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久しぶりの書籍ご紹介。近代化への道・知識人とハンセン病 『台湾の夜明け』陳耀昌(大洞敦史訳)と『知の巨人:評伝 生田長江』荒波力、『火口に立つ。』松本薫

平和な日本に住む私には、すっきりと納得できかねますが、現在も三つの「戦争」・・
ウクライナへのロシアの侵攻、
パレスチナ ガザ地区とイスラエルの紛争、
イランへのアメリカの攻撃、
が進行中です。停戦交渉が開らかれているもののイランもどうなるのでしょうか。ホルムズ海峡の運行は日本とも密接に関係していますが・・・

20世紀は二つの世界大戦があったため「戦争の世紀」などと云われますが、むしろこの数年の方が殺伐としてきた感もあります。科学は進歩したのに、戦争は無くならないどころか、巨大化しています。その昔の戦争は独立獲得のためなど、何となく大義名分があったようで、それが近代化を促進したような気もしますが、戦争はどんな形でも、どんな規模でも駄目です。

今週、出張の移動の間に、500頁に近い大作『台湾の夜明け』を読み続けました。
著者陳耀昌のいう「夜明け」の意味を思うと同時に、この大著の主人公盧丙丁の一生と、かつて小欄でも紹介した日本近代化への知性 生田長江を記録した『知の巨人:評伝 生田長江』とそのドキュメンタリーフィクション『火口に立つ。』を思いました。

著者陳耀昌は1949年台湾台南市にお生まれの医師、祖国台湾で初めて骨髄移殖をなさった血液学者でもあり、その昔の小児科医時代には主に血液の病気を扱わせていただいていた私には特別の親近感をおぼえました。でも、なぜ、血液学者が歴史的小説を?です。

陳耀昌が描く盧丙丁(ろへいてい 1901–36?)とそのパートナー林氏好(りんしこう 1907‐91)は日本統治下(1885-1994)の台湾において、自立と尊厳を求めて闘った上流階級出身の知識人です。とりわけ、彼らの人生が政治的民族的抑圧だけでなく、ハンセン病という病によっても引き裂かれていくことに私はりつ然としました。こんなところにハンセン病が・・・と思いました。そして、大著の入り口に近い32頁に美男美女の盧丙丁と林氏好の結婚式の描写があります。夜なのに新郎がサングラスをかけている・・・それが後に盧が発症するハンセン病への伏線とも読めましたが、著者が医師であることによる繊細な記載だったのかもしれないと、二度三度読み返しました。

出版社:左右社、発売日:2026/3/3、本のページ数:496ページ、ISBN-10:4865285091、ISBN-13:978-4865285093

盧丙丁は、日本統治下の台湾の自立のために激しく活動します。知的なご夫婦は、密かに斑紋のある身体の部位には痛覚の無いことや、筋肉が衰えた掌からハンセン病罹患を確信します。活動中の重責を離れて、家族と離れて、当時、ハンセン病治療が可能だったアモイに隠遁します。ここで、その昔のハンセン病特効薬とされた大楓子油と日本国内でそれを一手に扱っていた大阪堺市の油問屋岡村平兵衛からそれを取り寄せる話や、その投与法や実際の投与の実態が細かく記載されています。著者が医師・・・のなせる業ですが、どれほどの苦痛があったのか、読んでいても痛く感じました。

一旦、小康状態になった盧丙丁は台南に戻りますが、やがて、恐らく病気のせいもあったのではと思いますが歴史の表舞台から、忽然と!という言葉のままに消えます。「行方不明」というかたちで・・・

