JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

「国益」とはなんだろう?

先般、続けて国際刑事裁判所(ICC)について書きました。(会長ブログ 2026.9.7「戦争を起こす「ヤツ」を裁く 赤根智子著『戦争犯罪と闘う』を読む。」、2026.10.13「「ならず者」とは誰のこと?―2026年ノーベル平和賞とICC」)戦争犯罪や人道に対する罪など、国家の壁を越えて重大な犯罪を裁こうとするICC。そのICCに対して、アメリカは10月9日、とうとう裁判官や検察官個人だけでなく、「組織そのもの」を制裁の対象としました。

そして、その一週間後、またまた「それは何事?」と思うニュースです。アメリカ大統領が、ロシアのウクライナ侵攻をめぐって議会で成立し、自らも署名した対ロシア制裁法の主要部分について、適用を見送ると発表したのです。ウクライナを侵略しているロシアには、世界の多くの国が制裁を科しています。それを緩める理由は、「米国の国益(national interests)にかなうから」だそうです。
ウ~ム、国益・・・

「国益」という言葉について、思い出すことがあります。
わが国の国際協力に「無償資金協力」というやり方があります。開発途上国が経済社会開発に必要な施設を整備したり、資機材を調達したりするための資金の返済義務を課さずに提供する協力で、病院や学校、給水施設、灌漑施設や道路、橋など国づくりの基礎事業を支援してきました。その昔、国際医療協力で病院や地方のヘルスセンター建設に関わった際、日本製の医療機器を入れました。当時、日本国内の使用が前提の機器の説明書や仕様書を相手国の言葉に直すだけでも大変な手間でしたし、日本製品ばかりを援助に使うと、「日本の国益ばかり考えている」と批判されたこともありました。

私は「国益」という言葉そのものに悪い印象を持っていません。日本人が日本の国益を考えるのは当然と思っていました。しかし40年ほど前には、「国益」を口にすること自体、どこか後ろめたさを伴う空気があったように思います。

次に記憶に残っている「国益」は、1998年、勤務していたWHOの世界保健総会で聴いたヒラリー・クリントン氏の演説です。この年はWHO創立50周年、第51回世界保健総会でした。彼女が「national interest」という言葉そのものを使ったのではありませんが、私は、その演説から、感染症に国境はなく、貧困や人口問題、女性や子どもの健康も一国だけで解決できるものではない、遠い国の人々の健康を守り、その社会を安定させることは、巡り巡って自分たちの安全や繁栄にもつながる―そんな考えだと理解し、「世界や他国のため」と「自国のため」は必ずしも対立しない。他国の問題を解決することが、結局は自国のためになる―日本語でいえば、「情けは人のためならず」だなと受け止めました。

国内で「国益」を強く意識したのは、2001年の田中眞紀子外務大臣の国会での所信表明演説でした。
「外交の要諦は、言うまでもなく国益を守り増進することであります」と明言されました。私自身が意識していなかったのかもしれませんが、「国益」を正面に掲げた外務大臣の言葉を聞いて、オオ! 日本にも明確に国益を唱える外務大臣がいらっしゃる、と少し嬉しくなりました。

ヒラリー・クリントン氏(Official White House Photo by Pete Souza)

しかし、大切なのはその中身です。
田中外相のいう国益とは、日本の安全と繁栄、国民の生命と財産を守ることだけではありません。同時に、「世界の安定と繁栄」のため、日本が国際社会で相応の役割を果たすことが含まれていました。そうです。世界のために働くことも日本の国益なのです。

世界が戦争だらけなのに、日本だけが安全ということはあり得ません。新しい感染症が日本だけを避けて世界に広がることもありません。地球環境が壊れたのに、日本だけが豊作ということもないでしょう。

他国の平和、健康、繁栄も、また自国の国益につながります。それはMAGA(Make America Great Again―アメリカをもう一度偉大に)を掲げるアメリカだけでなく、どの国でも同じはずです。

