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台風ヨランダから2か月 クリオンはいま

クリオンは台風の通り道から外れることが多く、ヨランダの前にある程度の被害が出た台風は約25年前。その25年前の台風も、ヨランダと比較することはできないくらい小規模でした。
台風一過の8日には、クリオン療養所ならびに総合病院に多くの人がやってきました。屋根が飛んだ、家が倒壊した、魚釣りのボートが壊れた・・・などと多くの人の訴えを聞き、クナナン院長は、病院として被害状況の把握をすることとしました。
自身も被災している職員が、がれきや倒木で道がふさがれているなか、被害実態調査を始めました。同時に療養所に家屋修繕を求めてやってくる人たちのもとに、別途ソーシャルワーカーを派遣し、修理の必要状況を確認し、優先順位をつけていきました。回復者、そして特に被害の程度が大きい人に優先順位を置き、これまでに20家屋の簡易修繕が完了しています。

その中の1人、ヘルミディア・コンセプションさんの話です。
「両親も回復者で、私はこの島で生まれました。私もハンセン病を発症しましたが、子供に恵まれ、いまは穏やかな老後を過ごしています。子供はいま、クリオンを離れて家族と暮らしています。実は私の家は25年前の台風の際にも被害を受けたのですが、子供たちが少しずつためたお金を送ってくれたおかげで、空洞コンクリートブロックの壁を作ることができました。でも子供たちも、自分の子供の教育にお金がかかるので、これ以上は無理を言えません。
11月7日、7時ごろから風が強くなってきました。私の家はコンクリートの壁なので安心だと、友達が1人避難しに来ていました。彼女は義足なので、安全な場所で台風が通り過ぎるのを待ちたいと言っていました。8時ごろにはものすごい風になっていました。外で木の倒れる音や、いろんなものが飛んでいく音が聞こえました。すさまじい風でした。早々に電気も通らなくなり、真っ暗な中、ただ台風が通り過ぎるのを待っていました。風は弱まることを知らず、吹き荒れていました。すると何時頃でしょうか。メリメリっと音がして屋根が飛ばされていったのです。恐ろしさで声も出ませんでした。すさまじい風に加え、降り注ぐ雨。雨粒が体に叩きつけますが、それから身を隠すこともできません。外ではいまだにいろんなものが飛ばされていますから、逃げることもできず、友達と2人抱き合って泣きながら祈り、数時間を過ごしました。
台風が去っていったのは、次の日の朝、7時ごろだったでしょうか。風がおさまっても私たちは震えを抑えることができませんでした。台風が過ぎ去り、太陽が昇り、ようやく震えが止まったあと、クナナン院長のところに助けを求めに行ったのです。
療養所のソーシャルワーカーがやってきて、家の状況を見て、家屋の修繕はできる限り早くに始めたいと考えていること、修繕が可能となった場合には、私の家は早い段階で修繕を行ってくれることを聞き、どれほど安心したことか。
それからしばらくして、笹川記念保健協力財団が緊急支援をしてくれること、その中に家屋修繕も含まれていること、私の家の屋根の修繕も行えることを聞きました。感謝しても感謝してもしつくせません。本当にありがとうございました。まだ家屋修繕を必要としている人が、多く残っています。これからも温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。」