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看護師のストライキ アメリカ出張-その3

その1に記しましたように、過日のアメリカ航空界最大の混乱時であったとの報道もあります、1月12日の混乱以外は順調に都市巡りと関係大学院表敬を終えて、18日午後、羽田に帰り着きました。年の所為もあって、近年、ますます睡眠時間が短縮していますが、昔から飛行機に乗ると熟睡できるという良い習慣があって、今回も最短2時間弱、最長11時間の飛行中、しっかり眠れました。

さてさて、アメリカに着いた日、ホテルの部屋に入って、スウィッチオンしたTVに映ったのが看護師のストライキでした。いくつかのチャンネルでも、看護師たちが、「患者の安全と就労状況の改善のため」に、2023年1月9日月曜日をきっして、ニューヨークのど真ん中 マンハッタンにあるマウント・サイナイ病院と、ブロンクスのモンテフィオーレ病院の看護師たち7,000名以上がストライキに踏み切ったと報じていました。

CNNの報道

マウント・サイナイ病院は、マンハッタン島の南部に位置します。

マンハッタン島は、ハドソン川・イースト川・ハーレム川・ニューヨーク湾に囲まれていますが、ハドソン川の河口に近いところにあり、市街は、南北に走るアベニューと、東西に走るストリートとで碁盤の目のように区分されています。大阪では、南北が**筋、東西をXX通りと呼びますが、ちょっと似ています。面積58.8平方キロメートルは、東京の世田谷区の58.5平方キロメートルとほぼ同じですね。言わずもがなですが、国連本部があり、2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロで、2機の飛行機が突入し、崩壊した世界貿易センタービルがあったところ、とにかく一番ニューヨーク的な地域です。

マウント・サイナイ病院は、160年前の1852年に開設されています。この年、日本は、嘉永5年です。8月には、長崎のオランダ商館長が、翌年にはアメリカが来航し開国要求するだろうと伝えています。幕末の始まり、明治維新へ先触れ時期です。世界では、フランスがナポレオンIIIにより帝政復活しました。翌1853(嘉永6)年6月には、予告通り、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦四隻を率いてやってまいりました。そんな時代にできた病院です。色々なランキングをつけるUSニューズ&ワールド・レポートによれば、全米病院ランキングで、12専門分野でトップを占めています。名門中の名門病院で、1968年に医科大学を開設しており、現在は、同大学の附属病院でもあります。

もう一つのモンテフィオーレ病院は、1884年に、ユダヤ系の人々のためにニューヨーク市ブロンクス区、やや下町的な地域に開設され、同じくユダヤ系医科大学アルバート・アインシュタイン大学と一体化しています。この病院は、毎度の古いお話ですが、1970年代後半、ノースカロライナ州リサーチ・トライアングル・パークの国立環境衛生研究所に勤務した頃、高名な血液学者テオドール・スぺート先生が、モンテフィオーレ病院内科血液科部長兼アルバート・アインシュタイン大学教授であり、毎月1回はこの両施設においでの先生の講義と回診について行きましたので、なじみがありました。

いずれにせよ、ニューヨークきっての名門病院の看護師たちがストライキですから、ニュースにもなりましょう。報道によれば、700以上のポストが埋まっていない、ICUや救急室では、一人の看護師が18人の患者をケアするようなこともあって、元々、ストレスフルな事態に加えて、新型コロナパンデミックで限界にきたということのようです。ニューヨークの他の8病院は、事前に経営者側と合意してストは回避したとの報道がありました。

FOX 32 CHICAGOでの報道

ストは、知事が出て、3日間で収まりましたが、多数の看護師が関与した労働行動は、ニューヨーク市では数十年来で最大のものだったようです。印象的なことは、『看護師たちが、自らの職業にどれほど価値があるかをパンデミック対応の中で理解しつつも、疲労と燃え尽き症候群に苦しみながら、何とかやってきた・・・しかし、終に自分自身と患者の双方の状況改善のために立ち上がった』ことです。「私たちは賃金のためにここにいるのではなく、患者の安全を求めてここにいるのです」と、経験19年のロレーナ・ビバス看護師が述べています。(The New York Timesより)

実は、昨年12月には、イギリスでの看護師のストライキが行われ、こちらでは救急車も動かなくなりそうだとか、かなり深刻な事態でした。(CNNより)

わが国でも、コロナ4波頃から、在宅を含め、看護師への負荷が大きくなっていました。もくもくと医師の指示に従って、何でもやるのが良い看護師・・・の時代は大昔です。責任と義務を担って、自立したケアの専門家・・・それは私ども笹川保健財団が目指す看護師像でもあります。

世界観をもって、指導性を発揮できる看護師がたくさん生まれて欲しいと始めた「笹川看護フェロー留学支援」の視察で経験した、看護師の社会活動でした。