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制度の救済だけでは終わらない——ハンセン病回復者の家族が抱える現在進行形の課題とは

ハンセン病をめぐる裁判や相談に取り組む弁護士の大槻倫子さん(左)、国立ハンセン病資料館・学芸員の金貴粉さん(右上)、木村哲也さん(右下)

取材:ささへるジャーナル編集部

もし、あなたの家族や大切な人がハンセン病だったとしたら——。

周囲の偏見や差別に直面したとき、あなたはどれだけ平静でいられるでしょうか。

こうした現実の苦しみを訴え、2016年に起こされたのが「ハンセン病家族国家賠償請求訴訟(ハンセン病家族訴訟)」です。2019(令和元)年、熊本地裁は家族への差別について国の責任を認める判決を出しました。国は謝罪し補償制度を設けましたが、いまも多くの家族は声を上げられないままです。

国立ハンセン病資料館(東京・東村山)では、2026年1月24日から3月29日まで「ハンセン病問題と家族」(外部リンク)と題した連続講座・特別展を開催中。ハンセン病回復者の家族の証言から、差別の実態と今も続く課題を伝えています。

今回は、ハンセン病をめぐる裁判や相談に長年携わってきた弁護士・大槻倫子(おおつき・のりこ)さんと、同館の学芸員・木村哲也(きむら・てつや)さん、金貴粉(きん・きぶん)さんにお話を伺います。国や制度だけでなく、社会の一人ひとりがこの問題にどう向き合い、何ができるのかを考えます。

これまで見過ごされてきた「ハンセン病回復者の家族」への偏見と差別

――今回の特別展を担当された、木村さんにお話を伺います。まずは概要について教えてください。

木村さん(以下、敬称略):これまで国立ハンセン病資料館では、ハンセン病回復者に対する偏見や差別の実態、証言などを中心に展示してきました。しかし、家族にまで及んだ被害について触れる機会はあまりありませんでした。今回は、ハンセン病回復者の家族である4人の証言を中心に展示を構成しています。

私自身も勉強不足だったと痛感していますが、ハンセン病回復者の家族が受けた被害は、いじめや差別のような直接的なものだけではありません。

例えば、両親がハンセン病にかかり、療養所に隔離されたことで、幼い頃に引き離され、家族関係が築けなかった人もいます。身近にハンセン病回復者がいることを理由に、結婚を断られたり、離婚させられたりした人もいます。また、社会の目を恐れて「自分の家族がハンセン病回復者である」という事実を隠さざるを得なかった人も少なくありません。

こうした「人生被害」について、特別展を通して伝えたいと思いました。

特別展の概要について解説する木村さん

――展示の工夫について教えてください。

木村:一般的な資料展示のようにガラスケースに並べる形ではなく、証言者という「人」そのものが伝わる展示を意識しました。パネルはできるだけ大きく配置し、来場者が一人ひとりの証言者と直接向き合い、その人物の声に耳を傾けるような体験ができる構成にしています。

また、パネルの下に設置したQRコードから国立ハンセン病資料館の公式YouTubeチャンネル(外部リンク/動画にアクセスし、証言を動画でも視聴できるようにしました。ギャラリー入り口のモニターでは、証言をまとめたダイジェスト映像を上映しているほか、館内(展示室3)には腰を落ち着けて視聴できるコーナーも設けています。

さらに、証言のフルバージョンを書き起こした冊子を制作し、来場者に無料で配布しています。映像だけでなく、文字として持ち帰ってもらうことで、より深く考えてもらうきっかけになればと考えました。

ハンセン病回復者の家族である赤塚興一(あかつか・こういち)さん、奥晴海(おく・はるみ)さん、林力(はやし・ちから)さん、黄光男(ファン・グァンナム)さん4人の証言を紹介している
ギャラリーの入り口にて、無料で配布されている家族の証言が書き起こされてる冊子

――木村さんが考える、「ハンセン病問題と家族」に残された課題とはなんでしょうか。

木村:今回「証言者」として紹介している4人の方々は、いずれも実名で家族訴訟の原告団に参加された方です。ただ一方で、実名を出さずに訴訟に加わった人や、名前を明かさず、訴訟そのものに参加していない人も数多くいます。

