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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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国の消長ー追加 感染症と国家

先週から、全国の小中学校と高校が休校になりました。喧々諤々のご意見があるのですが、本当のところ、では、どうすればよいのかと問われたら、日本の津々浦々のどこにもピタッと来る方法は見つからない・・・やってみるしかないのかもしれません。

今や、わが国だけではなく、3月9日現在、すでに101ヵ国に広がった感染症の最初は、昨年12月に、中国の河北省武漢市で始まった肺炎からでした。最初に同定された(科学的に存在が認識された)新型コロナウイルスで、これに対し2月11日に、世界保健機関(World Health Organization、WHO)が、COVID-19と命名しました。しばらく、新たな感染症とされ、“2019-nCOV”とか“SARS-CoV-2”とか、日本では「新型コロナウイルス」とともに「新型肺炎」と病名的呼ばれ方をされたりしていましたが、正式には“COVID-19”つまり、2019年に新たに発生したコロナ(corona)と呼ばれるウイルス(virus)群に属し、人間に病気(disease)を起こすことが含まれた名称を与えられました。

病気や医療の歴史また病気の広がりを研究する疫学Epidemiologyを聞きかじったものとしては、2、3の感染症大流行と病気によって国や地域の活性が変化した事例を思い浮かべます。

まずは、ペストです。ペストはペスト菌の感染症ですが、ネズミ、イヌ、ネコ(サルも)がこの菌を持っていて、その血を吸ったノミが人間の血を吸う際にヒトに感染させます。西欧で、黒死病(Black Death)とされたのは、肌の白い人種が、ペストの末期には、皮下出血するため、遺体が黒く見えるためのネーミングです。菌が見つかったのは1894年ですが、近代にいたるまで、何度も大流行をきたしています。

西暦395年、東西に分裂したローマ帝国の一つ東ローマ帝国(ビザンティン帝国)では、ユスティニアヌス1世(在位527年-565年)時代に大流行し、皇帝も罹患したことから、「ユスティニアヌスのペスト」とも呼ばれます。現在のエジプトからパレスチナ地方へ、さらに首都のコンスタンティノープル(現イスタンブール)に広がり、帝国人口は半減しました。人口減!!では、現在、わが国が遭遇している深刻な問題ですが、1500年前にも国の存亡にかかわったのです。病気の最盛期には、首都で毎日5,000人以上、時には10,000人も亡くなったと記録が残っています。この感染症は、もう一度、歴史に出ます。14世紀、中世初頭のヨーロッパです。とにかく、当時のヨーロッパ人の1/4とも1/3も云われる人数、約2,500万人が亡くなっています。ペスト大流行後、都市では無人となった家に他所者が住み着いたり貴族の養子に入り込んだり、農村では人不足から農民の権利意識が高まったとか。一方、生活レベルが良かったこともあって、あまり犠牲者が出なかったユダヤ人への迫害や差別が生まれたとも記録されています。

忘れてはならないのは検疫(英語ではquarantine)と云う言葉。語源はイタリア語のquarantena(40)です。1347年、ヨーロッパのペスト大流行時、貿易大国ヴェネツアは、インド辺りからの船が来ると病気が発生したため、最初30日、後に40日間、船を港外繋留し、その間、船内に病人が出なければ、荷揚げを許した。その期間が検疫の語源です。今回のダイヤモンド・プリンセス号も、その意味では、COVID-19 の潜伏期間である14日間の独り歩きもありましたが、実態のわからない感染症では、検疫、隔離の在り方が難しいです。もう一つ難しい検疫は動植物です。ちょいと内緒で持ち込み、飽きるとポイが、外来種の蔓延と固有種の絶滅につながる・・・留意したいと思います。

近代の19世紀のロンドンでコレラの大流行がありました。コレラは、インドの東側のベンガル湾辺りが原産地とされるコレラ菌の感染症で、菌で汚染された食べ物や水により感染し、激烈な下痢をきたします。感染力は極めて強いのですが、ペストのように人口激減する大流行はありません。しかし20世紀に至っても、万の桁の死者が出る流行は、時々、発生する他、元来、コレラフリーだったアフリカで、いつでもと云えるほど発生しています。現在は、第7回目の世界規模感染が広がっています。

