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困難を希望に変える次世代リーダーたち──4カ国の若者がインドネシアで誓った「ハンセン病による偏見と差別のない未来」

2026年2月にインドネシアで開催された「笹川ハンセン病イニシアチブ ヤングスカラープログラム 国際ワークショップ」で、現地で行われているピアカウンセリング活動の視察に訪れた参加者たち

取材:ささへるジャーナル編集部

ハンセン病は治療法が確立された現在でも、世界各地で深刻な偏見や差別が残る社会課題の 1つです。病気が治った後も、就労や結婚、社会生活のあらゆる面で困難に直面する人々が少なくありません。

こうした状況を背景に、ハンセン病当事者コミュニティの若手リーダーを育成する「笹川ハンセン病イニシアチブ ヤングスカラープログラム」が実施されています。

その一環として、2026年2月にはインドネシア・マカッサルで初の国際ワークショップが開催されました。インド、インドネシア、コロンビア、バングラデシュの4カ国からスカラーや、彼らをサポートするメンターなど約40名が集い、活動報告や各地の取り組みの共有、当事者団体によるピアカウンセリングの現場視察などが行われました。

参加者たちは、5日間にわたるプログラムで何を得たのでしょうか。そして、その学びは今後の活動にどのように生かされていくのでしょうか。

今回は、国際ワークショップの開催を担当した笹川保健財団の小川僚子(おがわ・りょうこ)さん、髙橋知恵子(たかはし・ちえこ)さんに話を伺い、現地で生まれた参加者たちの変化や、ハンセン病当事者リーダー育成の可能性に迫ります。

ハンセン病当事者の次世代リーダーを育てる「ヤングスカラープログラム」

――笹川ハンセン病イニシアチブ(外部リンク)の概要と、目的について教えてください

小川さん(以下、敬称略):笹川ハンセン病イニシアチブは、笹川保健財団と日本財団、そしてWHO(世界保健機関)ハンセン病制圧大使である笹川陽平(ささかわ・ようへい)氏の3者による、ハンセン病対策のためのアライアンスです。長年にわたって活動を続けており、WHOへの支援も50年に及びます。

主な取り組みは、大きく3つの柱で構成されています。

  • ハンセン病の制圧:インドやインドネシア、ブラジルなど患者の多い国々と連携し、病気そのものの克服を目指す
  • 偏見と差別の撤廃:治療後も残る社会的な偏見や差別をなくし、当事者の権利回復につなげる
  • 歴史の保存:ハンセン病に関する記録を後世に伝えていく

――ヤングスカラープログラムを立ち上げた経緯と目的について教えてください。

小川:ハンセン病は、医学的には「制圧」が達成されつつあるとされていますが、実際にはいまもなお、根深い偏見や差別が世界各地に残っています。

こうした状況のなかで、イニシアチブではこれまで、当事者団体の基盤強化やエンパワメント支援に取り組んできました。しかし近年、国際会議などの場に集うリーダー層が固定化し、活動の広がりに課題が見られるようになっていました。

そこで、次の時代にこの問題に向き合い、コミュニティを率いる次世代のリーダーを育成する必要があると考えたのが、「ヤングスカラープログラム」立ち上げのきっかけです。若い世代の力を生かし、新しい視点で活動を広げていくことが重要だと考え、2024年にパイロット事業として開始しました。

国際ワークショップに参加した第2期のスカラーたち

小川:「スカラー」と聞くと、一般的には学費支援(奨学金)をイメージしますが、このプログラムの本質は、単なる学費支援ではなく「エンパワメントを通じたリーダーシップの確立」にあります。困難を乗り越えた経験を強みに変え、ハンセン病コミュニティのロールモデルとなる人材を輩出したいと考えています。

――ヤングスカラープログラムでは、具体的にどのような活動が行われているのでしょうか。

小川:ハンセン病当事者の若者(18歳から35歳)を対象に、多角的な取り組みを行っています。

まず、ハンセン病に関する正しい知識に加え、リーダーシップやスピーチなど、社会に向けて発信し、問題解決に寄与していくための力を身につける基礎研修を実施しています。

また、リーダーとしてコミュニティの問題解決に貢献していくためには、経済的な自立も重要です。ハンセン病をめぐっては、就労や教育の機会が制限されるなど、経済的な自立が難しい状況に置かれるケースも多いため、職業訓練の要素を取り入れた個別プログラムを用意しています。看護師や会計士、グラフィックデザイン、医療事務、コンピュータースキルなど、それぞれの目標に応じた資格取得やスキル習得を支援しています。内容は国ごとの状況に応じて設計しています。

さらに、学びを実践につなげる取り組みとして、スカラー自身が小規模なプロジェクトを企画・実行しています。それぞれのコミュニティの課題に向き合い、主体的に活動を展開している点も特徴です。

当初は1年間のプログラムとしてスタートしましたが、現在は活動内容の充実を図るため、1年半から2年程度に拡充しています。その一環として、2026年2月には、インド、インドネシア、コロンビア、バングラデシュの4カ国のスカラーと、スカラーたちをサポートするメンターが集う国際ワークショップも開催しました