家族補償金制度の対象者は、約2万4,000人いるといわれていますが、実際に申請しているのはその3分の1程度。申請期限は当初の2024年から2029年まで延長されましたが、それでも申請者が大きく増えているわけではありません。

この数字は、いまだに名乗りを上げることができない人がいる、つまり「声なき声」が存在していることを示していると思います。

補償金は1人あたり180万円で、裁判による補償としては決して少ない額ではありません。しかし、それを一人の人生に置き換えて考えると、決して十分とは言えない。その金額と引き換えにしてまで、「身内にハンセン病回復者がいた」という事実を明かしたくないと感じている家族の方も、少なくないのではないかと想像します。

特別展には、匿名で裁判に参加した家族の声も展示されている

――――今回の展示を通して、とくに伝えたいことは何でしょうか。

木村:ハンセン病回復者の方々は高齢になり、直接お話を聞くことが難しくなっています。それと同時に、家族の方々もまた高齢になりつつあります。今、家族の声を「生の声」として受け止め、次の世代へとつないでいかなければ、同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、という危機感があります。

今回「証言者」としてご紹介した4人の方は、それぞれ全く異なる人生を歩んできました。「ハンセン病回復者の家族が受けた被害」とひとくくりにするのではなく、一人一人の経験や、人生を知り、受け止めることが、社会に根深く残っている偏見や差別を見つめ直すきっかけになるのではないかと考えています。

弁護士1年目から関わってきた、ハンセン病国賠訴訟と家族訴訟

――ここからは大槻弁護士にお話を伺います。これまでの「ハンセン病問題」との関わりについて教えてください。

大槻さん(以下、敬称略):ハンセン病問題に初めて触れたのは、1998年、弁護士になる前の司法修習生時代でした。その年、熊本でハンセン病回復者による「ハンセン病国家賠償請求訴訟(ハンセン病国賠訴訟)」が提起され、翌1999年には東京訴訟の準備のため、多磨全生園を訪れる機会がありました。

そこで目の当たりにしたのは、現代の日本で長く続いてきた、極めて深刻な人権侵害の実態でした。そして、自分自身がそれまで全く知らずにいたという事実にも大きな衝撃を受けました。

この経験が「弁護士になったら、必ずこの問題に取り組みたい」と強く思うようになった原点です。

弁護士1年目に関西(神戸)で活動を始めた際、ちょうど岡山で3件目となる国賠訴訟が提起されるタイミングで、弁護団に加わりました。2001年に国賠訴訟が判決を迎えた後も、社会の中で深刻な差別を受け続けてきた「家族」に対しては、国による謝罪や十分な救済が行われない状況が続いていました。

こうした、目には見えにくいものの、深く、長く続いてきた家族被害の回復を求め、2016年に始まった「ハンセン病家族国家賠償請求訴訟」では、弁護団の一員として活動を始めました。

大槻さんが登壇した、連続講座第1回「ハンセン病問題と家族訴訟」の様子

――「ハンセン病家族訴訟」での取り組みについて教えてください。

大槻:この訴訟は、国の隔離政策によって、患者本人だけでなく、その家族までもが深刻な偏見や差別にさらされてきたことに対し、被害の回復を求めたものです。

2001年に「ハンセン病国家賠償請求訴訟」の判決が出た後も、家族の被害については、国による謝罪や救済の対象とはされない状況が続いていました。そうした中で、ハンセン病回復者の家族が集まり、「れんげ草の会」が発足します。

この会は、長年社会の中で偏見や差別にさらされ、誰にも言えない苦しみを抱えてきた家族たちが、互いの経験や思いを語り合う場として活動を続けてきました。

一方で、裁判の場でも、家族被害をめぐる動きがありました。2015年、母親がハンセン病患者でありながら療養所に入所していなかった、いわゆる「非入所者」であった鳥取県の男性が、国の隔離政策などによって、母親本人だけでなく家族も偏見や差別の被害を受けたとして、国と県に損害賠償を求める訴訟を起こしました。

