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名誉会長 日野原重明を偲んで

7月18日に105歳で永眠した当財団名誉会長 日野原重明の葬送・告別式が、同月29日、東京・港区の青山葬儀所で営まれました。聖路加国際病院の発表では約4,000人が参列したそうです。

葬送・告別式では、当財団最高顧問 紀伊國献三が、日野原先生との思い出を読ませていただきました。

日野原先生、安らかなご冥福をお祈りいたします。

「日野原先生との思い出」

日野原重明先生、紀伊國献三です。

先生とは65年前、国際基督教大学の開学1年前の語学研修所で、日野原先生の保健体育の授業を聞かせて頂いた時から、私のメンター(指導者)でした。その後も、21歳年上の日野原先生は、いつも私の先生であり続けました。

卒業にあたって、クリスチャンであった両親の願いと、私の名前にもちなんだ意味のある仕事をお尋ねしたところ、「病院管理」をやったらと勧めて頂きました。先生から英語の本を貸して頂き、卒業後、聖路加国際病院の病院管理レジデントとして採用して頂きました。その後、奨学金を得てシカゴのノースウェスタン大学院で勉強中、日本の病院ストライキのさなかに、中山マサ厚生大臣が「病院管理研究所」を作るとの国会答弁で呼び返され、思いがけず厚生技官となりました。その後、母校ICUが学内にあるクリニックを地域に開放する病院にしたいとの構想で、日野原先生を中心に計画しましたが、学園紛争で中止となり、参加のため既に退職した医師、看護師、検査技師などをどうするか、大ピンチとなりました。幸い日野原先生の患者さんの友人古井喜実元厚生大臣のご紹介で、砂防会館の5階に敷金権利金なしでお借りして、「予防医学クリニックIPC」を1967年に開設し、先生も私もボランティアで勤めましたが、お金の心配の連続でした。

まったくの偶然に、箱根仙石原のある方の別荘で、1972年夏、反省会を兼ねた会議中、現日本財団の創始者笹川良一さんが、同じ方の強羅の別荘で発作を起こされ、先生が往診され、なんとか危機を脱することが出来、その後、君たちは何をやっているかとの問いかけに、先生は現在の医療の多くが治療的対応に追われ、予防を考える事があまりにも少ないとの考えを述べたところ、「いや、その通り、私は長く消防をやって来たが、消火より予防が大事だ、応援してやろう」から生まれたのが、ライフプランニングセンターでした。厚生省から財団法人に認可されたこの財団の目的は、名前が示すように、人々が自分の健康生活の設計をするための援助であると、人々中心のこれからの医療の原点の追及でした。先生は、その後、聖路加病院の院長をとるか、ライフプランニングの理事長をとるかと問われたとき、今迄の医療からの転換のため、ライフプランニングセンターの重要性をとられ、その後も終身の理事長として努力されました。勿論、先生は聖路加病院を愛され、その発展に心血を注がれましたが、同時にライフプランニングの考えを、心をこめて追及されました。

1993年に我が国第一号の独立型ホスピスのピースハウス病院、2000年の新しい老人像のための新老人の会の活動は、先生が聖路加病院の院長とライフプランニングセンターの理事長を続けながら実行されました。先生の活動範囲は極めて広く、そのすべてを理解することはできませんが、人のやらないことをやる好奇心と実行力にはいつも驚かされました。売りに出されていたジョン万次郎の寄宿先のホイットフィールド船長の家を、寄付金を集めて購入し、フェアヘブン市に寄贈して、日米友好の拠点としされたのも先生のリーダーシップの一つでした。私は、先生は革命家だと思っています。生活習慣病の命名や、医師のみが血圧を測ることが常識のとき、関心のある一般の人々が自分で血圧を測り、更には上手な測り方を医療人に教えることを実行するなど、医療の革命的変革を実行され、いや、医療を超えた社会革命家で、その基本に人々への愛情のある革命家だったと思います。

ライフプランニングセンターで先生はもう一つの財団の誕生に努力されました。今から44年前の1973年5月22日、ライフプランニングセンターの理事会の後の食事会で、石館守三初代東京大学薬学部長は戦争中にアメリカのカービルらい療養所で、副作用のために使われなかった結核の薬プロミンがハンセン病に劇的に効果があるとの記事をスイスの雑誌で読まれ、日本でプロミンの合成に成功され、我が国のハンセン病対策の新しい1ページを開かれた先生ですが、多くの外国の人々の協力で始まった我が国のハンセン病対策の成果を、まだまだ問題を抱える周辺の諸外国での制圧に協力するのは、日本の光栄なる義務であると主張されました。その考えに全面的に反応し、その場で私の終生の事業にすると約束された笹川良一さんの努力で、異例の速さで、翌年の5月4日(笹川良一さんの誕生日)に認可された笹川記念保健協力財団で石館先生の後の第二代理事長を勤められました。調べてみますと、笹川良一会長95年7月18日、石館守三先生96年7月18日、偶然にも、日野原先生2017年7月18日と天国に召された日が、同一であることに驚きました。今頃は三人の先生方が世界の人々の健康と平和について議論しておられるのではないかと思います。最後の一マイルとなった難しいハンセン病の制圧をはじめ、先生方の大きな夢の実現のため、残された私たちがそれぞれの場で努力することをお誓いして私のメッセージといたします。

2017年7月29日

紀伊國 献三