会長ブログ Chair's Blog

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今年の夏は・・・

 

毎年、といっても2014年度からですが、「放射線災害医療サマーセミナー」を開催していました。この研修は、保健医療系学生院生を中心に、少数ですが、工学系の学生も参加して下さったユニークなもので、タイトル通り、放射線災害に対する対応の集中講義と実習、現場見学、福島医大、長崎大学のご協力を得て企画し、福島医大での講義とともに福島県内の川内村、富岡町、飯館村などでの住民の方々との交流や、東京電力第二原子力発電所の見学があります。

それが・・・

今年、本来ならオリンピック、パラリンピックが開催されていたはず、そして福島県では、野球やソフトボールが開催されることになっていました。研修も大事ですが、4年に一度の世界の祭典も大事・・・夏の研修は中止と決めていました。が、予測もしなかった新型コロナウイルスの、それもパンデミックなどという事態となり、研修はもとより、オリ・パラも延期のやむなきに至っています。ホントに、何が起こるか判らない・・・

私どもが、この研修に行き着いたのは、財団の長い放射線災害とのかかわりがあります。

放射線による被災は、戦争下であったとは云え、非人道的武器として原爆がさく裂した75年前にさかのぼります。1945年8月6日のヒロシマ、同9日のナガサキ・・・

ことが人類初の放射線災害であったことは、戦争と云えども同じです。むしろ、ヒロシマ、ナガサキは、戦時下といえ、非戦場での無防備な国民を未曽有の惨状に追いやりました。わが国は、その後、ポツダム宣言(注)を受諾し、第二次世界大戦は終結しました。以後、戦争で大型の核兵器は使用されていません。しかし、現在、世界の8カ国が保有する核兵器は13,865基で、冷戦極期に比べて約1/4とかなり少なくはなっていますが、だからよかったとは云えないものがあります。人類は、核兵器の悲惨さを学習したのですが、なお、使ってはいけない武器のために膨大な経費とエネルギーを費やしています。どうして、それを健康や教育と云ったプラスに転換できないの・・・と云うのは馬鹿げているのでしょう。

実は原子力兵器の史上初のさく裂は1945年7月16日、アメリカのニューメキシコ州で行われた通称トリニティ実験です。これは、ナチスドイツによる原爆開発を恐れた連合軍側が急遽進めたマンハッタン計画の一環です。その成果がヒロシマ、ナガサキ・・・科学の進歩は全て善ではない・・・

戦争、兵器関連の放射線災害では、1946~58年に、アメリカ合衆国がその後の核兵器のための実験を続けたビキニ環礁があります。現在のマーシャル諸島共和国ですが、当時はアメリカの信託統治領、少数の原住民を他の島に強制移住させて、23回もの実験が行われたのです。そして、この間の1953年3月1日の実験では、静岡県焼津港を拠点とするマグロ漁船第五福竜丸ほか、総数では2万人を超える漁業専従者や現地の住民が被爆されています。後に勤務した国立国際医療研究センターには、その第五福竜丸の乗組員らが入院されたからでしょうか、船の模型が展示されていました。

放射線事故は、小規模を含め、いくつも起こっています。1945,46年にはアメリカ・ロスアラモス研究所での臨界事故をはじめ、1950年代には、アメリカ以外にカナダ、イギリス、旧ソビエト、旧ユーゴスラビアなどで7件、60年代には、米ソ、スイス、スコットランなどで7件、70年代には、79年のアメリカ・スリーマイル島原発事故を含め3件、そして1980年代には、現在でも、まだ、終わっていない1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故を含め7件、90年代は7件ですが、わが国の美浜原、浜岡、志賀各原子力発電所と動燃東海事業所の火災、もんじゅナトリウム漏洩火災事故東海村JOC臨界事故とわが国での事故が増えています。世紀が代わって2000年代には6件、わが国では1件のみ、2010年代の9件は、福島第一原発他8件がわが国です。

長々と歴史を記しましたが、私ども笹川保健財団の放射線関連の支援は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故でした。事故が発生したのは1986年4月、しかし実態が明らかになるまでにしばらく時間がかかっています。何故か?といぶかしく思うのは、私どもは情報が比較的速やかに周知される時代と場所にいるからかと思います。先年、31年目の現地を訪問する機会がありましたが、当時の共産主義ソビエト連邦にあって、絶対権力中央モスクワのウクライナ地方に対する関係を慮<オモンパカ>ると、事故現場の人々の命がけの対応と、事故の深刻さを把握した後の中央政府の膨大な対処にもかかわらず、科学的で正確な情報がないまま、漏出した放射能は刻々と周辺地域、そして国境をこえて他国に広がっていったのです。結果として、事故は、2日後にスウェーデンで察知された異常放射能から明るみに出ました。笹川保健財団は、1990年、事故から4年近く後、当時のゴルバチョフ首相の要請によって始まった支援は、医療機器資材の供与以外に、長崎大学、広島大学その他日本の放射線、甲状腺研究者多数の参画を得た壮大なものでした。詳細は、当財団の笹川チェルノブイリ医療協力をご覧下さい。さらに、1991年、旧ソビエトそのものが崩壊しました、現地ウクライナの隣国となったベラルーシ、そしてロシアで放射線被ばくによる甲状腺がん発症をフォローアップするチェルノブイリ(甲状腺)組織バンクが生まれました。私どもは、こちらにも、専門家派遣と共に資金の支援を続けています。

斯く斯様に、私どもの放射線災害関与は、30年の歴史を持っています。そしてそんな知識、実績が、わが国で役に立つなど予測もしていなかったのですが、2011年に福島原発事故が起こりました。

毎年、今頃は福島に入り浸っていました。オリンピック・パラリンピックでの研修中止は、まぁ、やむを得ない・・・と納得していましたが、何とコロナ!!実際には、20名以上の全国からの学生たちが一堂に会することはやめるべきでしょう。ネット開催もありかもしれませんが、災害・・・被災の現地を自分の目で見ることは知識以上に重要です。何とも無念な夏、私には、取り分け、暑い夏が、過ぎようとしています。

2014年からの学生研修は、それぞれの年報をご覧下さい。

2019年度報告書

2018年度報告書

2017年度報告書

2016年度報告書

2015年度報告書

2014年度報告書

(注)ポツダム宣言:1945(昭20)年7月26日、イギリス・チャーチル首相、アメリカ・トルーマン大統領、中華民国・毛沢東主席名で、日本(当時は大日本帝国)に対して発出された13条からなるわが国の全面降伏要求の最終宣言。日本は、1945年4月のイタリア、5月のナチスドイツの降伏後も連合軍と交戦していたが、沖縄地上戦、広島、長崎での原爆投下後、同年8月14日に本宣言を受諾し、戦闘は終結した。同年9月2日に、東京湾に停泊中の米戦艦ミズーリ号上で調印され、即時発効したことで、政治外交的にも第二次世界大戦は終結した。なお、ソビエト連邦は後に参加、追認した。

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