この訴訟は棄却されましたが、判決では、家族が「社会から偏見や差別を受ける恐れのある立場」に置かれてきたことが認定されました。この判断は、その後の家族被害をめぐる議論に大きな影響を与えました。

こうした状況を背景に、2016年に「ハンセン病家族国家賠償請求訴訟」が提起されました。

第1次・第2次提訴を合わせると、原告は568名にのぼり、弁護団としても、全国各地に長年声を上げられずにいた家族が数多く存在していることを、改めて突きつけられました。

――ハンセン病患者・回復者の方々に対して、どのような被害があったのでしょうか。

大槻:1907(明治40)年に制定された「癩予防ニ関スル件(※1)」を契機に、国はハンセン病患者に対する隔離政策を本格化させました。患者は各地の療養所へと送られ、長期間にわたる隔離生活を強いられることになります。

療養所の中では、本来治療を受けるべき立場であるにもかかわらず、強制労働や監禁が行われ、十分な医療が提供されないなど、極めて劣悪な環境に置かれていました。

また、優生保護法(※2)などを根拠として、断種手術や人工妊娠中絶が強制されるなど、身体の自己決定権を著しく侵害する行為も行われました。さらに、一部の療養所では、生まれたばかりの子どもが命を奪われる「殺子(さつこ)」も行われていたのです。

1940年代後半に特効薬プロミンが導入され、ハンセン病が「治る病気」であることが明らかになった後も、国は隔離政策を改めることなく、1996年に「らい予防法(※3)」が廃止されるまで隔離を継続しました。

その結果、多くの回復者は、学業や就労、結婚や家庭を築くことなど、人生のさまざまな機会を奪われ、長期にわたる深刻な「人生被害」を負うことになりました。

ハンセン病をめぐる法律と裁判の主な動き
■1907(明治40)年:
「癩予防ニ関スル件」制定
ハンセン病患者の隔離を目的とする最初の法制度。
■1931(昭和6)年:
「癩予防法」制定
隔離政策が法的に強化される。
■1953(昭和28)年:
「らい予防法」公布・施行
戦後も隔離政策が継続される。
■1996(平成8)年:
「らい予防法」廃止
隔離政策を定めた法律が終結。
■1998(平成10)年:
ハンセン病国賠訴訟 提起
■2001(平成13)年:
熊本地裁判決
国の隔離政策の違法性が認められる。
■2016(平成28)年:
ハンセン病家族訴訟 提起
■2019(令和元)年:
熊本地裁判決
家族に及んだ被害についても国の責任が認められる。
ハンセン病をめぐる法律と裁判の主な動き

※1. 「癩(らい)予防ニ関スル件」とは、日本初のハンセン病隔離政策に関する法律。放浪する患者を強制収容して一掃することを目的に、療養所への強制隔離や警察力による強制収容を可能にした

※2.「優生保護法」(1948〜1996年)とは、不良な子孫の出生防止を名目に、遺伝性疾患や精神・身体障害のある人に対し、本人の同意なしに強制不妊手術や中絶を認めた法律

※3. 「らい予防法」とは、1953年に制定されたハンセン病患者を強制的に国立療養所へ隔離することを目的とした日本の法律

――では、患者・回復者の家族が受けた被害とは、どのようなものでしょうか。

大槻:国による隔離政策、「無らい県運動(※)」によって、国民の間に誤った認識が植え付けられ、ハンセン病患者本人だけでなく、家族までもが偏見や差別の対象とされるようになりました。

例えば、近所の人から石を投げられる、学校では生徒同士だけでなく、本来子どもを守る立場にある教師からもいじめや差別を受ける。就職面接では、家族にハンセン病回復者がいるという理由だけで不採用になる――こうしたことが、全国各地で、日常的に起きていました。親族間で差別を受けるケースも少なくありません。

なかでも、もっとも顕著なのが結婚に関する被害です。身元調査によって縁談が破談になる、結婚後に事実が知られたことで離婚される、といったことが繰り返されてきました。

2001年の国賠訴訟判決以降、国も偏見や差別をなくすための取り組みを進め、さまざまな場所で啓発活動も行われてきました。私自身、差別は少しずつ解消されてきているのではないかと考えていた時期もあります。

