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104号大使メッセージ: “Don’t Forget Leprosy”~ハンセン病を忘れないで~ 第1回 私とハンセン病の出会い

2001年、インドのデリーで開催された第1回ハンセン病制圧グローバル・アライアンス会議にて、グローバル・アライアンス大使に任命され、2004年にハンセン病制圧大使となった。

今年は私がWHOの大使に就任して20年にあたる。これを機に、来年5月までの期間で、“Don’t Forget Leprosy”~ハンセン病を忘れないで~、という啓発キャンペーンを始動することにした。合わせて、これから5回にわたり、この場を借りて私自身の過去の活動を振り返る機会とさせていただきたい。

私は若い時から、一回しかない人生をどのように生きるか常に考えてきた。「終わり良ければすべて良し」という諺があるが、死は人間にとって絶対平等です。だから、私は死ぬ間際に、悔いのない人生だったと思えるような日を迎えたいと望んでいる。

私の父は、他者、特に社会的弱者のために生涯を捧げた人だった。ある時、近所に住むお嬢さんが突然いなくなった。後にそれはハンセン病が原因であったと分かり、父はこんな理不尽な扱いが許されるのかと憤ったそうだ。そうした幼少期の記憶もあってか、父は1962年に日本船舶振興会(後の日本財団)を設立した直後から、ハンセン病病院の建設を東南アジアで開始した。当時若かった私は、1976年に韓国で行われたハンセン病病院の開所式に父とともに出席した。その時出会った患者の皆さんは、全く無表情で、目に光もなく、私はあまりの驚きに病室の入り口に立ったままで動けなかった。しかし、私の父が包帯から滲み出た膿の出た手足をさすり一人一人をハグし、自然な形で励ます姿を見て、衝撃を受けた。私が知らなかった世界がそこに存在していた。その瞬間私は、父の想いを引き継ぐことが私の生涯の仕事だと確信した。以来、約半世紀にわたって、私はハンセン病患者数を減少させるために又、人権問題としても取り組みを強化している。

私には3つの行動哲学がある。一つ目は、現場には問題点と答えがあるということ。二つ目は社会活動には溢れる情熱を持ち続け、どんな困難にも耐えうる強い精神力が必要であること。三つ目は、成果が出るまであきらめないこと。だから、私はWHO大使に任命された際、その責務を果たすために、冷暖房完備の快適なオフィスから脱出を決意して、自ら現場に赴くべきであると強く感じた。私がブラジル・アマゾンの奥地から、アフリカ・コンゴの最深部のかつてピグミーと呼ばれた狩猟採集民族の患者探しに出掛けたのは、それが理由だ。その結果、大使の在任中、私は、約100か国、200回以上の現地活動に赴くに至った。(次号に続く)

WHOハンセン病制圧大使
笹川陽平

Leprosy Bulletin#104

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