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歴史保存はなんのため?

国立ハンセン病資料館に行ってきました。そこで話されたことを聞きながら、歴史保存について考えてしまいました。歴史は保存したほうがいい。それは紛れもない事実なのですが、なんのため?と言われると考えてしまいます。
過去を忘れないため。そこから学ぶため。今後に生かすため。なるほど。もっともです。
歴史について、心に残っている言葉を2つ紹介します。
ハワイのカラウパパ療養所で暮らすクラランス ウッディ ケカウラ カヒリヒワさんの言葉。
「カラウパパの歴史を悲惨な苦しみの歴史として描かないでほしい。ここは癒しと安らぎの場所なんだ。悲しさと苦しさがあったことも事実だ。しかしそれだけの歴史ではない。それを乗り越え、このパラダイスのような場所が生まれた。そういう創造の歴史でもあった」

話は変わりますが、南アフリカの南端ケープタウンから船で少し行ったところに、ロベン島という島があります。ここはアパルトヘイト下、政治犯を収容した島です。あまり知られていないことですが、1846年から1931年にかけてロベン島は、ハンセン病患者・精神病患者・慢性疾患患者を収容していました。アパルトヘイト下には、ネルソンマンデラ元大統領が収容されていたことで有名です。
ここに収容されていたアーメド カトゥルダという人が1995年ごろにこう言っています。
「アパルトヘイトの残虐さを忘れることはありえないが、ロベン島を苦痛と苦悩のモニュメントとして記憶しないでほしい。悪の力に対抗した人間の魂の勝利として、矮小な心に打ち勝った英知と魂の勝利として、人間の脆弱さ、弱さを打ち破った勇気と決意の勝利として記憶してもらいたい」
確かに生きてきた人たちを、存在しなかったこととして「無」にしないこと。生きてきた証を残し、そこに意味を与えること。大切です。

ロベン島から望むケープタウンのテーブルマウンテン。近くて遠い本土

アパルトヘイトは南アフリカで起こったことでしたが、今でも世界各国の人々が、アパルトヘイト博物館やロベン島博物館を訪れ、衝撃を受けて帰ってくる理由は、肌の色だけで人を差別することが、よしとされたことや、アパルトヘイト下で行われた残虐な行為を知った衝撃だけではなく、差別の根拠のなさ、無意味さ、残虐さ、人間の心の弱さに対面し、自分自身が実は容易に加害者でも被害者にもなりえることを知るからと言えます。
アパルトヘイトを知ることによって、「差別」に直面するためじゃないでしょうか。ハンセン病にかかった人は差別されていた。ああ、そういうこともあったのか、差別はいけない、というヒトゴトで終わらせるのではなくハンセン病の歴史を通して、自分の中の差別問題に直面させられます。

さて、笹川記念保健協力財団は数年前から、ハンセン病の歴史を保存しようという取り組みを支援してきています。ハンセン病の医療的な目覚ましい成果があげられるなか、予算は縮小し、過去の文書や記録は散逸し、場所や物は失われていっています。偏見や差別が当然だった時代を生き抜いてきた人たちの高齢化も進んでおり、ハンセン病の歴史保存は緊急の課題と考えられます。歴史の問題を、過去を残し、将来に残す、という第3者的なものから、現在の自分自身にくらいついてくる問題として、どのように進めていけばいいのか、考えさせられた1日でした。