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『五島崩れ』ー潜在キリシタン迫害の物語 舞台化

かつての看護大学学長時代、学生諸氏の読書推進のために二つの試みをしました。ひとつは、毎年、入学式に際して「学長がすすめる100冊の本」を提案しました。初年度は何となく選びましたが、2年目以降はテーマをしぼり、女流作家とか、九州の本とか・・・もひとつは、岩波新書を全巻用意し、新入生に5月連休までに、最低1冊の読書感想文を提出して頂き、連休明けから、夏休みまで、ひとりひとりとそれを材料に対話することでした。これらに加えて、当時の総務部スタッフの尽力で始まったビブリオバトルは、今も形を変えつつ続いていると聞いています。本を読むことは、大学生の仕事と思っていました。さて、この本は、女流作家編にも九州編にも入っていません。当時、絶版だったのでしょうか、手に入らなかったことを覚えています。

「五島崩れ」とは、明治時代初期に、長崎県五島列島に難を逃れたキリスト者の過激な迫害を受けた壮絶悲惨な事件を云います。その史実を基に、福岡市出身で、『モッキングバードのいる町』で第82回芥川賞(1980年)を受賞された森禮子氏が創作された小説が『五島崩れ』です。たまたま、末席を汚している九州文化協会の前事務局長横尾和彦氏から、この本を舞台化する応援団になって欲しいとの依頼がありました。

ならば、何としても読まねばと探しました。運よく、間なしに古書店の広報で見つけて入手しました。

なかなかに読み応えがあるというか、テーマからしてシンドイ本、迫害の歴史です・・・一度は舞台化が流れたというのも納得、悲惨で、深刻で、重々しい話、しかも史実でもあり、現在も、その後裔が実在されている。どんな舞台になるのか、再度の舞台化応援団として末席を汚す決心をしたのは、差別偏見迫害に対して抵抗した、人間の尊厳をまもるためにいのちを賭けた人々の物語であるからでした。さて12年間の福岡住まいで、上手に使うことは不可能ながら、独特の雰囲気にぴったりの九州弁でしょうか、この地の微妙な言い回しにも少しは馴染んだなどと思っていましたが、明治初期の五島地方の言葉は、やはり難しいです。少々の苦労ではありませんが、物語の展開に魅せられて短時間で読み通せました。この舞台化は、たった1日しか上演されません。今回は、12月13日の昼、夜2回だけなので、鑑賞できるのは千載一遇の機会でもありました。

物語は・・・五島列島久賀島<ヒサカジマ>の、密かにキリスト教を信じる人々が住む貧しい村、間もなく祝言を上げるミツという器量も気立てもよい娘がヒロインです。長崎の大浦天主堂の神父から、直々に教義を学び洗礼を受けるために、密かに数名が海を渡ります。帰路、役人の調べを前に、せっかく手に入れた聖牌やロザリオを海に捨ててしまいます。それを探すために、何度も冷たい海に潜った許婚の幸吉は命を失います。悲嘆にくれ、神への信仰が揺らぐミツを見初めたのは、キリスト者を取り締まる役人の慶馬・・・結局、心を隠したままその妻となったミツは、幾重にも心を偽りつつ、身を引き裂かれるような想いの中、裁縫箱の中に潜めた聖牌を頼りに、慶馬の妻として生き、やがて身籠る。が、真にこころを開かぬ妻、幾分迷いつつもキリスト者が転ぶことを仕事にするお役人としての慶馬。妻の出自ゆえに冷ややかな同輩、慶馬の迫害は過酷さをます。故郷の人々が拷問を受けていることを知ったミツは、里帰りを理由に慶馬のもとを去り、郷里久賀島の、浜辺の狭い番小屋に幽閉されている村人の元へ帰る・・・やがてその地にやってきた慶馬は、余命いくばくもないミツと再会し、ミツはこの世を去る。慶馬は、ミツの棺桶に聖牌を納め、許婚の幸吉と同じ浜辺にミツを葬る・・・

人は、何故、人を差別するのでしょうか。また、迫害されても拷問にあっても人は信仰を失いません。信じる信じないと云うことは何なのでしょうか。差別、偏見、迫害、拷問は、同じ輪の上にあり、また、信仰、思いやり、いたわりも、また、別の同じ輪の上にあるように思います。それらは、常に顕わであるわけではないのですが、いったん、そのマグマが動き始めると強固な、侵しがたい、そして止められないエネルギーを発し続けるのでしょうか。

「福岡が・・」なのか「九州が・・」なのか判りませんが、福岡の名門舞台「博多座」では、数年来、郷土の、隠れた名作が、割合、皆ご存知の歴史上の人物に光を当てた演じ物が上演されます。まず、地元ではおなじみの神屋宗湛(カミヤソウタン 1551.2.6-1635.12.7 戦国から江戸時代の茶人、戦いで荒廃した博多の街を復興)、幕末の勤皇派歌人野村望東尼(ノムラモトニ 1806.9.6–1867.12.1 幕末の豪胆な女性歌人、勤皇の志士をかくまったり、高杉晋作の最後を看取る)、そして沖ノ島の世界遺産登録のためには、直木賞作家安部龍太郎氏書き下ろしの「姫神」です。それらも、今回も、地元で活躍されている表現者や、上演に際して公募された方々が演じられますので、一見、難しげな地方の言葉も、十分、こなれていて、それが故に舞台の雰囲気は馴染みやすい柔らかさがあるように思いました。

今回は、平戸市生月島<イキツキシマ>の実在の「かくれキリシタン」の方々が、劇中で、「唄オラショ」を唱えられました。私には、もちろん、判らない祈りの言葉でしたが、古く伝わったラテン語の聖歌・・・身が引き締まる雰囲気はありました。

蛇足ですが、私が、『五島崩れ』の劇化に賛同したのは、現職場の笹川保健財団がすすめるハンセン病に関わる差別偏見そして迫害への対策と意味は同じと思ったからです。

人は物理的心理的迫害によっても人間としての尊厳をまもることは諦めません。が、執拗に続く、また、新たに生まれる偏見や差別に対して、私たちは、どのように対応するのが良いのか、ちょっと哲学的になりました。