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タイ:ハンセン病コロニーから普通の村へ

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微笑みの国タイランドで、現在、ハンセン病コロニーが、村へと変わりつつあります。
前世の報いなどとして、ハンセン病患者が厳しい差別の対象となっていた約50年前、タイ国民が崇敬する国王閣下がこの窮状を救うために立ち上がりました。
故郷で暮らすことができなくなった人たちが、心穏やかに暮らす場所を提供するという目的で、タイ全土に13箇所、ハンセン病コロニーが次々と作られました。
保健省直轄のコロニーの土地は保健省に属し、生活にかかる費用は保健省が負担していました。一定の生活の保障はされていますが、土地活用、近隣コミュニティとの共同活性化などを通して、コロニーが発展することは考えられておらず、コロニーで暮らす人たちもそのまま静かに余生を暮らすことを望んでいました。
変化が訪れたのは約8年前。
もはやコロニーで暮らす回復者の数は限られており、多くはその家族です。
これをハンセン病コロニーとして存続させるのか、または普通の村としての第一歩を踏み出すのか。一般コミュニティへの統合案を出したのは、保健省でした。保健省がまず第一弾として挙げたのが、スリン県のプラサート ハンセン病コロニーでした。現在プラサート ハンセン病コロニーには22人の回復者と、回復者の家族を含む200人が暮らしています。周辺コミュニティには約8,000人が暮らしています。コロニー住人との対話が始まった8年前、もっとも苦労したのは、住人の意識を変えることだったといいます。
「保健省直轄でも生活は保障されている。なぜ今さらそれを変えなくちゃいけないんだ?」
という質問に対する答えが
「次の世代も、その次も、ずっとハンセン病コロニーで暮らしていくのか、またはごく普通の村として、普通の国民と同じように、ハンセン病のレッテルを貼られずに生きていく選択肢を考えるのか。決断はあなたたちが下してください。私たちができるのは、あなたたちが普通の村となることを望むのであれば、それが可能となるようにお手伝いをすることです」
住人との対話を続けると同時に、一般の村となることで予算や業務が増加する県政府、県・市町村保健局、福祉関係者、近隣コミュニティの人たちとの協議も開始しました。住民の結論は、一般の村になることでした。
関係諸機関の合意が得られ、関係者全員による覚書が結ばれたのが1年前です。
プラサート ハンセン病コロニーは、現在はラジ・プラチャ・ルアンチャイ村と名前を変えました。県政府からの技術指導と支援を受け、土地の一部を利用して、食用ガエルや食用の虫を育てたり、コミュニティの貯水池から水を引いて、野菜などを育てています。収穫されたものは、近隣コミュニティで販売されます。
コミュニティに、旧コロニーでの活動も行うコミュニティボランティアグループが組織され、さまざまな活動が行われるようになり、コミュニティの人たちのハンセン病に対する偏見も激減しました。
また、活動が行われるようになったことで、旧コロニーの人たちは、将来に希望を見出しています。コミュニティと共に生きる道を選んだスリン県プラサート。コミュニティに受け入れられ、共に発展していくことができるかどうか、その答えが出るのはまだ先のことですが、それを可能とする体制を作り、コミュニティの人たちを動かしたプラサートの今後に期待したいと思います。