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テレジンハ・プルデンシオ・ダ・シルバ(ブラジル)

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貧しい家に生まれたの。両親は農業をしていた。結婚したのは13歳の時よ。最初の1年間は素敵だったわ。でもそれからは苦しいだけだった。この結婚で6人の子どもが生まれた。1人は死産だったけれど、5人の子どもはみんな育てたわ。自分の子ども以外にも1人子どもを育てた。でも夫には本当にひどいことをされた。暴力も振るうようになってね。

もうこれ以上は耐えられないと思ったのは、結婚して9年がたった時のこと。別れることにしたのよ。そりゃ一生を夫と過ごして、子どもを育てることができたらどんなによかったかと思うわ。でも、立ち止まって、「もうだめ。これ以上はやっていけない」と言わなくちゃいけない時もあるのよ。夫と別れた時、一番下の娘はまだ2歳だったの。子どもたちが空腹を抱えて寝なくてもいいように、働きづめだったわ。両親が亡くなると、私の子どもの面倒を見てくれる人は本当にいなくなってしまったの。後になって分かることではあるけれど、あんなに若いうちに結婚するものじゃないわね。あの時は、先のことなんか考えやしなかった。夫は私の最初のボーイフレンドで、彼以外は誰も知らなかったのよ。彼は22歳で、私はたったの13歳でね。

今はもういろんなことを知ってるわ。若い女の人たちに、「うんと若い時に結婚しちゃだめよ」ってアドバイスをあげてるのよ。教えてあげたいの。若い時の一番の『夫(パートナー)』は教育よ。学び、働き、何者かになりなさいって。

私がバクラウ(フランシスコ・A・V・ヌーネスの通称。ブラジルの回復者ネットワーク「MORHAN」創始者)に出会ったのは、サンタ・ソウサ・アルホという『定着村』でのことよ。22歳の時に入所したの。今はいい医者もたくさんいるし、ハンセン病と診断されても、それまでと変わりない生活を続けながら治療を受けることができるけど、私の時は違ったのよ。治療を受けるために、私は子どもたちを置いていかなくてはならなかった。胸が張り裂ける思いというのは、ああいうことを言うんでしょうね。そんな時にバクラウに出会ったの。つらいこと、悲しいことをすべて忘れることを、我慢強くなることを学んだわ。何かものがなかったりすると、バクラウはよくこう言った。『心配しなさんな。必要なものは神がすべてくださる。今日なくても、いつかきっとくださるさ』

バクラウについて話をするのは、とってもうれしいわ。喜びを感じるの。いつも本当に素敵な人だったのよ。バクラウって素敵な名前でしょ?もともとアマゾンのマニコレの人でね、そこには本当にきれいな声でなく鳥がいるの。その鳥の名前が『バクラウ』っていうのよ。ずっと前にね、『アウグスト、君の出身地はどこだい?』って聞かれて答えると、『ああ、バクラウの地だね。君もバクラウだ』と言われたの。これが自分の名前よりも気に入って、バクラウっていう名前を使うようになったのよ。でも家ではアウグストって呼んでいたわ。

バクラウは金銭で動くということがない人だったわ。彼のやることはすべて愛から出たこと。歌を作るのも、詩を書くのも、すべて彼の心から出てきたことよ。すべて彼の愛がしたこと。バクラウはたくさんの思い出を残してくれたのよ。毎日何か新しいことを学んでいたわ。私たちの結婚生活は22年続いた。生涯を彼と暮らしたと思ってるわ。アクレというところに住んでいたの。バクラウとの生活は素敵だったわ。私を、女性として、妻として、そして友として敬意を持って接してくれた。まだうんと若くて、最初の夫と暮らしている時には、問題にどうやって対処したらいいのか、どうやって痛みをこらえたらいいのか分からなかった。痛みとともに成長し、学んでいくのね。バクラウと出会った時には、物事にどうやって対処したらいいのかも知っていたし、成長もしていた。いろいろと学んだわ。私は足を失っているのだけど、もう今ではハンセン病で足を失ったなんて思ってない。何かに事故だったと思ってるのよ。

バクラウががんだと診断されたのは1995年の12月9日のことだったわ。ちょうど彼の誕生日だった。亡くなったのは1997年。2年と3日間、この病気と闘い続けたのよ。ずっと激しい苦痛に耐えていたわ。一番つらかったのは、もうどんな治療をしても治らないということが分かった時だった。心が砕け散るような思いだった。

彼が息を引き取る18日前のクリスマスの日、バクラウは私と娘と家族を呼び寄せた。別れを告げたかったから。『主が両手を広げ、私をお迎えくださっている。でも今日はまだその日じゃない。まだ何日かはお前たちとともに過ごせそうだ。ああ、まだ行きはしないよ』。バクラウの様態がますます悪くなった時、みんな泣き始めたわ。そしたらバクラウが言うの。『私が強くあろうとしたように、お前たちも強くなりなさい。新しい住みかを見つければ、また新しい喜びがついてくる。私は死ぬのではない。ただこの世界から、もっとよい世界へと移り住むだけだよ』

私の一部はバクラウと一緒に行ってしまった。バクラウはもういない。彼は私の心の一部だったから、バクラウと一緒に私の一部もなくなってしまったのね。毎朝1日が始まる前と、毎晩寝る前に祈るの。ああわれらが父よ、神よ、私の力をくださいと。そして毎晩寝に着く前に、バクラウ、私のアウグスト、どうか私に力を貸してちょうだいと祈るのよ。

MORHANはとても素晴らしいことをやっているわ。みんなに感謝もされ、受け入れられていると思う。でも私はたまに自分がハンセン病のためにあれこれあったことなんて、忘れてしまうの。バクラウも言ってたわ。いつかMORHANは他の人に任せて、路上で生活をしている子どもたちのために働きたいって。もしも神が私に力と健康を与えてくださったら、私が今暮らしているところから、こういう子どもたちと一緒に働くためのグループを作ろうと思う。

出典:Illuminating Ourselves (IDEA Center for the Voices of Humanity, 2008)
2000年のアンウェイ・S・ローのインタビューから。引用に際して本人の許可を得ています。