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看護師が社会を変える-4 PHCという画期的な発想

1977年、第30回世界保健会議(WHA)で、「すべての人に健康を(HFA)」が合意された翌年の1978年、9月6日から12日まで、旧ソビエト社会主義共和国カザフスタン地方(現カザフスタン共和国)のアルマ・アタ(現アルマトイ)で、WHOとUNICEFが主催の、世界135ヶ国他国連代表らが参加した第1回プライマリ・ヘルスケア(PHC)国際会議が開催されました。そこで採択されたのが、アルマ・アタ宣言とも通称されるプライマリー・ヘルスケア宣言(注)です。

PHCが画期的だったことは、開発理念の中にヘルス/健康を持ち込んだ最初の国際宣言であったことです。開発とは、国が経済的に発展することの考えが広がっていった時代に、真の開発において、最も大事なことは人々が健康であることだとし、すべての人々の健康を保護促進するために、すべての政府とすべての保健・開発関係者さらに国際社会は緊急的に行動すべきと宣言したのです。今では、当たり前のように思っていることですが、コロンブスの卵だったというか、目からウロコ、あたまをガツン!とやられたとの想いの関係者も多かったでしょう。さらにスゴイのは、保健医療といえば、立派な施設、高度医療技術と熟練した医師ら専門家のいる病院が必要と思っていたであろう人々に、PHC宣言は、そんなものは必須ではない、primaryすなわち基礎的な保健サービス(医療と云っても可)が重要なんだと強く訴えたことです。

それ以来、世界はPHC一色化したとも申せます。WHOの加盟国のすべてが、前年に合意された「HFA(すべての人のために健康を)」という目標達成のために、主に開発途上国でのPHC実施実践がはかられました。PHCは、決して予測されたようにうまく働きませんでしたが、やがてすべての国々にも適用されつつ、20世紀の最後から21世紀を貫く開発の柱であり続けています。 すなわち、1977年のHFAと1978年のPHCアルマ・アタ宣言以降、人間開発、人間の安全保障、開発と人口、ミレニアム開発目標、持続的開発目標といった全世界的開発の取り組みの基礎に人々の健康がおかれていると申せましょう。

この画期的な健康を中心にした世界的宣言を草稿されたのが、ジョンズ・ホプキンス大学に、世界で初めて国際保健(International Health)という学際的分野を持ち込まれたカール・E・テーラー(Carl Ernest Taylor 1916 7.26-2010 2.4)教授です。先のブログに書きましたが、15歳までの中国育ちのジム・グラントUNICEF事務局長とテーラー先生は、大変、ウマがあわれていたのですが、同じようなユニークなご経歴故だったからかもしれません。

カール・テーラー先生のご両親は、インドの北部ネパールに隣接するウッタランチャル州の、ヒンドゥ教の街ランド―ルを拠点に宣教活動をされていた医師でした。テーラー先生は、そこで生まれ18才までそこで育たれました。幼時期に既に人々の中に入ることが重要と知っていたかのように、両親とともに牛の曳く車で村々を巡回しています。長じてアメリカに帰り、ハーバード大学で医学をおさめた後、ジョンズ・ホプキンスでパブリック・ヘルスを学んでいます。最初の勤務地はパナマ、ハルフダン・マーラーのエクアドル同様、南米でした。これも先のブログに書きましたが、ジム・グラントUNICEF事務局長が、ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院で講義を始められたきっかけが何だったのか、まだ、調べ切れていませんが、1973年頃には、お二人の関係が確立していたものと思われます。WHOのハルフダン・マーラー事務局長とUNICEFのジェームズ・グラント事務局長・・・そしてそのジェームズ・グラントとカール・テーラー、役者がそろったというべきかもしれません。

30年も昔ですが、わが国の文民による本格的?紛争地支援として、7派のゲリラグループが割拠するパキスタンのペシャワールに新設されたUNICEFアフガン事務所に勤務した折、自分には公衆衛生の知識がないことに気づいたことで、後に、特別研修生としてホプキンス大学院にまいりました。実は、その過程で、テーラー先生との文通が始まったのですが、ホプキンス滞在中以来、先生の最後の20年間、何度も、研究室やご自宅でお目にかかる機会を頂いていた上、私的なパーティにもご参加頂いたこともありました。世界100ヶ国以上に広がっている先生の弟子たちには、PHCのみならず、国際保健の神様と信じられていますが、割合、歳をとっていた特別学生の私には、色々なエピソード、アルマ・アタ宣言草稿にまつわるお話も頂きました。

その一つに、人々の中にあって、人々とともに、その健康についての考えを共有し、多少は必要な介入も果たせるのは、中国の裸足の医者(注)のような人々だろう、そして、国のあらゆる地域を取りこぼすことなくカバーするには、やはり、そのような制度が必要かもしれないと仰せでした。

2018年、プライマリー・ヘルスケアの40周年が、第1回会議と同じ、カザフスタン共和国のアスタナで開催されました。その宣言の仮訳がありますが、記憶すべきは、「だれ一人、取り残さないこと」に尽きると思います。

そうです!!「だれ一人、取り残さない・・・No one leave behind.」 それこそが、カール・テーラー先生が願われていたことです。そして、わが国だけでなく、格差が広がっている世界の多数の国々にあって、だれ一人取り残さずに、その身体的、精神的、社会的そしてスピリチュアルな健康を護れるのは、世界で最大多数を占める看護師をおいてないと、私は確信しています。

なぜPHC?なぜ、看護師?なぜ、笹川保健財団が?を近日中に・・・

 

(注)アルマ・アタ宣言の中で、良く引用されるPHCの解説

PHCとは、「現実的で科学的妥当性があり、社会的にも受け入れられる方法と技術に基づき、地域社会の誰でも、また、家族も、自分たちがフルに参加できて、また、普遍的に利用出来る、そして人々の自己決定の精神にも基づいた、さらにいかなる開発過程にあっても、地域社会や国が維持可能な経費で提供しうる、必要不可欠な基礎的なヘルスケア(Primary health care is essential health care based on practical, scientifically sound and socially acceptable methods and technology made universally accessible to individuals and families in the community through their full participation and at a cost that the community and country can afford to maintain at every stage of their development in the spirit of selfreliance and self-determination.  PHC宣言の第6節)」をいう。

*主要な要素8項目 ①健康教育の普及 ②風土病の予防 ③安全な飲み水の確保 ④母子保健と家族計画 ⑤予防接種 ⑥栄養改善 ⑦簡単な病気やケガの手当て ⑧必須医役員の配備
*基礎的なアプローチ ①住民参加 ②適正技術 ③地域の資源の有効活用 ④他分野(教育、農業・栄養)との協調

(注)中国の裸足の医者

1960年代から1980年代にかけての中華人民共和国の農村において、最小限の基本的な医学および救急医療の訓練を受け、「医者」として働いていた農民。「裸足の医者」の目的は、都市の訓練を受けた医師が定住しない農村地域に医療をもたらすことにあった。彼らは基本的な衛生、予防医療、家族計画を促進し、一般的な病気を治療した。この名称は、田畑で裸足で働くことが多い中国南部の農民に由来している。(Wikipediaより抜粋)