4カ国のスカラーやメンターが集結。言葉を越えてつながった5日間

――国際ワークショップはどのような経緯で開催されたのでしょうか。

小川:スカラープログラムを開始した当初は、インドネシア、コロンビア、そして東京をオンラインでつなぎ、スカラー同士の交流を図っていました。

ただ、インドネシア語、スペイン語や英語が入り混じる上に時差もあり、画面越しでは意思疎通の難しさを感じる場面が多くありました。深い対話や関係構築に、限界を感じたんです。

一方で、WhatsApp(ワッツアップ ※コミュニケーションアプリ)などを通じてつながりが生まれると、交流が活発になり、盛り上がりを見せる場面もありました。こうした経験から、同じ課題を抱える若者たちが直接顔を合わせて交流することの重要性を実感し、国際ワークショップの開催に至りました。国を越えてつながり、連帯感を育むことが大きな目的です。

また、各国のメンターにとっても、スカラーのモチベーションの維持や、後遺症への対応、家族の理解といった共通の課題があります。国際ワークショップは、そうした経験や悩みを共有する機会にしたいという思いもありました。

――国際ワークショップではどのようなプログラムが行われたのでしょうか。

小川:今回はインドネシアのマカッサルで5日間にわたって実施しました。インド、インドネシア、コロンビア、バングラデシュ、の4カ国から、1期生・2期生のスカラーとメンターが参加しています。

国際ワークショップで自身の活動をプレゼンする1期生のスカラー

小川:5日間のうち3日間は、主に室内でのプレゼンテーションを中心に行いました。プログラムを終えた1期生は、それぞれが取り組んできた活動やその成果を報告し、2期生は現在の状況や今後の計画を発表しました。

また、各国のメンターも、活動の中で直面している課題や工夫について共有しました。スカラーの中には、後遺症に苦しみながらプログラムに参加しているケースもあり、そうした状況を踏まえた支援のあり方も重要なテーマとなりました。

後半では、ワークショップにも参加したインドネシア最大級のハンセン病当事者団体「ペルマタ」の活動現場を訪れ、実際の取り組みに触れながら学びました。地域の保健局なども訪問し、団体がどのように行政に働きかけているかについて理解を深めました。

このほか、現地のハンセン病患者の方のご自宅を訪問し、ピアカウンセリングの現場に同行する機会もありました。

髙橋さん(以下、敬称略):ワークショップには、インドで活動するハンセン病当事者のアーティストをゲストに迎え、初日の午前中にはアイスブレイクを兼ねたアートクリエイションのプログラムが行われました。

スカラーたちは「スカラーになる前と後で、世界がどのように変わったか」というテーマのもと、思い思いの作品を描きました。鎖につながれた状態から解き放たれ、飛行機で飛び立っていく姿など、一人ひとりがこれまでに感じてきた制約や苦しみ、そしてそこからの変化が表現されていました。

こうした時間を通して、言葉の異なる参加者同士の距離も縮まり、短い時間のうちに一気に打ち解けていきました。

小川:通訳の方にも入っていただいていましたが、スカラーたちは翻訳アプリも活用しながら、積極的にコミュニケーションを取っていました。

アイスブレイクで行われたアートクリエイションプログラムの様子
参加者同士の交流も自然と生まれた

――ワークショップの中で、印象的だったエピソードはありますか。

髙橋:どの参加者も大きな変化を見せていましたが、ひときわ強い光を放っていたのがインドネシアのヌニさんです。

ヌニさんは、ハンセン病を発症した当初は、ショックからテーブルの下から出てこられないほど内向的になり、常に泣いているような状態だったといいます。それがプログラムに参加する中で少しずつ自信を取り戻し、今回のワークショップでは初めて人前でスピーチを行いました。

またヌニさんも参加する現地団体が行うピアカウンセリング活動の視察では、ヌニさんと関わりのある貧しい家庭にも訪問しました。そこにはかつて重い症状を抱えていた少年がいて、ヌニさんは、その子のために栄養価の高い食料を毎週、遠方から届けに来ていたそうです。

母親はその支援に深く感謝し、私たちを温かく迎えてくださいました。その少年は現在回復しており、ワークショップにも特別に参加しました。そして「次は自分もスカラーになりたい」と話してくれたんです。

現地の保健局でスピーチを行うスカラーのヌニさん
ピアアカウンセリング活動の視察で訪れたハンセン病患者の家庭。中央の右側がヌニさんが支援した少年。その後ろにヌニさんの姿も

髙橋:バングラデシュから参加したルモンさんも印象的でした。シレット地方の茶園で、日給わずか1.5ドルの過酷な労働に従事し、ハンセン病を理由に差別も受けていたそうです。健康や教育、経済の面でも深刻な課題を抱えていました。

プログラムに参加した当初は非常にシャイで、人と目を合わせることもままならない状態でしたが、ワークショップでは「自分の人生は変わった」と力強く語り、熱心にメモを取り続けていました。

去年6カ月間はL.M.A.F(地域医療助手)コースでプライマリ・ヘルスケアについて学びました。現在は、より高度なレベルのプログラムである医療外科ディプロマ(DMS)コースに入学し、さまざまな疾病の種類や各種薬剤の使用方法、副作用について実践的な知識を身につけています。