しかし、家族訴訟が始まり、原告の方々から話を聞く中で、その認識は大きく覆されました。若い世代においても、偏見や差別が現在進行形で及んでいるという、非常に過酷な実態が明らかになったのです。

※「無らい県運動(むらいけんうんどう)」とは、1930年代から戦後にかけて、日本各地で推進された、ハンセン病患者を地域社会から一掃し、療養所に強制隔離する運動

――「ハンセン病家族訴訟」判決後の患者・回復者家族の方々は、現在どのような状況に置かれているのでしょうか。

大槻:木村さんのお話にもあったように、家族補償金制度が設けられたことで、一定の救済の道は開かれました。しかし、現実には今も多くの家族が、声を上げていません。

原告団の多くの方が名前を明かしていませんし、なかには差別から逃れるために、長年「親は亡くなった」とうそをつき続けてきた人もいます。そのうそを守るために、さらにうそを重ねる人生を余儀なくされ、自分自身を責め続け、深い心の傷を抱えたまま生きている方が少なくありません。

いまだに、最も身近な存在である配偶者や、自分の子どもにさえ事実を打ち明けることができずにいる方もいるのです。

 一方で、裁判を通じて「悪いのは親ではなく、国の政策だった」と理解し、長年恨んでいた親との関係を修復できた例や、勇気を持って子どもに真実を打ち明け、受け止めてもらえたケースもありました。 最近では、家族が家族の相談に応じる「ピア相談」をはじめ、孤立を防ぐための活動も行われています。

――大槻さんが考える、「ハンセン病問題と家族」に残された課題とはなんでしょうか。

大槻:これまでお話してきたように、ハンセン病をめぐる偏見や差別は、今も社会の中に根強く残っています。また、療養所で亡くなった方々の遺骨が、いまだに故郷の家族のもとへ戻ることができず、療養所の納骨堂に安置されたままになっているという、重い課題も残されています。

これは「社会の問題」であり、単に病気についての正しい知識を伝えれば解決するものではありません。隔離政策の歴史や、その中で人権がどのように侵害されてきたのかを学び、人間の尊厳とは何かを考える教育が必要だと感じています。

現在は、学習指導要領にハンセン病問題を明記し、全ての学校で確実に教えられるようにするための働きかけも行われています。さらに、家族が自らの被害を語る「語り部」活動や、講師派遣事業などを通じて、当事者と社会が対等な人間として出会う場をつくる取り組みも続けられています。

差別を恐れて誰も声を上げられない状況そのものが、偏見や差別の構造を温存させてしまいます。「それはおかしい」と言える人を一人でも増やしていくことが大切ではないでしょうか。

誰もが「自分は何者であるか」を隠さずに生きられる社会をどうつくっていくのか。そのことが、今も私たちに問われていると思います。

ハンセン病回復者の家族に残された課題について語る大槻さん

回復者だけでなく、その家族の声も伝えていきたい

――ここからは、連続講座を担当された金さんにお話を伺います。改めて、連続講座のテーマと目的について教えてください。

金さん(以下、敬称略):家族訴訟などを経て、少しずつではありますが、「家族」という立場の当事者の方々が、自らの経験を語り始めてくださるようになってきました。

そうした動きを受け、今回の特別展と連動する形で、連続講座を企画しました。資料館としても、これまで十分に踏み込めてこなかった分野であり、特別展をきっかけに、より立体的に考える場をつくりたいと考えました。

講座は全3回で構成されており、それぞれ異なる視点からテーマを掘り下げていきます。

第1回は、優生保護法やハンセン病家族訴訟に詳しく、長年当事者に寄り添ってこられた大槻先生を講師に迎え、法律的・社会的な背景や裁判のポイントについて学び、基礎となる視点を共有します。

第2回(2月7日開催)は、家族訴訟の原告でもある「75番さん」にご登壇いただきます。幼少期に経験した家族との分断の寂しさや、社会構造によって強いられてきた苦悩、そして原告として自らの経験を言葉にしていく中での「回復」のプロセスを、ご自身の言葉で語っていただきます。

