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看護師が社会を変える-3 なぜ、HFAからPHCへ

「看護師が社会を変える」と「Health for All by the year 2000(2000年までにすべての人に健康を)」やPHCがどう関係しているのか・・・です。

WHOメンバー国とは、ほとんどの国がそうですが、その保健医療責任者が一堂に会して、諸々の保健医療問題を論じ、それからの1年間に為すべきことを合意する・・・通称、WHO総会は、毎年5月下旬に開催されます。1977年、第30回総会当時のWHO事務局長はハルフダン・マーラー(Halfdan T. Mahler 1923.4.21-2016.12.14)博士。デンマーク生まれ、コペンハーゲン大学で医学をおさめた後、公衆衛生に関心を持ち、最初はエクアドル赤十字社の結核プログラムに従事されました。1951年にWHOに転じ、ほぼ10年間、WHOのインド事務所で、国家結核対策計画で現場経験を積まれた後、ジュネーブの本部結核部門責任者になられました。さらに、のちのPHC構想にもつながる保健計画の分析に従事し、1970年には事務局次長となられ、1973年、第3代事務局長に選出され、1988年まで、3期を務められました。マーラー局長時代の、最初の目覚ましい成果は、天然痘の撲滅でしょう。実際に、計画が動いたのは、前任者第2代WHO事務局長マルコリーノ・ゴメス・カンダウ博士時代の1958年でしたが、地球上から完全にその患者が消失した唯一の疾患として、天然痘の撲滅が宣言されたのは1980年でした。が、マーラー局長は、ある病気の撲滅以上に大事なことは、基礎的な保健サービスがあまねく行き渡ることと考えておられたようです。そしてその考えは、長いWHOインド事務所勤務中の、いわゆる途上国の健康問題の解消にBasic Health System(基礎的な保健システム)の整備が重要との認識を持たれたことではないかと思います。1975年、マーラー局長率いるWHOはUNICEFと共同で「途上国の基礎的な健康ニーズを満たすための代替方法(Alternative approaches to meeting basic health needs in developing countries)」を刊行しました。HFAそしてPHCに至る最初の重要な一歩が文書化されたものだと思います。私は、引退された10年後、第4代事務局長中島宏先生時代の本部で勤務しましたが、ほんの1、2度マーラー博士をお見かけしたに過ぎません。最初、この方がHFA・・・PHCの創出者!!といささか歴史上の人物を見るような想いでした。財団とは、深い関係がありますが、それはまたの機会に。

さて、この時の片やUNICEFのトップは、ジェームズ・グラント(James P. Grant 1923.3.12-1995.1.28)氏でした。通称ジム・グラント事務局長が北京生まれなのは、当時、カナダ国籍のご両親が北京で勤務中だったからです。父上は、アメリカの財閥ロックフェラー財団が北京に設立した7年制のペキンユニオン医学校の初代公衆衛生学教授だったからですが、何とジム・グラント自身は15歳まで中国育ち。その後、カリフォルニア大学バークレー校で経済学、ハーバード大学で法律を学ばれ、第二次世界大戦後に米国籍を取得です。このご経歴を知るまで、ずぅっとお生まれからアメリカ人と思っていました。いずれにせよ、ジム・グラントは、アメリカの初期国際協力担当行政官として国際活動を開始、比較的長く、東南アジアに関与されているのは中国生まれのせいでしょうか。1980年にUNICEF事務局長就任後、1995年までPHCの推進、GOBI-FFF(注)、Child Survival、世界子供白書・子どもの権利条約、国連子どもサミットなどなど、UNICEF黄金時代を創られたと思います。2,3度お目にかかる機会がありましたが、少し長くお話しできたのは、国立国際医療センター派遣協力課時代、橋本龍太郎首相(UNICEF議連の創設メンバー)の入院中のご母堂をお見舞いに来られた時、緊急的に開設したUNICEFアフガン事務所で勤務した職員がいるということで、色々と聴かれました。ジェームズ・ボンドみたいに格好良いジェントルマンでした。

今のアメリカ開発庁USAIDの初期のお役人であった時代に、ジム・グラントは、ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院で、毎年、国際協力についての講義をしていたそうです。ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院は、世界初の大学院大学として、また、世界初の公衆衛生専門家の養成校としてアメリカメリーランド州ボルティモアに、1916年、ロックフェラー財団の資金で設立されています。ジム・グラントのお父上は、その第一期卒業生だった・・・そしてロックフェラーが北京に開設したユニオン医学校の教授であった・・・と云う次第ですが、ホプキンスには、もう一人、重要な関係者がいました。

後に1978年、アルマ・アータでのPHC宣言を草案されたカール・テーラー教授です。

1973年、ジム・グラントは、講義の際に、カール・テーラー教授のインドでの子どもの肺炎対策、経口補水塩治療、新生児破傷風予防、家族計画という体制が、当時、アメリカが進めていた緑の革命による栄養補給と並行して進められれば・・・と述べていますし、テーラー教授は、後に長くUNICEF中国事務所長を務められ、ジム・グラントとのコンビは超強力で不動のものの様でした。

ハルフダン・マーラー、ジェームス・グラントそしてカール・テーラーの進めようとした保健改革・・・革命といってもよいほどですが、これらの先達が救った命は、ヒットラーやスターリン、毛沢東が奪った生命の数をはるかに超えているという人もいます。そして、最終的には、PHCとして集約される方法は、決して高度先進技術や高価な機器、薬剤を必要とはしていません。その担い手は誰か・・・住民の傍にいて、あるか無いか自分でも意識すらしていない人々の想いを汲みだし、人々の生きざま、暮らしを丸ごと見守り、その健康を看られるのは誰か??

村の保健員、も少し専門性の高い看護師・・・が存在すれは、どんなに素晴らしいか・・・

カール・テーラー博士とPHCは、次回。

 

(注)GOBI-FFF:ジェームズ・グラント イニシアティブのUNICEFの支援プログラム
Growth monitoring(発育観察)、Oral rehydration therapy(経口補水塩療法)、Breastfeeding(母乳育児)、Immunization(予防接種)とFamily planning(家族計画)、Female education(女子教育)、Food supplementation(特に妊婦への栄養補給)を組み合わせた保健支援。