げた恐るべき大戦争(第二次世界大戦)は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。」