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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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レーサーのマスク、そして社会活動

何かと話題になるマスクですが、先週、私どもも、そのマスクで異なゲストをお迎えいたしました。

モーターボートレーサーの木村光宏選手です。

香川県丸亀市ご出身の木村選手は、幼少時の数年を施設で過ごされたこともあって、地元香川の自立支援ホームを長きにわたって支援されています。その他、難病の子どもへの支援や、私どもの親財団の日本財団が行っている施設出身者への奨学金の選考委員も務めて下さっています

何か、モーターボートレーサーというと、黒ヒョウのように精悍で、スキなく身構えて、ちょっと近寄りがたいイメージ・・・これは、レースの前です。

実は、このマスク、介護事業所で不要になったのを買い占めようとする動きがあったことをキャッチされた木村選手と、同じく四国ご出身で、木村選手の後輩にあたられる川原祐明選手が、地元で優勝された機会に、「善行を積みたい」(何と美しい言葉でしょうか!)と思われていたことで、川原選手が経費をご負担下さったと伺っています。

モーターボート競技は、日本財団創設者であり、笹川保健財団の開祖でもある笹川良一翁が創設されたこともあって、私どもには、取り分け、ご縁が深いのですが、日本モーターボート選手会のホームページを拝見しますと、ちょっとびっくりします。財団への支援は申すまでもないのですが、現在の上瀧和則会長は、殊の外、奉仕活動に情熱を燃やしておいでのように拝察しています。が、ホームページの項目の並び方は、「Home」、「選手会について」、「情報公開」、この順序は、どこも同じようなものでしょうが、その次が「社会貢献活動」なのです。本来の活動である「ボートレースへの案内」や「選手情報」は、それより後ろ・・・なのです。

私も、東北大震災後、牡蠣の名所、宮城県石巻市狐崎浜を長くご支援されている現場を拝見したり、数年来の北九州豪雨、広島豪雨、熊本地震などの現場で、会長自らが支援されているところにも出くわしましたが、その選手会としての活動以外にも、色々があることを知ったのが木村選手でした。

木村選手からは、話題のマスク・・・レーサーのマスクのご縁でお目にかかることになりましたが、マスクが手に入りそうだから・・・と、旧知の当財団理事長にご連絡頂いた頃、ちょうど、約60カ所の「日本財団在宅看護センター」の仲間たちが、Personal Protective Equipment、通称PPE<ピーピーイー>と呼ぶ個人防御具の払底で、苦労している時期でした。手作りマスクはもとより、全身を覆う防御衣の代わりに、DIYショップや、100円ショップ、文具店から作業着店、スポーツ店まで駆けずり回って、活用できそうなプラスティックのごみ袋、レインコート、ゴーグル、下敷き、透明ファイルなどなどを入手し、失礼ながら、カカシコンクールと見間違うばかりの創意工夫の最中でした。

木村選手のご厚意は、本当にありがたいというだけでなく、いくら注意していても、目に見えないウイルスに感染する、感染させるかもしれない、日々のケアの中の圧迫感もあって、少なくない在宅/訪問看護師たちの気分がぐらつきかねない時期でしたので、レーサーマスクのお陰で、皆の気持ちがホッとしたようです。何故って、医療者への偏見差別が発生しており、それが精神的疲れを深めかねない時期に、不足しているマスクという現物とともに、見ず知らずのレーサーからのご厚意です、外部との連帯を実感できる、とてもありがたいメッセージがあったと思います。全国に散ったレーサーマスクは、ちょうどピークを迎えていた頃の清涼剤ではなく、強壮剤、いえいえ、復活剤でした。

優しそうなお顔立ちの木村選手のお供でおいで下さったのは、私の郷里兵庫県ご出身の白石健選手でした。お若い後輩に、淡々と貧しかった幼少時のお気持ちや、お金儲けをして人を見返したいと思ったなどの激しい想い、駆け出しの頃の切磋琢磨を、時にユーモラスに話されました。そして、十二分に稼げるようになった後は、それをどこかに恩返ししたい(これもレトロな美しい言葉です)とも。今は、パルモアというNGO名の下に、障がい児や特別なケアの必要な子どもへの支援をなさっていることも。それはレーサーとしてだけではなく、一流の社会人として、decentきちんとした大人としての責任を果たすとは、どういうことを説かれているようにも聞こえました。

新型コロナウイルスの広がりで、ボートレースも無観客で行われているのですが、外出したがらないお年寄りをご家族が車でレース場にお連れされることもあって、そのような方々が早く戻ってこれるようになって欲しいと願われていました。

左から木村選手、喜多、白石選手