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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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カミサマになった哲先生

 

これほどの快晴はないというほど晴れ上がった一日、中村哲先生のお宅を訪問しました。

大牟田市の郊外、農村の趣もある一角に、あの哲先生が住んでおられたお宅がありました。30年前、ペシャワールで、何度も夕食をごちそうになった令夫人とは、過去、何度か電話ではお話したものの、お顔を拝見するのは30年振り・・・こんなことでお会いしたくなかったと、お互いに涙の再会でした。

たくさんのお花に囲まれた祭壇の中に、何度も繰り返しTV放映された告別式での遺影が、柔和な、少しはにかんだような、そして私には、現地での精悍さに比べ、白髪の先生は、少しくたびれたようにもみえました。

「あなたに、今、何と云えば良いの?」私は、言葉にならない言葉を胸の中でつぶやきました。「なぁーも云わんで、よか・・・」先生のお顔が、ちょっと微笑んだように見えました。

30年前の、あのペシャワールでの暑く、ほこりっぽく、そして時に銃声が響いた日々。

約20年前の、今から思えば、少し思いつめたように『医者 井戸を掘る』の草稿を持参された時、そして2年前、偶然お目にかかった福岡空港で、アフガニスタンの女性の状況を、一度、視に来てほしいが、治安が・・・と仰せになったことが思い返されました。

カミサマのような哲先生、本当にカミサマになってしまわれました。でも、私は、サヨナラは云いません。

同行してくださったのはペシャワール会の面々でした。

哲先生の、特にペシャワール現地での代理役を長く勤められ、先日のご家族のカブール入りにも同行された、先生の片腕でもあり、また、ブレインでもあり続けられた看護師ドノ、30年前、ボランティアとして、やや治安不穏の現地に来られたうら若き英語の先生は、当時の私の年齢をはるかに超えておられましたが、お住いのニューヨークから急遽戻られました。

そして、これからのペシャワール会を引き継ぎ、哲先生のご意思を継続すると、弔辞で宣言された会長は、哲先生の親しい後輩ですが、何と私とは高校が同窓であることがわかりました。そして補佐役の副会長は小児科医、事務局長とは共通の知人がいることがわかり、大牟田までの往復の道を運転してくださった、これも英語の達人は、かつての職場スタッフの同門、と私のペシャワール会コネクションは一気に太りました。

ご自宅に戻られた折の哲先生が草むしりをなさっていたという南側の庭には、巨大な柿の木がありました。そしてあたりには、レモン、キンカン、などなど実のなる木が植えてありました。何か、アフガンの地でも・・・とお考えだったのかしら、と思いました。そして、バラの花。

先生が思索されたお部屋、書棚には歴史書、イスラム関連の本、ご自分の著書に交じって、土木、灌漑の書籍がありました。そして、古ぼけた書棚とは対称的なオーディオセットと、沢山のCD・・・

カミサマになってしまった哲先生、また会いましょう!!