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ビルケ・ニガトゥ (エチオピア)

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6歳の時に、首や顔に引っかき傷のようなものが出てきました。ハンセン病の症状ですね。でもその時は、いったい何の病気にかかっているか分からなかったんです。私の両親は離婚していて、母は首都アディスアベバに行ってしまったので、私は父とその再婚相手と暮らしていました。父は農業をしていましたが、生活はらくではなかったですし、私の面倒を見ることができないということで、私は父方の祖母に預けられたんです。でも、祖母は一緒に住んでいても、私にはかまってくれませんでした。

誰も面倒を見てくれず、自分で何もかもやらなくてはならなかったんです。そうしているうちに、病気はどんどん悪くなっていって、いろんな症状が出てきました。かかとはひび割れ、感覚がなくなり、傷が増えていって。こんなに体が傷だらけになっても、誰も気にもかけてくれなかったんですよ。まだ子どもだったのに。自分の身体にどんどんと傷が増えていくのを見て、仕方なく祖母に言ったんです。ねえ、私、病気にかかってるみたいなんだけど、って。

それでも祖母は病院には連れて行ってくれませんでした。薬草をくれただけだったんです。そう、もちろん薬草では病気は良くならなりませんね。病気が治らないのを見て、今度は教会に連れて行かれました。聖水で洗い清められたけれど、それでも病気は良くなりませんでした。次に連れて行かれたのは、保健所。そこでは10回も注射されました。でも全然良くならなかったんです。面倒を見てくれる人も誰もいなくって、病気は悪くなっていくのがどんなに心細いか分かりますか? 母と父方の家族とのいがみ合いはまだ続いていて、親類は誰も私の病気のことなんか、気がつかなかったみたいです。しばらくして母方の叔父が、私が病気だと聞いて、母に連絡したらすぐに迎えに来てくれて、アディスアベバに連れて行ってくれたんです。

アディスアベバで病院に行ったものの、何の病気かは相変わらず分からないまま。どうしたらいいのか、誰も分かりませんでした。どこでどんな治療をすればいいのか分からないまま、母は私を呪術師のところに連れて行ったんです。もちろんそんなんじゃ良くならないですよね。病気が良くなるどころか、手足に障がいが出てき始めました。それからいくつか病院に行って、最後にハンセン病の病院に辿りついて、ここでようやくハンセン病と診断されたんです。随分と長い道のりでした。医師は、治療を続ければ、病気は治るから心配しないように、と言ってくれて、本当にほっとしました。ああ、これで私の病気も治るんだって。ところが母は、「こんな病気にかかった人は、うちの家族には誰もいないんだから、おまえがこの病気にかかってるなんてことは、ありえない」って、病院に行かせてくれなかったんです。治療を受けなければ治らないだろうと思ったから、母に隠れながら病院に通って、治療を受け続けました。

病院の先生たちは、私が母に隠れて通院しているのを見て、入院患者として受け入れてくれました。足にも手にも障がいが出ていましたが、治療を続けたおかげで病気はちゃんと治りました。いろいろと考えて、病院の近くの定着村で暮らすことにしました。母とは離れて。私は手にも足にも障がいがあるからできないことや、気をつけなくちゃいけないことがたくさんありますが、入院している間に刺しゅうや裁縫を教えてもらいました。エチオピアに昔から伝わるカラフルな刺しゅう。村で暮らし始めてから、一生懸命に働いて、この刺しゅうと裁縫で生計を立てられるようになったんですよ。誰にも頼らずに、自分で稼いで、自分の力で生活ができるようになったんです。

エチオピアの女性は、残念ながら社会的地位も家庭の中の地位も高くありません。ハンセン病にかかった人の多くは、同じ病気にかかった人と結婚しますが、そういう家庭でも女性は弱者なんです。男性は外で働き、家に収入を持って帰ってくるから家庭の中での地位が高く、女性は家事や育児に追われますが、現金収入は夫に頼らざるを得ないので、どうしても家庭内での発言力は小さいのです。だから女性の地位を向上するために、アディスアベバの女性たちを集めて、刺しゅうや裁縫を教えました。かつて私が教えてもらったことを、ほかの女性たちに広めているのです。そして刺しゅうや裁縫ができるようになった女性で、小さなグループを立ち上げました。最初は数人だったんですよ。今ではこのグループは45人の女性が働くようになりました。綿を紡ぎ、織り、クッションやベッドカバー、鍋つかみなんかを作って、これに刺しゅうをするんです。できたものは販売して、その収入から必要経費を抜いたものを、働いた女性たちが分けます。収入を持ち帰るようになった女性の家庭内での発言力は、うんと大きくなりました。いずれこの活動を、ほかの町でも広げたいと思っています。

ビルケ・ニガトゥ:エチオピア・セメンシェワ生まれ。全エチオピアハンセン病回復者協会(ENAPAL)会長在任時には、同協会の基盤強化に努めた。

掲載に際して本人の許可を得ています。