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タイとネパール ハンセン病の記憶と記録を残すのは「今、でしょ!」

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タイ王国の場合:1868年から海軍の砦があったチャオプラヤ河の河口ちかく。今から65年まえ、現ブミポン国王陛下の指導でRaj Pracha Samasai (王と国民がともに参加するの意)財団が発足し、最初の事業としてハンセン病患者の治療、リハビリ、患者子女の学校が始まった記念すべき地と建物(2階建て木造)を歴史資料館として修復し広くハンセン病問題の学びの場としようという企画が始まっています。

現国王陛下により礎石が置かれた記念すべき建物、と説明するルッチ課長とティ―ラ元医務局長

ネパールの場合:1857年に時の王家により建てられた木造土壁3階建ての最初のハンセン病患者「収容」施設。ネワル族の伝統的なコカナ村のはずれ、バグマティ川の河川敷に今も最後の一棟がのこり、100余人の回復者と家族が住んでいます。一階には山羊など動物もいて、2階3階は大人が立つと頭を打つほど低く、地震があれば危険極まりない。政府は高齢者が多い居住者を、隣接地に新築予定の住居に移したいと考えています。その政府当局(LCDハンセン病対策部門)のバンダリ部長から「コカナ療養所に最後に残るこの建物を壊してしまうと、ネパールのハンセン病の記憶が失われる。これを保存して後世に伝える場にしたい」という言葉を聞いたときは、正直驚き、かつ感激しました。記憶と記録を保存し後世に伝えるというのはどういうことを意味するのか。誰の記憶を保存するのだろうか。まだまだ具体案はないようですが、この動きを是非実現したいものです。

コカナ療養所の古い建物

コロンビア、フィリピン、マレーシア、そして今またタイとネパール。このほか、インドネシアでもオランダとのハンセン病の歴史の共同研究が始まっています。まさに、世界的にハンセン病の歴史を残すのは「今 でしょ!」という声が聞こえるような気がします。
この動きを加速させるために当財団は、日本各地のハンセン病資料館と繋げる道を探りたいと考えています。ハンセン病当事者たちが自らの生きた証を残すという強い思いの上に生まれた日本の資料館。過去の過ちの反省と謝罪から未来への発信の場とする努力が続けられている日本の例は、世界各地の人々に示唆することも少なくないと同時に、日本のハンセン病問題が世界とどのような距離にあるのか、あったのかを知ることも意味があると思えるからです。まさに「ハンセン病は世界をつなぐ」のです。