会長ブログ Chair's Blog

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「8月6日」

75年前の昨日、1945(昭20)年8月6日午前8時15分、日本の広島で、人類は初めて原子爆弾による惨状を経験させられました。第二次世界大戦の、日本がかかわった部分は、太平洋戦争とも呼ばれますが、その最後の最後でした。世界で初めて、核兵器が使われたのです。毎年、どこかでこの時間には、TV放送の「黙祷!」の言葉に併せて、頭<コウベ>を垂れます。今年は、新型コロナウイルスの広がりのために規模を縮小された式典では、マスク姿が多く見られました。

私が育った郷里宝塚は、当時から宝塚歌劇団で名前は知られていましたが、どちらかと云えば、小ぶりの農村だったために、B29という米軍攻撃機の襲来を告げる空襲警報におびえたり、時には、防空頭巾を被って、山の中腹に掘られた大きな防空壕に避難させられたりしたことはありましたが、実際の爆撃にあったことはありません。でも、比較的低いところを不気味な轟音を響かせながら、飛び交う米軍機を見上げた記憶はあります。

ヒロシマ・・・とカタカナで書かねばならない原子爆弾投下の現場を訪れたのは、医学生になってから・・・戦後20年近く経っていました。実のところ、最初は、それでも言いようのない恐怖感と共に長く訪れなかったことに対する、一抹の後ろめたさのような気持もありました。それからの50年間では、何度もあった広島を訪問する機会には、必ず、原爆公園に足を運びます。

長じて国際保健に関与し、特に紛争地や災害にかかわるようになりました。

現在、世界を席巻している新型コロナウイルス感染症パンデミックも、そして戦争も災害の一つです。ヒロシマは戦争でしたが、同じく放射能災害のフクシマは自然災害に続く人為事故ですが、これも災害です。先般来の豪雨や台風、地震や津波、火山爆発といった災害の原因は自然現象ですが、危険な地域に住宅地を拓くことで人為要因が加味されます。最近、各地にハザードマップが出来ているのは、そのようなリスクを共有するためでもあります。

新型コロナウイルスや、インフルエンザと云った感染症は、微生物によるある種の自然災害と理解されます。が、その流行の広がりには、人為的な要因が加味されることが多いようです。

一方、戦争は、自然に発生する災害ではありません。戦争は、外交手段の一形態として、それぞれの国に認められた権利だそうですが、だからこそ国を与る為政者の、そしてそのような人々を選ぶ権利を持っている国民の意思が関与します。

ヒロシマでは、巨大だったとはいえ、長さ3.12メートル、最大径75センチメートル、重さ5トンのたった一つの爆弾で、一瞬にして10万を超える人々が犠牲になられました。今年、新たに加えられた関連の死を加え、324,129柱の御霊が、たった一発のバクダンで生とあり得た未来を失われたのです。

戦争は最悪の災害です。

私の大事にしている言葉に、ユネスコ憲章前文があります。

「この(ユネスコ)憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。

『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。』

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終わりを告げた恐るべき大戦争(第二次世界大戦)は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。

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