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看護師が社会を変える-5 だれ一人取り残さないを目指していた財団開祖

臨床医、国際保健・・・公衆衛生を経て、看護教育にも関与させて頂けた私の社会人生活は、そこで終わるはずでしたのが、ご縁があったのでしょうか、現在の職場にまいった後、夢がかなう思いがするほど、深く広くなりました。と申すより、生まれ、生きてきたことを総括できる場を頂いた思いでおります。

今まで記したように、「すべての人に健康を(HFA)」そしてPHC宣言のいう珠玉の開発理念は、ハルフダン・マーラーWHO事務局長、ジェームズ・グラントUNICEF事務局長と、カール・テーラー ジョンズ・ホプキンズ公衆衛生大学院教授というトリオによって生まれたと申しても良いかと思います。

この20世紀後半以降の世界を貫く不変の理念と軌を一にする考えをもち、それを世界的規模で実践してきた日本人が、すぐ傍に存在していたことが判りました。ほかならぬ財団の開祖笹川良一翁です。ご承知のことですが、財団は、翁が世界のハンセン病対策を目指し、わが国で初めてその特効薬を造られた石館守三先生を理事長として、自ら会長に就任しての開設でした。

翁が、「世界は一家、人類は皆兄弟(姉妹)」とおっしゃったことは割合良く知られていますが、その最初がいつだったのかはあまり関心がもたれていないように思います。私自身は、1946年2月、翁が収容されていた巣鴨プリズンで記された日記にあることを確認していますが、実は、それより早く、1939年の日記にあることが、ご令息である笹川陽平日本財団会長のご著書『残心』にあります。巣鴨日記には、前後して世界平和、飢餓の解消、そして子どもへの教育の重要さについても述べてあります。灯台下暗し!!とはこのことでした。

「Health for ALL・・・すべての人に健康を」は1987年、健康を獲得する手段の公平さ、公正を訴えたPHCはその翌年です。1948年とは、HFAとPHCの30年も前に、ほとんど同じ発想を持った日本人がいたのです。それも敗戦で荒野となった国土、皆が打ちひしがれていた、食うや食わずやの頃に、そしてご自分は、後に疑いは解けて無事釈放されたとはいえ、戦勝国支配のプリズン・・・戦犯収容所に幽閉されている中・・・で、世界を睥睨する発想を、何とも卑近なことばで述べておられる・・・何という方でしょうか!!

PHCが画期的だったことは、開発理念の中に「すべての人々」の「ヘルス/健康(とそれをもたらす手段」」を持ち込んだことですが、1940年後半、わが国に改まって開発という発想よりは、あっても国土の復興の考えがあったに過ぎなかったでしょう。が、翁のお考えは、一国に留まらず、世界・・・つまりすべての国であり、その国々に住むさまざまな人々すべてを包含して、「皆が兄弟姉妹である」と声を上げられた、何という気宇壮大さでしょうか。

財団は、その翁の理念に基づいて、ハンセン病対策に着手し、医学的さらに公衆衛生学的アプローチから、ハンセン病に罹患したことで、また、回復したものの障がいを残しているために差別偏見の対象となっている人々の自立・・・横文字的にはエンパワーメント、そして差別偏見の解消に着手してまいりました。一方で、後に財団名誉会長をつとめた日野原重明先生のイニシアティブによる緩和ケアの発展への関与、そのための人材育成支援も、病める人、苦難を持った人々への癒しを与えられる、ケアの担い手の育成ですが、すべからくすべての人々に多様な面からの健康をもたらすお手伝いと、改めて認識する次第です。現在は、病める人々、障害を持つ人々への直接介入であるハンセン病対策事業と、病める人々、苦難を持つ人々を支援する専門家養成という、いわば間接的介入が財団の二大事業ですが、改めて、世界とすべての人々の健康を願います。

昨日12月12日は、2017年に決まったUHC(Universal Health Coverage、だれ一人取り残さない)の記念日でした。今年は、財団設立45周年、そしてわが財団開祖笹川良一翁の生誕120周年です。財団一同、心して、引き続きすべての人々の健康のために努力致します。一層のご支援ご指導を切にお願い致します。

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