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わたしのパリ再訪①‐エッフェル塔

「日本財団在宅看護センターネットワーク」は、2025年9月現在、全国20都道府県に拠点事務所約120か所の他、カンタキ8か所を含め約190の事業を展開し、総勢1,500名近い看護師、助産師、リハビリテーション専門家、ケアマネージャー、介護士、事務職その他のスタッフが勤務しています。「看護師が社会を変える!」とのスローガンの下、いわゆる看護活動に加えて多様な地域活動も徐々に広がっています・・・などと申すと、そのすべてを私ども笹川保健財団が仕切っているように聞こえるかもしれませんが、財団の関与は開業前8か月の研修が主体、開業後関与は限られています。各地各所の在宅看護センターの経営、訪問看護の実践はその研修修了者たちが自主的に運営しています。それぞれの地の歴史や文化、習慣そして既存の保健医療施設や関係者との連携を含め活用できるさまざまなリソースを網羅し、また、調整する役割を目指しそれぞれの地域のニーズ、すなわち、その地で一番必要とされていることに応えるべく全責任をもって運営に当たって下さっています。

日本の看護力は世界一と私は確信していますが、イマイチ、外国には知られていない気がします。そんな気持ちとネットワーク仲間と諸外国の地域看護、在宅看護の実態を経験したいと財団では2023年度から1週間強の北欧(高齢者保健の実体と関連政策の研修)研修視察を始めました。2年4回後の今年の秋、ジュネーブ世界保健機関(WHO)本部とフランス・パリに参りました。

WHOでは全体的責務、看護部の活動その他の解説を受け、パリでは少数ながらすでに実践が始まっているナースプラクティショナー(Nurse Practitioner 診療看護師)の実践とHospital at Home(在宅診療・看護)の実態とその支援体制を見学しました。短時間に盛沢山の見学ができたのは、長年パリで保健医療関連コーディネーター兼通訳をなさっている奥田七峰子氏にお願いできたことによります。今研修の参加者は全員8か月研修後の起業家・・・つまり経営者たちだったこともあって、どこでも質問がバンバンでました。中身の濃いレポートができるでしょう、乞うご期待です。

今日は私の53年振り、パリのエッフェル塔の感想です。

花の都パリ!を歩いたのは数度ありますが、しっかり観光したのは1.5回です。最初は1969年ですから56年前、今回の参加者の大半がお生まれになる前・・・ある団体のヨーロッパ旅行付き添い医を依頼された時です。新米小児科医で大人の団体の付き添いはちょっと自信がない・・・とお断りしたのですが、なら団員参加しなさいとお誘いを受けました。ローマ、ミラノ、ジュネーブ、パリ、ロンドンを3週間以上、どっぷり観光しました。これが初外国旅行でした。3年後にスウェーデンで開催されたヨーロッパ新生児学会に参加、帰路パリに数泊しましたが半分は仕事的で観光は0.5回・・・

まずは、昨年の小欄で記載(「勝負・・・勝ち負け」2024年8月8日)しましたが、第33回オリンピック開会式でセリーヌ・ディオンが『愛の賛歌』を絶唱したエッフェル塔。1889年のパリ万博のために建てられた約300mの鉄骨の塔です。これを模したのが東京タワー(正式名称日本電波塔 333m、1958年竣工)です。何度か上ったことがありますが、周辺の景観はエッフェル塔に負けるかな・・・でも桜の時期の東京タワーは世界一美しいです。そしてわが国には、その後、634mと世界第一の高さを誇るタワー 東京スカイツリーが2012年に完成したこともあって、今回のエッフェル塔への感動は、ちょっと薄れました・・・あっ、私の年齢のせいかも。

しかしやはり元祖○○塔です。が、その昔にはなかったものがありました。セーヌ川側からはるか彼方ですが、ちょうど塔のど真ん中に黒いビルが見えてちょっと興ざめ・・・そして日曜日でしたが、銃を構えた兵士が数人、辺りを睥睨するような様子で巡回していました。

エッフェル塔

近年、政治的に不安定といいますか、フランスでは時にテロ的事件が報じられます。観光地や公共交通機関が標的となる危険性からでしょうか、観光地など公共の場で軍隊や警察の巡回が強化されているそうです。海外にでると、つくづく日本の治安の良さに感動します。

エッフェル塔といえばパリ万博ですが、パリで開かれた万博は1855、1867(日本の初出展)、1878、1889、1990、1925、1937、1947年と8回もあります。そして1867(慶応3)年、明治維新の直前ですが、この年のパリ万博に、日本から徳川幕府が日本大君政府として出展したほか、薩摩藩と佐賀藩も出展したそうです。つまりわが国がまだ全国統一されていないまま、バラバラに参加したのですが、薩摩、佐賀も地方の藩と云っても大名が独自に海のかなたの万博に出展するなど、その国際感覚、経済性、実践力もスゴイ!!です。

エッフェル塔周辺の様子

その佐賀藩肥前国の藩士佐野常民侯がそこでご覧になった国際赤十字委員会の展示で「戦いで傷ついたものは敵味方なく救う」との赤十字精神に感動され、後の日本赤十字の創設につながったのです。さらにエッフェル塔の1889年パリ万博には、新生日本明治政府が出展しました。その際の日本の諸々が後のジャポニズム、展示された日本の工芸品がクロード・モネ、エドガー・ドガ、フィンセント・ファン・ゴッホなどの絵画やその他版画、家具、ファッションに影響を与えたことが知られています。

ライトアップした美しいエッフェル塔‐130年も昔、こんなものを作ろうとした人がいたこと、そしてそれが実現したこと、それが東京タワーにつながり、スカイツリーにつながり、現在世界で一番高いビル UAE(アラブ首長国連邦)ドバイのブルジュ・ハリファビルの828m(2009年建造)につながったのですね。年何事にも挑戦することの大事さを思いました。

ライトアップされたエッフェル塔
セーヌ川越しのエッフェル塔