コレラ菌は、1884年、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホが見つけました。細菌学の幕開け・・・近代医学の魁でもありましたが、ロンドンのコレラ騒ぎは、原因である菌が見つかる30年も前の1853年でした。その時、原因は判らなかったけれども、一台の手押しポンプの排水路を通じて病気が広がっていることを突き止めたのが、麻酔と今でいう公衆衛生学を学習していたジョン・スノウ(John Snow 1813年3月18日-1858年6月16日)です。そのポンプの使用をやめたことで、病気の広がり、流行は終わりました。今も、ロンドンのウエストミンスター ソーホー地区のブロードウィック通りにそのポンプがあります。傍らには、ジョン・スノウというパブもあります。

20世紀には二つの世界規模戦争がありました。第一次世界大戦時の後半1918年に、ヨーロッパに派遣されたアメリカ軍から広がったとのウワサもありますが、1918年、19年の2度の流行で、5億人が罹患し、5,000万人以上が亡くなった、日本では人口約5,500万のところ40万人弱の死者とされています。私の身内でも、日本風に大正風邪とよばれた、その人類初のインフルエンザ流行で何人も子どもや高齢者が亡くなったという話を聞いたことがありました。

そして、現在は、新たな脅威コロナウイルスです。WHOや各国が懸命の対策をとっていますし、何より短期間に、罹患者の詳しい医学所見や感染経路の情報が公開される・・・時代です。病原体が、テロの目的で、悪意でばらまかれた・・・の仮定は別にして、如何なる感染症であっても、直ちに昔のように大量の生命が失われるとは思いませんが、近代化工業化社会の活動や人々の移動の停滞は避けられません。

人類の生存、繁栄は、感染症との闘いともいわれてきました。20世紀中庸、私が新米医師になったころには、目覚ましい医学技術や特に抗生物資の発展から、やがて感染症は克服されるとの期待もありました。が、そうは行きませんでした。

どの感染症でも、病原体が独自に海を渡り、空を飛んで広がっているのではありません。発病しているいないにかかわらず、体内に病原体を持っている人、つまりある病原体に感染している人や動物が移動することに伴って、病原体も移動します。例えば、今でも議論はあるそうですが、梅毒は、ジェノバの航海者コロンブス(1451年ー1506年5月20日)が、ポルトガルやスペインの艦隊を率いて行った新世界への数度の大航海(1492年ー1504年頃)の後にヨーロッパにもたらされ、その約20年後には、はるかわが国にまで到達しています。それだけの人の往来があったのですね。

新しいところでは、レトロウイルスと呼ばれるウイルスの仲間のひとつヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus、HIV)は、人の免疫系の細胞に取り付き(感染し)、これを破壊し、最終的に後天的免疫不全症候群(Acquired immune deficiency syndrome、AIDS<エイズ>)を発症させます。このウイルスは似たような形態のものが、古くはアフリカで1920年代頃にも存在したと追跡できるそうですが、ヒトに病気を起こす新たな病原体と科学的に認識されたのは1981年でした。そしてわずか10年ほどの間に世界中に蔓延しました。AIDSが国を亡ぼすかと危惧されましたが、この感染症で滅んだ国はありません。しかし、かつて調査に訪れたアフリカ南部の某国では、小さな村の働き手であった男性たちが次々とAIDS死し、数年後にはそのパートナーだった女性たちも亡くなり始め、訪問時には、高齢者と障害者と少数の幼児だけが、かろうじて国際社会や国連の支援で生き延びている状況を知りました。それなりに整った設備のある地域病院は空っぽ、「何故、誰も入院しないの?」とたずねると、「治療する医師も看護師もエイズで死んでしまった・・・」と。そして、平均寿命が2、3世代後戻りしているとの統計も出ていました。

今世紀に入って、最初のSARSそしてその後のMERSと、インフルエンザ、そして今回のCOVID-19と、ウイルスによる広域の感染症が続いています。今や、相当数の国で、移動制限や集会の禁止、学校閉鎖が行われています。国は滅びないけど、社会の活力低下は避けようがない。神様のせいにしてはいけませんが、少し暮らし方、生き方を考えよ!!なのでしょうか。