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ウクライナ その13 戦争の理由

ウクライナ・・・ロシア軍攻撃が始まって、6カ月と10日余が過ぎました。激しい攻撃と、禍々しい被災の報道がこれでもか、これでもかと続く毎日、気にはなりながらも、何をどう取り上げようか迷いながら数週以上が過ぎました。そして、毎日の戦況を見ることが、新型コロナの感染者数を知ることと同じく、あたかも日常になっていることに愕然とします。

大ロシア帝国時代の領土復帰を目指す意向も指摘される「プーチン(大統領)の戦争」ともよばれるウクライナ侵攻はなぜ起こったのでしょうか。

かつてのロシア帝国その後のソビエト連邦では、一地方としてモスクワの支配下にあったウクライナが、1991年、ソビエト連邦の崩壊後に独立し、NATO(North Atlantic Treaty Organization 北大西洋条約機構。1949年成立の多国間集団安全保障システム。ウクライナは加盟希望国のひとつ。また、スウェーデンとフィンランドがウクライナ侵攻後加盟申請。現在アメリカ、カナダと西欧28カ国が加盟)になびくこと、つまり西側の一員になろうとすることを防ぎたい、妨害したい気持ちがあったことは否めないように思います。以前書きましたが、ウクライナの首都キーウで面談した人々は、意識的にヨーロッパに親和性があると感じましたし、何より立ち振る舞いが西欧風でした。が、そのようなウクライナ国籍のウクライナ人でもかなりの方がロシア系DNAを持っていたり、身内やパートナーがロシア系であったりと、日本の日本人のようではありませんでした。

戦争が始まってしばらくの間、わが国を含む多数国の国会で、ウクライナ陸軍Tシャツ姿で、それぞれの国にピッとくる文言の入ったスピーチを繰り広げられたゼレンスキー大統領もそもそもウクライナ東部生まれのユダヤ系ウクライナ人で、その地はロシア語が優位であり、大統領の母語はロシア語で、大統領になるに際してウクライナ語の特訓を受けられたそうです。とはいえ、同じスラブ語系、キリル文字も共通ですから、ぼんやりと聞いていると同じように聞こえますが、今は、特に何語を使うかは微妙なところでしょう。

ゼレンスキー大統領(写真:講談社現代ビジネスよりhttps://gendai.media/articles/-/99045?page=3)

ゼレンスキー大統領の経歴で思い出したのは、かつて住んだパキスタンの若き女性宰相となったベナジール・ブット氏です。ベナジールは、現在のパキスタンやバングラでシュを含む英領インドが、1947年に宗主国かつての大英帝国から独立し、次いでヒンドゥ教徒が多いインドからイスラム教徒からなる東西パキスタンが独立する過程で貢献したズルフィカル・アリ・ブット元首相の長女です。ちなみに東パキスタンは、その後バングラデシュとなり、西パキスタンがパキスタンとなりました。が、この国も、お父上の時代から政争が日常的であり、べナジールはイギリス育ち、ハーバードやオックスフォード大の優秀な卒業生で、英語が母語のような方でありました。色々あった挙句、父上の作られたパキスタン人民党(Pakistan People‘s Party: PPP)の党首となり、35歳で首相に選ばれました。その直後に、私はペシャワールに赴任したのですが、若き女性宰相への大きな期待の割に、国語であるウルドゥ語が堪能でないことへの非難もありました。地方新聞でしたが、「もし私がベナジールだったら(何をするか)?」という投書欄に、「もし私がベナジールだったら、もっとウルドゥ語を一生懸命に学ぶ・・・」とありました。

そのベナジールは、パキスタンの民主化のシンボルのように受け止められたようでしが。毎日のようにTVに現れ、一部英語でされるスピーチは感動的でした。やや特徴的な発音、イントネーションで「デモゥクラシィ(民主主義 democracy)」という単語が何度も出てきて、人々はそれをうっとりと聞いていたように思えました。

デモクラシー、良く知られるように語源は古代ギリシャ語δημοκρατία(dēmokratía デーモクラティアー)、民衆とか人民あるいは大衆を意味するδῆμος(古代ギリシャからのラテン翻字demos デモス)と、権力とか支配を意味するκράτος(同 kratos、クラトス)が組み合わされたものです。

いくつかの紛争国に関与しましたが、その度に、一定の期間でも、戦争がないというより、まったく平和であるという状態を維持することはなかなかに難しいことであるの実感するとともに、他国の武力闘争である戦争だけでなく、国内での地域武力紛争をも無くすること、そしてその状態を一定期間維持することは何と難しいことかと思いました。平和とは掴まえ所がなく、その重要性を実感できるのは、それが破壊された時なのだとも思いました。だからこそ、平和を達成し、維持するには、その意味と価値を理解できるデモスつまり民衆の存在が重要なのです。

しかし、デモクラシーは、生誕の地古代ギリシヤが衰退した後は、愚かなデモス(大衆)が権力を握る衆愚政治を意味するようになったそうです。ですから、その後を継いだ古代ローマでの政体は、デモクラシーではなく共和制とされてきました。

