JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

国の消長ー2月6日の続き

アメリカでは、あれだけ騒がれたにもかかわらず、大統領弾劾は一瞬のうちに、といった風に否決されました。大統領に不利な証言をしたとして、新たに二人の政府スタッフが職を解かれましたが、あくまで民主主義の下に選出された首長の行為が、民主主義に基づく、その国の制度に従って、粛々と審判されているのですから、何も申すことはない・・・

それはそうです。が、他国の首長とは申せ、長年、仰ぎ見てきた世界のリーダー的な存在である、かの国のトップ、世界のリーダーのなさってきたことを、十分承知しているとは申せませんが、何だか腑に落ちない・・・という感じは否めない、私の小さな感想です。そう云ったら、他人<ヒト>の振り見てわが振り直せと云いますが、と知人にたしなめられました、ハイ。

国の消長と云えば、まず、どうして国が生まれるのか、です。

国家の始まりは、ギリシャやローマの都市国家でしょうか。家族、その血縁が集まって小さな集落になり、それがまた連帯して大きな部族社会ができ、やがて武力を持った長が、王や皇帝として君臨して封建集落となり、それらの小国家が並列し相争った。それは、洋の東西を問わず中世の姿、国が大きくなって行く過程でしょうか。

そして、そのあたりまでは宗教も大きな役割や影響力をもっていました。

前回のブログに書きました災害の語源は、ギリシャ語で悪いという接頭語δυσ-(bad)と、星を占めすἀστήρ (star)がくっ付いて出来た単語「悪い星回り」です。

星回りをみていたのは誰かと申しますと、まずは占い師、そして宗教者が権力を握り、やがて天文学者が生まれました。コペルニクス(1473年2月19日ー1543年5月24日)やガリレオ(1564年2月15日ー1642年1月8日)らによって、動いているのは太陽ではなく地球なのだと証を示し、宗教的な解釈では辻褄があわなくなって、やがて中世は終焉を迎えます。

そしてルネッサンスという、ギリシャ・ローマ文明の復活を目指す動きとともに、近代科学が萌芽しました。それとともに武力つまり戦力も発展したことで、国力が武力で決まり、大きな軍隊をもった皇帝や王が君臨しました。島国であったからともいえますが、わが国の江戸時代には、大きな戦争(外国との戦い)は皆無といっても良いほどですが、当時の世界であったヨーロッパでは、明けても暮れても戦いが続いていました。武力に代わったのは経済力ですが、実は、どれほどの武力すなわち軍備力をもっているかが国の力であることは、今も変わっていないような気もします。原子力兵器の保持は制限されてはいますが、「造ってしまえばこっちのものよ!!」式に割り込んだ国々もありますし、そもそもある時期までに作った国だけによって新入り制限するというやり方も、それでいいのかな・・・と個人的には思います。もちろん、原子力兵器に賛成は致しませんが。

話は日本の国造りです。

日本という国のはじめは、古事記によりますと、イザナギとイザナミという神さまが、天(あめ)と地(つち)がつながる天の浮き橋に立ち、矛<ホコ>で下界をかき回してから、それを引き上げますと、矛の先端からしずくがしたたり落ちました。それが、わが国最初の国土であるオノコロ島となりました。オノコロシマは、淤能碁呂島<オノゴロシマ>とも磤馭慮島<オノコロシマ>とも、自凝島とも書かれますが、最後の字は、自<オノ>ずから凝り固まった島・・・火山国の日本らしい字だと思います。私は、このオノコロ島という音を耳にしますと、いつも、ひょっこりひょうたん島を思いだします。素敵な名前です。

さて、わが国最初の国土である島をお造りになった二柱のカミサマは、天から下ってそのオノコロシマに立ち、「天の御柱」の周囲を、男神のイザナギは左回り、女神のイザナミは右回りに回り、出会ったところ、お互いを誉めそやし夫婦となられました。この時、最初に女性の神が「まぐわい」を誘ったので、やり直されたそうですが、日本国の成り立ちの最初にジェンダーイッシュウ(問題)があったのですね。二柱のカミサマがお造りになったのは、まず、淡路島、次いで四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州・・・とあります。屁理屈こねて、カミサマはどんな格好であったのか、天とはどこか、天から下界に届くホコの長さはいくらか、どうやって天から下ったのか・・・「天の御柱(淡路島にある)」をめぐるって、めぐるほど大きくはない・・・などと云ってはいけません。神話って、信じると面白く、疑っても、また、別の興味がわきます。

では、国とはなにか、です。

学問上と申しますと、また、ややこしいのですが、国を規定するのは法学や政治学です。付け焼刃的な学習とも云えない読みかじりですが、ドイツの法学者イェリネック(1851年6月16日ー1911年1月12日)によりますと、「国家の三要素」とは、①領域として一定区画の広がりがある領土、領水、領空があること、②国民=恒久的にその領域に属する住民がいて、近世の難民化や移民とは異なり、簡単に国籍を抜いたり戻ったりしないこと、③正統な物理的実力として主権があることとされています。

近代国家という言葉は、同じくドイツのマックス・ウェーバー(1864年4月21日ー1920年6月14日、誕生時の祖国プロイセン、亡くなったのは新生ドイツ国)が言い出したそうですが、ウェーバーは、国家とは、武力?暴力的行為の執行権を軍隊や警察が独占していることと、官僚や国家あるいは地域の議員による統治組織を維持する職業で生計を立てる集団による政治的共同体が存在することとしています(と私の理解です)。この方、1920年に亡くなっていますが、1919年から流行りだしたスペイン風邪、今のコロナ騒ぎ元祖でもあるインフルエンザウイルス大流行時の肺炎で亡くなったそうです。

では、近代国家としての形態が整えば、それでよいのか。ひとまず、それで良いはずだった、確かに、近代には、多くの国がこの形態に行き着いて初めて安定にたどり着きました。そして、20世紀の二つの世界大戦を経て、さらに国際的な協調をもった近代国家的形態が整えられました。

昨年は第一次世界大戦から100週年でした。その戦場となったヨーロッパでは、相当数の記念式典も行われ、関与した多くの国のリーダーが参加しました。が、現在、安定しています、と自信をもって云える国とはどこでしょうか?と云いたい程、どの国もこの国も問題を抱えているように見えます。銃規制や保健制度が問題であり続けているアメリカも、Brexitを達成したものの英国も落ち着いていとも申せないし、昨年来何度も大きな反大統領デモが起こっているフランスも、長く続いたメルケル時代が終わるドイツも、COVID-19に揺れる中国も・・・そしてわが国も、何だか先行きバラ色ではない、と感じることが増えているように思います。

国家とは生き物のように、生まれ、未熟な時代を経て、成熟し、そして年を経て・・・どうなるのか。

次回、その昔、勤務した、いわゆる「破たん国家」と対比したいと思います。