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日本のハンセン病問題とメディア

日本では1951年に、全国国立癩療養所患者協議会(全癩患協:1953年に全患協と改称)が結成されました。入所者が個人ではなく、団結して待遇改善を求め、交渉力を強めました。長い闘争の歴史の結果、徐々に園内の住環境も整備されるようになりました。
1996年には全国国立ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)と名前が改められましたが、全患協・全療協の歴史を通しての最大の転換が訪れたのは2001年でした。
全療協の会長である神(こう)美知宏さんが、回復者運動とメディアの役割について語ってくれました。
「1998年に熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され、続く1999年には東京地裁と岡山地裁に「らい予防法」人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟が提訴されました。
歴史的な熊本地裁の判決が下りたのが、2001年です。
原告側(回復者)の完全勝訴となりました。
勝訴から2週間の期間を経て、国は控訴を断念しました。
控訴か否かが決定されるまでの2週間、多くの人が厚労省前で控訴反対活動を行いました。
その反対運動に参加してくれたうちの半数近くが、回復者やその家族ではない、社会の市民だったのです。
その方たちに聞いてみると、『隔離政策を推し進めた国の政策もあるが、自分たちの前の世代の人たちがやってきた無らい県運動や、ハンセン病の問題を見ないふりをしてきた私たちにも責任があると思った』という答えが返ってきました。
それまで私たちの活動は、約50年にわたり、待遇改善を求めるものでした。それが2001年の勝訴、控訴反対運動を通して、大きく目指すものが変わったのです。
いわば待遇改善という壁の中での運動から、人間回復・差別の一掃をめざす運動に変わったのでした。
先ほどの、自分たちにも責任があると思ったという意見ですが、これが出てくるようになったのは、メディアが果たした役割が大きかったと思います。
提訴、勝訴、そして控訴断念までの期間、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど多くのメディアがハンセン病の問題を取り上げてくれました。
それによって、それまでハンセン病の問題があるということも知らなかった多くの人たちが、問題を知り、それが自分たちと無関係ではないことを感じてくれたのだと思います。
これによって、私たちの運動は大きく変わることができました。
いま私たちは危機的な状況にいます。
ハンセン病問題基本法で人間らしい人生を送ることが約束されたにもかかわらず、療養所の職員不足のために人間らしい生活を送ることはできていません。そして過去数年間これを改善するよう厚労省に訴えていますが、事態は全く動いていません。
ハンセン病という病気によって、生涯の大半を隔離され、人間らしく生きることも許されなかった私たちが、安心して生活を送ることができるようにするためには、皆さんの力がまだまだ必要です。メディアには積極的にハンセン病問題を取り上げてもらい、一人でも多くの人に私たちの状況を知っていただきたいと思います」