2022年8月30日、ミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなりました。旧ソビエト連邦の崩壊だけでなく、第二次世界大戦後の世界を二分した冷戦構造を終結させた旧ソビエト連邦最後の最高会議議長にして、短期間の最初で最後のソビエト連邦大統領でした。ゴルバチョフ氏は、若き日、熱心な社会主義者だったからこそ偉くなられたのでしょうが、1979年来の10年にわたるアフガニスタン侵攻の撤退や1986年のチェルノブイリ原発事後の後始末から、グラスノチ(改革)とペレストロイカ(再構築)という新たな政策を打ち出されました。ロナルド・レーガンアメリカ大統領と核兵器制限を合意されたのですが、世界史の大きな変革でした。国内的には、直接選挙による人民代議員制を新設したことこそ、ソ連邦をソ連邦たらしめてきた一党独裁の破壊につながったとされています。つまり、社会主義体制の中に、トップダウンでデモクラシーを持ち込もうとしたとも申せます。しかし、それがソビエト連邦を崩壊させると危惧した一派によるクーデターで1991年8月失脚しました。その日、その異変を、私は、気温45度のペシャワールの自宅の庭で、たまたま訪問していた西ドイツ人のご夫妻とBBCラジオで聞きました。

その功績はノーベル平和賞をもたらし、西側には人気高いものの、ロシアでは国を壊したとされているゴルバチョフ元大統領の葬儀にプーチン首相は列席されませんでした。デモクラシーと社会主義は相入れないのですね。ソビエト連邦崩壊後、各地方はCIS(Commonwealth of Independent States 独立国家共同体)となりました。ウクライナもその一つです。そしてその15カ国中バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を除く12カ国がゆるやかな国家連合体を作りましたが、既存の欧州連合(EU)のような全体を統括するCIS憲法や議会は生まれず、ただベラルーシ首都ミンスクに本部があるだけです。

ソビエト崩壊後、東欧とよばれたかつての親ソ国の中から、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーが、2004年にスロバキア、ルーマニア、ブルガリアとスロベニアとエストニア、ラトビア、リトアニアが、2009年に旧ユーゴスラビア分裂でうまれたアルバニアとクロアチアが、さらに2017年に同じく旧ユーゴのモンテネグロが、2020年には、同じくマケドニアが参加しました。結果として、かつてNATOに対抗して生まれていた旧ワルシャワ条約機構加盟国のほとんどがNATOになってしまい、残るは本家ロシア、モルドバ、ジョージア、ベラルーシとウクライナだけとなったのです。もし、私がロシアの生まれだったら…あるいはウクライナに生まれていたら、と考えますとどれが正解なのでしょうか?

ウクライナの戦争は、社会主義・共産主義とデモクラシーの闘いの結果なのでしょうか?

以前、書きましたが、ウクライナキーウは、文化的に旧ソビエト連邦つまりモスクワより古く栄えています。ちょっと気がヤワなお国柄か、中世以来、周辺のポーランドやロシアやハンガリーに蹂躙されてきて、長年の独立の夢がかなったのはソビエト連邦が崩壊した1991年です。その後はCIS諸国と限定的軍事提携は結びつつも1994年にはNATOともパートナーシップを結んでいます。

そして、この国の難しさ・・ややこしさは、繰り返し、親ロシアあるいは親西欧の政権が入れ替わることです。民族的に複雑に入りまじっているからかもしれませんが、当然、親ロシア政権はEUへの親和性を制限しロシアとの関係強化を図ります。そして親西欧住民がデモや暴動を起こし政権は覆ります(2013年 ヤヌコビッチ政権とユーロマイダンデモ)。そして親西欧政権はその逆です。

このような状況下に、帝政ロシア時代への復帰とは云わないまでも、周辺がどんどん浸食されてゆくと感じたロシアは、長い国境線を共有し、国の東部はロシア系住民が主体のウクライナだけは引き留めたい・・・せめて影響力を行使するためには、何でもやる、やりたい、やれる・・・と考えたのでしょうか?

そう考えれば、グラスノチ、ペレストロイカに始まる旧ソ連の崩壊、CISの誕生、そのメンバーのだけでなくかつての東欧社会主義国の変節というか、民主化つまりデモクラシー化は許せない。それらの諸々がじわじわとウクライナに向かっていた間、外部社会は傍観し過ぎていたのでしょうか?平和な日本で、ウクライナについてしっかり考え、注視することなどありませんでした、一般の庶民デモスとしては。その間、ウクライナでは、親ロシア派による内政干渉や領土支配が進行した・・・納得してはいけませんが、そういうことなのだったとも思えます。

現在のウクライナ戦争は、決して今年2022年ミ4月に始まったのではなく、その開始は少なくとも2014年3月のクリミア半島併合から始まっていると理解できます。だからこそ、危機を感じたウクライナは2016年1月にEUと包括的自由貿易圏連携を申請しました。どっちもどっち・・・と云ってはいけませんが、この戦争は、社会主義と民主主義の闘いなのでしょうか?

ウクライナの地で、ウクライナの人々が、外部から補給された武器を使ってロシアを闘っている・・・それは厳然として事実ですが、この戦争を機会にロシアを弱体化させたいとか、その国の為政者を排除したいと、他の民主主義国が公言することも如何かと思います。

一日も早く、破壊だけをもたらす武力行使は止めるべきです。それは明々白々ですが、では、私は何をすれば良いのか・・・改めて、考えます。

※「ウクライナ その12 ロシアの侵略100後のウクライナ」はこちら