第3回(2月21日開催)は、当館館長の内田博文(うちだ・ひろふみ)が全体のまとめを行います。長年、人権擁護委員として活動してきた経験を踏まえ、現代の子どもたちが置かれている環境や人権侵害の問題をハンセン病問題と重ね合わせながら、「気づき」を促す内容となる予定です。

連続講座を企画した金さん

――第2回に登壇される「75番さん」は、実名を出さずに原告団に参加された方のお一人でしょうか。

金:そうです。ハンセン病に対する社会の偏見は依然として根強く、ご家族の方々も実名を出すことで、これまで築いてきた生活が壊れてしまうのではないか、周囲から偏見の目で見られるのではないかという不安があります。

また、原告として名乗りを上げることで、SNS上での誹謗中傷や、「補償金目当てではないか」といった心ない言葉にさらされるなど、二次被害のリスクもあります。

そのため、ハンセン病家族訴訟では、多くの方が実名を公表せずに原告団に加わっています。75番さんは、こうした状況を踏まえた上で、「語り継いでいくことは自分の役割だ」と考え、実名を伏せたまま登壇してくださることになりました。

――初日を終えての感想、参加者の反響は?

金:単に「偏見や差別はいけない」という理解にとどまらず、「もし自分自身が同じような状況に置かれたときにどうするかを考えるきっかけになった」という声がありました。

メディアでは、「勝訴」と書かれた紙を掲げる場面や、判決後に総理大臣が原告団に謝罪する場面など、象徴的なシーンだけが切り取られがちです。今回の講座を通して、そこに至るまでの経緯を初めて知り、「ハンセン病問題をより身近に感じた」という声も聞かれています。

ハンセン病家族訴訟で勝訴したニュースは、さまざまなメディアで大きく取り上げられた

――金さんが考える、「ハンセン病問題と家族」に残された課題

金:まず、「家族」という立場の被害が、まだ十分に知られていないという点があります。

学校教育の中でも、ハンセン病問題が必ずしも行き届いているとは言えません。

厚生労働省では、中学生向けにハンセン病を正しく理解するためのパンフレットを配布していますが、受け取っても読まれないまま終わってしまうケースもあると思います。それでも、どこかでその内容が心に残り、考えるきっかけになってくれたら、という思いはあります。

以前、当館で小学生向けに語り部として積極的に活動してくださっていた、ハンセン病回復者の平沢保治(ひらさわ・やすじ)さんは、「大切なのは種まきだ」と繰り返し話していました。

その積み重ねの結果、東村山市内の小学生は全員が資料館を見学に訪れ、さらに大人になってから自分の子どもを連れて再び来館してくれる人もいます。これからも、そうした地道な「種まき」を続けていきたいと考えています。

ハンセン病に限らず、新しい感染症や、さまざまな社会的マイノリティーに対しても、同じような排除の構造は繰り返されがちです。だからこそ、それを「自分ごと」として受け止める感性を、どう育んでいくのかが問われていると思います。

また、家族の方々からの聞き取りや資料の蓄積については、まだようやく入り口に立った段階です。今後も聞き続けるとともに、裁判に参加されなかった方も含め、安心して語れる場を少しずつ広げていけたらと考えています。

編集後記

原告団のなかには、20代、30代の方も含まれており、ギャラリーでは、その証言の一部が展示されています。そこからは、この問題が決して過去の出来事ではなく、現在進行形の課題であることが伝わってきます。

裁判で判決が出て法律が改正されたとしても、人の意識や社会のまなざしがすぐに変わるわけではありません。だからこそ、問題があることを知って終わらせるのではなく、考え続けていくことが必要なのだと感じます。

なお、連続講座の第1回と第3回は、国立ハンセン病資料館の公式YouTubeチャンネルでアーカイブが公開されます(第2回は登壇者のプライバシー保護の観点から公開されていません)。4人の証言のフルバージョンと併せて、ぜひご視聴ください。

撮影:永西永実

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