本書は、その盧丙丁の公的活動と彼を支えつつも自立した女性として、その後も1991年まで、音楽や各種活動を広げてゆくパートナー林氏好とのご夫婦の物語でもあります。

一方で、本書は第二次世界大戦前の日本と中国、台湾をめぐる歴史書でもあります。
現在、国際的に台湾は中国の国内問題という認識ですが、1949年の国共内戦の結果、中国本土の中華人民共和国と台湾の中華民国に分かれた事実は、何となく私どもも知ってはいます。そして中華人民共和国が「台湾は自国の一部」と主張していることも理解はしていますが、台湾(中華民国)には事実上独立した政府・軍・経済が存在していることも、しっくりしないまま知っています。国際政治・・・ではなく、国内政治なのかもしれませんが、その昔の、知っているようで知らない日本統治下の台湾の歴史・・・も本書の主題のひとつです。

毎日新聞(2026/3/2 東京朝刊)

その台湾民主化運動の源流における熱血の闘士 盧丙丁(書籍の帯より)が生まれる少し前の日本で、鳥取県の根雨に生まれたのが日本の近代化のための知性開発、女性啓発の元祖ともいえそうな生田長江(1882–1936)です。長江はフリードリヒ・ニーチェを日本に紹介し、近代思想の扉を開きましたが、晩年、ハンセン病に侵され、社会から隔絶されてゆきました。これら二人の人生は地理や政治状況が異なるにもかかわらず、不思議なほどに響きあうように感じました。

20世紀初頭の東南アジア、台湾も日本も近代化の波に翻弄されたのかもしれません。それはさまざまな科学や思想、それらに影響を受けた個々人の行動や考えが激しく変化し人々の生き方、社会や国のあり方が根底から変わる時代だったのでしょう。18世紀半ば、イギリスに発した産業革命は工業化によりました。19世紀後半の東南アジアの変動は社会の知識化によったのでしょうか。盧丙丁という人にとっては「(日本の)植民地からの自立」そして「台湾の台湾人による台湾」という想いであり、生田長江にとっては「西洋思想の受容(と翻訳)」という活動だったように見えますが、それらのかけがえのない活動の陰に二人が侵されたハンセン病が共通していることに、言葉にならない感慨を覚えました。

当時、ハンセン病は単なる病気ではなく「社会的な死」を意味していたのです。感染への恐怖と偏見はひそやかではありましたが、何物をも圧倒する執拗さと強さがあり、感染者そして発病者は物理的な隔離だけでなく、社会的活動からも距離を置かれ、名前や存在が奪われていったのです。余計な一言を加えると、ゆがんだ近代性をめざした国家がゆがんだ衛生や秩序を重視しすぎたために、私たちが最も重要視すべき人権という難しい言葉を濫用する前に、私が私であることを保障できる関係が抹殺されてゆきました。

大冊を読むことはエネルギーを要します。ですが、『台湾の夜明け』は読まねばならない気持ちで読み進みました。途中で気付いたのは、盧丙丁も生田長江も「言葉」を武器にする知識人だということです。盧丙丁は言葉を発することで人々すなわち民族を鼓舞し、長江は思想や文学の翻訳を通じて人々を啓発しました。変革の時代の先端に立つというより先端を作った人びとなのに、病によって周縁へと追いやられたことも共通しています。隔離という物理的隔壁は身体的問題よりも社会との接点、言葉をもった人間から「語る場」を奪うことだと築きました。近代とは本来「個の解放」でもあったはずですが、特定の人々を不可視化した、抹殺しようとした・・・その象徴的なものがハンセン病だったのでしょうか。

盧丙丁がなぜ行方不明となったのかは本書でもわかりません。長江もまた社会的孤立のまま生涯を終えます。その断絶こそが重く、まだ、答えられていない宿題のように感じられました。

その昔台北で撮った写真(本文とは関係ありません)

真剣に読みましたが、一度読んだだけで感想を書けるほど簡単な本ではありません。しかし、『台湾の夜明け』と『知の巨人:評伝 生田長江』と『火口に立つ。』は、異なる場所から同じ問題を捉えているように思い、今も燃え続ける戦<いくさ>があるなかで、近代化とは何か?私たちは何のために戦うのか?誰が他の人々を裁けるのか・・・?落ち着かない世界の状況を想い、平和蔓延の日本で生きていることの意味を考えると・・・答えはない・・・難しい時代です。