将来は、地元で村医者として働き、ハンセン病回復者とそのコミュニティに貢献することを目指しています。その変化は周囲にも大きな驚きをもって受け止められ、地元では「一体、彼に何があったのか」「自分もスカラーになりたい」と話題になるほどだそうです。

バングラデシュから参加したルモンさん。ワークショップでは常にメモを取る姿が見られたという
ルモンさんは貧困に苦しむハンセン病患者のコミュニティを支援するため、スカラーとして知見を積んでいる

髙橋:もうひとり、バングラデシュから参加したプリシティさんがいます。ムスリムの家庭に育ち、女性の教育が制限されがちな環境の中で、ご両親は当初、彼女がひとりで海外へ行くことに反対していました。

しかし、メンターが毎週のように家庭を訪問して説得を続けたことで、プログラムへの参加が実現しました。プリシティさんは、高い倍率を突破して政府公認の小学校教師の試験に合格しています。ワークショップでも誰よりは積極的に質問を重ねるなど、強い意欲を見せていました。

未来を担う存在へ。スカラーが切り拓くこれから

――メンターにとっての課題や、ワークショップの意義について教えてください。

小川:メンターそれぞれに、活動の中でさまざまな課題があります。

例えば、スカラーは若者であるがゆえに、途中で夢や目標が変わってしまうことや、モチベーションの維持が難しいといった側面があります。また、らい反応(※)によって体調を崩し、学校に通えなくなるケースも少なくありません。そうしたときには、メンターが学校に説明を行い、理解を求めるなど、継続的に支援しています。

ワークショップでは、こうした経験をメンター同士で共有する場も設けられました。先行して活動している国のメンターが、新たに活動が始まったバングラデシュのメンターにアドバイスを送る場面もあり、先輩・後輩のような関係が生まれています。

※「らい反応」とは、ハンセン病の治療の前後や経過中に免疫反応が高まり、発熱や皮膚の炎症、末梢神経の障害などを引き起こす症状

ワークショップでは各国のメンターが自身の経験を語るプログラムも実施された

――国際ワークショップの開催を通して、新たに見えてきた課題はありますか?

髙橋:先ほどもお話ししたように、治療が終わっても、障害やらい反応に苦しんでいるため、学びたくても学べない状況や、学ぶことに対するモチベーションが下がってしまうケースがあります。そうした中で、メンターがきめ細かく寄り添い、フォローしていくことの重要性を改めて感じました。

また、国によって教育制度や職業訓練の選択肢が大きく異なるため、スカラーが達成できる目標に差が出てしまうことも課題の1つです。

例えばコロンビアでは、1年程度で資格が取得できるテクニカルな教育課程(日本でいう専門学校)が充実していますが、インドネシアでは看護や会計士の資格取得のために4年制大学に進む必要があり、短期間での自立支援が難しいという現状があります。

それぞれが置かれた環境の中で、限られた機会をどう生かして支援できるかを、今後も現地のメンターとともに考えていく必要があると感じています。

国際ワークショップで交流を深めるスカラー

小川:ヤングスカラープログラムのカギは、メンターの存在にあると考えています。プログラムの意義をしっかり理解し、スカラー一人ひとりに寄り添い、それぞれの目標や希望の実現を支援できるメンターの存在が欠かせません。

メンターは、ハンセン病当事者を支援するNGO団体に所属している人に限らず、さまざまな分野の方で構成されています。今後も、適切な人材を探すだけでなく、各地のNGO団体に向けてプログラムの目的を丁寧に伝え、協力を得る取り組みも継続していきたいと考えています。

髙橋:まだ始まったばかりで手探りの部分もありますが、将来的にはブラジルやアフリカなど、全ての大陸への展開を目指しています。また、10年間で100人以上のスカラーを輩出することも目標の1つです。

単に人数を増やすだけでなく、スカラー同士が国境を越えて横のつながりを築き、SNSなどを活用しながら自発的に交流できるような国際的なネットワークが広がっていくことを期待しています。

最終的には、プログラムの卒業生たちが次世代のリーダーとして各国や国際会議の場で活躍したり、支援を受けた若者が社会の中でロールモデルとなることで、希望の連鎖が世界各地に広がっていくことを目指しています。

編集後記

お話を伺ったお二人によると、スカラーに選ばれた若者たちは、参加前と後ではまるで別人のように変化したといいます。そこからは、ハンセン病に罹患したことで受けてきた影響の大きさや、心にも深い傷を負っていることが伝わってきます。

日本での新規患者数は現在ほとんど発生していません。しかし、かつて「らい予防法」による隔離政策のもと、当事者やその家族を社会から切り離し、長期にわたって過酷な差別と苦しみを強いてきた痛ましい歴史があります。

世界ではいまも年間約20万人の新規患者がいるといわれ、多くの人が偏見や差別により貧しい暮らしを強いられています。ヤングスカラープログラムの取り組みが、当事者にとっての希望となり、そんな社会を少しずつ変えていく力につながっていくことを心から願っています。

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