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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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「私はこれをどうすればよいの?」 “What am I supposed to do with this?”

2026年8月16日付のThe New York TimesにNina Siegal記者が“As the Old Files Open, One Family Confronts Another’s Dark Nazi Past. (ある家族の古いファイルが開いたことで、もう一つの家族が暗いナチス時代の歴史と向き合う 2026年8月16日 The New York Timesより)” という記事がありました。

Holocaustホロコーストとは、1933~45年の間、反ユダヤ主義に基づくナチス・ドイツ政権とその同盟国、協力者がヨーロッパのユダヤ人約600万人に対して行った組織的で国ぐるみの迫害と虐殺をいいます。『アンネの日記』は、その時代、占領下のオランダ・アムステルダムの隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人の中の、少女アンネ・フランクの日記です。アンネ一家が密告(密告者はいまだに不明)によってナチス・ドイツのゲシュタポにつかまるまでの1942年6月12日から44年8月1日までの記録です。彼女の死後、生き残った父オットー・フランクが出版し、世界的ベストセラーになりました。ユネスコの記憶遺産でもあります。

が、このNYTimesの記事は単なる過去の掘り起こしではなく、80年以上も昔の「事実」の記録を、その時の「加害者」と「被害者」の子や孫の世代はどう受け止めたらよいのか、誰がその記憶=事実を語る権利を持つのかを扱った、とても重い記事と読めました。

記事のつたない要約です。

2023年、オランダの首都アムステルダムに住むジャーナリストJudith Zilversmit 49歳(以下ジュディス)のインスタグラムにベルギーの女性Ingeborg Boelen(以下インゲボルグ)から突然メッセージが届きます。中身はびっくりするものでした。「私の祖母はあなたのお父さんとその家族を密告しました。」とありました。 ジュディスの父ハンスはユダヤ人で、第二次世界大戦中の1943年頃にベルギーに避難潜伏中の一家が密告され急襲されます。両親は逃げられましたが、姉は捕まり有名なユダヤ人収容所アウシュヴィッツへ送られます。幸い、その姉も生き延びました。ジュディスは家族が密告されたことは知っていたのですが、「誰が密告したか」を知る必要があるのか、考えたこともなかったのです。

“As the Old Files Open, One Family Confronts Another’s Dark Nazi Past.” Nina Siegal, Aug. 16 2026, The New York Times

“What am I supposed to do with this?” 「私はこれをどうすればいいの?」 という記事の題名・・・
「80年前の親世代の悲劇、その加害者名が突然判った・・・私はどう受け止めればよい?」かです。

興味深いなどと白々しく申せません。が、加害者の孫インゲボルグも、また、優しいおばあちゃんの過去を知って当惑します。おばあちゃんの個人記録は、何と彼女がゲシュタポ(元はプロイセン州警察、後にナチス・ドイツの秘密警察。ドイツとドイツが併合占領したヨーロッパ諸国の反ナチや抵抗者・スパイ摘発、ユダヤ人狩りと移送を行った)の情報提供者で、ナチスへの抵抗運動者を密告していた・・・戦後、終身刑となりましたが、恩赦で1951年に釈放されていた、つまり、密告された被害者の孫が初めて加害者名を知ったのですが、加害者の孫も初めて(優しかった)祖母の別の姿を知ることになったのです。

ジャーナリストのジュディスがこの経験を6回のポッドキャスト “The Betrayal of the Zilversmit Family(ジルバースミット家の裏切り)”とした番組はオランダで50万回以上視聴されたそうです。ところが、そのおばあちゃんの記録を調べていた歴史家 Marie-Cécile van Hintumがこの「事件」を本にしようとしたというのです。

「この歴史は誰のものか」という別の問題が生じました。ジュディスは、自分の父や祖父の手紙、写真、ナチスの印のある文書、黄色い星などを歴史家に提供しました。歴史家は、自分が調査発見したことはまず自分の本で発表したいと考えます。ジュディスは、「私の家族の資料から調査したのだから私に教えて当然!」と思い、歴史家は「家族史を語る権利が遺族にあるとしても、研究者の調査成果は遺族所有ではない」と云います。最初に「資料を見せましょう」と申し出た加害者の孫も資料を見せることを拒むようになりました。

この経過!!これは「ナチスの協力者は誰だったか?」が問題ではなく、歴史的記録が公開された時、過去は誰のものか、起こったことに誰が責任を持つのか、との新たな問いに見えます。

被害者には「自分(の家族)の過去の事実を知る権利」はあるでしょう。一方、加害者の子孫にも突然突きつけられた、忘れていた、または知らなかった家族史が出たのです。歴史家には研究と発表の自由はあります。しかし資料公開すれば何でも事実が明らかになり、こじれていた関係が「和解」できるとは限らない。逆に80年前の古傷が孫世代の新たな対立や問題を生む危険性もある・・・それがこの記事の云わんとすることでしょうか。記事の最後にジュディス次のように書いています。「(私たちの)この世代では、まだこういう対話の時期ではないのかもしれない。次の世代なら・・・」と。

アウシュビッツ強制収容所の一角(2023年11月、撮影 喜多)

笹川保健財団では、2023年度から毎年8月下旬に、長崎大学の先生方のご協力を得て、長崎市と五島列島の五島市で「ささかわ未来塾 in 九州/長崎」を開催しています。全国各地から20名前後の看護学部他保健系学部学生院生が参加下さいます。今年は初めて熊本県の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園も訪問予定でしたが、先月の地震災害もありネット講義に変更しました。

上記の記事を読み、これはハンセン病の歴史と共通する問題だと思いました。資料をどう保存公開するかということと次世代にどう伝えるか、そして当事者でない私たちが、私たちの次の世代も「ハンセン病問題」という問題をどう理解するかと同じです。「資料を保存すればよい」「公開すればよい」だけではありません。そこには、被害を受けた人、そのご家族とともに、制度を策定し運営した人々も、それらを研究した者も、さらにそれを傍観した膨大な人々・・・私たちがいます。

今、当事者と呼ばれる人々が激減するハンセン病問題、それを知っている私たちが負う責任と後世の社会に生きる人々が、それぞれに負う、異なる『知る権利』『語る権利』とともに『知られたくない権利』もある・・・ちょっと結論はでませんが・・・色々思う記事でした。