そう考えると、問題は「国益」という言葉ではなく、何を国益と考えるか、でしょうか。
自国を豊かにし、自国民を守ることは、大統領の重要な責務です。しかし、世界の多くの国がロシアの侵略を止めようとしている中で、そのロシアへの制裁を「国益」を理由に緩めると・・・ウ~ムです、少々戸惑います。

2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は4年半を超えました。プーチン大統領にはICCから逮捕状が出ていますが、そのロシアへの制裁を「国益」を理由に見送り、一方、同じくICCから逮捕状を出されたイスラエルのネタニヤフ首相をめぐっては、逮捕状を出したICCそのものを制裁する・・・隣国カナダと分け合うオンタリオ湖をアメリカ政府は「Lake America(アメリカ湖)」と呼ぶことにしました。そして大西洋や太平洋の名前まで変えてはどうかと大統領自身が口にしています。笑い話ではありませんね。国際法や国際機関、さらには国境を越えて共有される地理的名称まで、「アメリカの利益になるかどうか」で扱いを変えられるならば、それは一国の国益だけの話ではないのではないか、と思います。

トランプ政権の大統領令と米地名情報システムの変更を反映し、アメリカ湖と併記されたオンタリオ湖(Google Mapより)

が、ここにアメリカという国のもう一つの顔があります。ICCへの圧力に対して、米国内の司法から歯止めがかかり始めています。10月13日、ニューヨーク南部地区連邦地裁のジェシー・ファーマン判事は、ICC活動に協力するアメリカの二つの人権団体に対して、トランプ政権が制裁を科すことを一時的に差し止めました。こうした制裁は、「言論の自由」を保障する合衆国憲法修正第1条に反する可能性が高い、と判断したとのことです。大統領が「国益」を掲げて国際司法に圧力を加える一方、国内の司法が憲法を根拠にその権力行使に「待った」をかける。法による統治をめぐるせめぎ合いですが、私はここに、ちょっと希望も感じ、さすがアメリカと申すのは時期尚早でしょうか。大統領が「国益」と言えば、すべてが決まるわけではない。憲法があり、議会があり、裁判所がある。権力に「待った」をかける仕組みが、この国にはまだ働いているのです。

「国際」で長く働かせていただいたためか、長生きしたためか、私には外国人の知人が大勢います。その中でも、最も数が多く、親しいのはアメリカ人です。その一人が、もう40年ほど前にこんなことを言いました。
「アメリカは大国だけれど、まだ若く、未熟なの。日本は国土は小さいけれど、長い歴史を持った成熟した国。だから両国の関係が大事なの」

今回の政府によるICCへの圧力に対する連邦地裁の判断は、この「若い大国」にも、それを自ら正そうとする理性と仕組みがあることを示していると思います。そして、それこそが長い目で見れば、アメリカの国益を守ることになるのではないでしょうか。

20世紀、世界は二度の大戦で膨大な人命を失い、人々の健康を損ない、国土を荒廃させました。その反省が国際連合の創設や世界人権宣言の採択につながり、さらに長い年月をかけてICCを生みました。そのような、時には面倒で、まどろっこしい仕組みこそが、大国が自国の利益だけで行動し、弱い国はそれに従うしかないという「力の世界」を防ぐためにつくられたはずです。

国益はどの国にもあります。自国民の生命、安全、暮らしを守ることは、どの政府にとっても第一の責任です。しかし21世紀の「国益」は、自国だけで完結するものではないように思います。

他国の平和、他国の人々の健康、そして、面倒であっても国際社会のルールを守ること。それこそが、長い目で見れば自国の国益を守ることになるのではないでしょうか。
アメリカだけでなく、世界にはいくつもの大国があります。それぞれが自国の利益を守りながら、同時に世界のルールを支え、他国の信頼を得ること。

「国益」という言葉を耳にするたびに思います。
いったい誰が、誰の、どのような、そして、どれほど長く続く「国益」を考えているのだろうか、と。

赤根智子氏(国際刑事裁判所裁判官、同所長 © 欧州連合, European Parliament, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=162468331による)