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[中国]雲南省阿猛村家屋建築プロジェクト支援

旧住居

中国では、隔離政策のためにハンセン病療養所が作られ、療養所が閉鎖された後も、戻る故郷を持たない人たちが集まって暮らしているハンセン病定着村が多くあります。雲南省の阿猛村もその一つです。

阿猛村には13家族、21名(ハンセン病回復者は19名)が暮らしていました。村に暮らす人の多くは手足や目に重い障がいを残しています。生活補助金はごくわずか。山深い阿猛村の現金収入はほとんどなく、生活は極めて厳しいものでした。

旧住居

村の人たちが暮らしていた家屋は、1966年の療養所開設当時に作られたものでした。泥や木材で作られた建物は、建築から35年余りがすぎた2001年には、老朽化が進んでいました。すでにいくつかの家屋は倒壊しており、その他の家屋も崩れかけている状態でした。

しかし生活補助金では生活に必要な物も買えないほどで、地方自治体も厳しい財政難のために新しい家屋の建築や修繕の予算は捻出できません。このため、村の人たちは、安全な家屋は夢のまた夢と思っていました。

新住居

安全な家で、安心して暮らすことができるように、HANDA(Guangdong HANDA Rehabilitation and Welfare Association:広東省漢達康福協会)を通して、家屋2棟と公共トイレの建築、電気・水道整備、牛小屋と家屋周辺道路整備に協力をしました。レンガと木材で作られた家屋は、頑丈そのもの。快適な生活が送れるようになりました。

2008年に、長く阿猛村に暮らす李合氏さんが、村について話してくれました。

私はね、雲南省の阿猛って村に住んでるんですよ。この村はね、昔は恐ろしい名前で呼ばれてました。“裸のらい病の村”ってね。ハンセン病にかかったために、みんなから引き離されて、ここに隔離されたんですよ。ここの家はね、泥で作られたんですよ。建てられてから何十年も経ってるでしょ、壊れた家も何軒もあるし、その他の家もみんなひどいもんでしたよ。

寝てるとね、何度も何度も目が覚めるんですよ。まあ、夜のうちからね。なんで起きるかって?土の塊が落っこってくるんですよ、上から。いつ家が崩れるか、毎日毎日心配して暮らしてました。雨降りの時はひどかったですよ。家の中にあるなけなしの物を抱えながら、天井からの雨漏りを受ける茶碗や皿から、水があふれないようにあたりを見回さなくちゃいけないでしょ。いつもドアの近くにいてね。だってね、いつ家が倒れるか分らないんですよ。すぐにも逃げられるように、ドアの近くにいないとね。みんな年寄りでしょ。そうやって雨漏りのことを心配しながら、逃げる用意もしてなんてしてると、疲れちゃって、口をきく気にもなれませんでした。このころはね、1日に2、3言しかしゃべりませんでしたよ。

ところが2003年にすごいことがおこったんです。本当にすごいんですよ。HANDAや日本の人たちが来てね、それから何もかもが変わったんですよ。セメントとレンガで立派な立派な家を建ててくれたんです。床もきれいな床になってね、今じゃ、床の上に穀類を置くこともできるんですよ。家の前まで水道が通ってね、いやあ、本当に便利になりました。きれいで使いやすいトイレもできたんですよ。それから温かいお湯も出るようになったから、冬の寒い時期にも、温かいお湯で手が洗えるようになりました。日本の人のおかげです。

とってもきれいになってね。素敵な名前ができましたよ、この家に。緑なす竹の山の家。翠竹荘って言うんです。

もう、いつ家が倒れるかなんて心配することもなくなりました。村の他の人と話をする時間もできて、うれしいですね。若いボランティアの人たちが来る時も、一緒に話しをする時間ができました。立派な家ができてから、近隣の町で暮らしていた親せきの若者たちが帰ってきました。それでね、村の若い人たちが、この村をもっと住みやすくしようと、いろんなことを始めてるんですよ。畑を耕したり、魚の養殖をしたり。しかもね、これまでは私たちの村に足を踏み入れようとしなかった、近くの村の人たちがね、この村に来るようになったんですよ。ここで作った食べ物を買いにね。こうして、少しずつお互いのことを知り始めたんです。今じゃ、近くの村の人たちとも仲良くなりました。もう、“らい病村”なんて言う人は誰もいません。私たちも普通の人間として暮らせるようになったんですよ。

阿猛村の安全な家屋建築プロジェクトは、ボートレースチャリティー基金からのご寄付で支援させていただきました。

期間2002年度~2003年度
対象地域中国・雲南省硯山県阿川鎮 阿猛村
協力先 HANDA(Guangdong HANDA Rehabilitation and Welfare Association:広東省漢達康福協会)