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異なる“武器”が生む相乗効果。Sasakawa看護フェローが挑む地域のメンタルヘルスケア改革

Sasakawa看護フェローの岡田香織さん(左)と藤井清文さん

取材:ささへるジャーナル編集部

いま、精神看護の現場では入院に偏りがちな体制と地域医療の資源不足が課題とされ、患者および医療従事者の尊厳が守られにくい状況が続いています。

同じ精神看護、訪問看護をバックグラウンドに持つ岡田香織(おかだ・かおり)さんと藤井清文(ふじい・きよふみ)さんも、まさにその「尊厳を守れない仕組み」に直面し、看護師として社会を変えるために行動を起こした方々です。

笹川保健財団は、「看護師が社会を変える」というスローガンを掲げ、これからの保健分野を支える新たなリーダーとして、グローバルな視点を持った看護師を輩出するための海外留学奨学金制度「Sasakawa看護フェロープログラム」(別タブで開く)を展開しています。

おふたりは同プログラムを利用して海外の MPH (Master of Public Health/公衆衛生学修士)の学位を取得するために飛び立ち、岡田さんはエモリー大学ロリンス公衆衛生大学院行動・社会・健康教育科学修士課程を修了、藤井さんはジョンズホプキンス大学公衆衛生学大学院国際保健学部門・社会・行動介入学修士課程に在学中です。


同じバックグラウンドを持ちながら“違う武器”を手にした岡田さんと藤井さんに、その経験を通じて地域におけるメンタルヘルスケアの未来をどのように描いているのか、お話を伺いました。

原点は「バーンアウトする現場」「守れない患者の想い」

――おふたりが精神看護を志したきっかけから教えてください。

藤井さん(以下、敬称略):私には自閉症の従兄がいるんです。幼い頃から仲良くしていたのですが、社会からの偏見や、両親である叔父・叔母の苦労を目の当たりにして。精神疾患のある人たちがもっと受け入れられる社会を築きたいと思ったのが原点です。

岡田さん(以下、敬称略):私は栄養士から看護師へと転身したのですが、きっかけは看護学生時代の実習で出会った患者さん。一生懸命生きてきたのに、社会の中で生きづらさを抱えて心を患われました。そんな純粋に頑張って生きているだけなのに苦しんでいる人を、看護師の立場から支えたいと思ったんです。

精神疾患のある人たちへの思いを話す藤井さん

――臨床現場ではどのような課題を感じましたか?

岡田:看護師になって初めて就いた急性期看護の現場でも、次に就いた訪問看護の現場でも、質を高めるほど報酬が見合わないという診療報酬の構造に直面しました。そのことが、スタッフのバーンアウト(燃え尽き症候群)につながり、結果的に患者さんのケアの質も下がってしまう。

そのような問題を改善しないと、患者さんの尊厳も守れない――そう気づいた時、個別のケアだけでなく、政策に携わり、国の医療システムや制度そのものを変える必要性を感じました。

藤井:私が痛感したのは、多くの病院で「患者さんを管理する」という視点が強く、症状を抑えることばかりが優先されてしまう現実です。結果として、患者さん自身が本来持っている「生きる力」を引き出すという、最も大切なアプローチが疎かになっていると感じていました。

ある時、ご家族と医師の間だけで治療方針が決まり、患者さんは黙って下を向いている場面に遭遇しました。でも、後でご本人から話を聞くと、本当は親からの虐待があったけどそのことを医師に伝えられなかったようで……。この経験から、患者さんの本当の姿や想いと向き合うには、医療者や家族という閉じられた関係だけでなく、ご本人やご家族を支える周囲の人々や地域全体を巻き込んだ、より開かれた環境づくりが必要だと痛感しました。

看護の現場で感じた課題解決への思いを話す岡田さん。この日は帰国後の報告会のため晴れ着でインタビューに応えてくれた。

公衆衛生学を学び「社会を変える」道へ

――看護フェロープログラムを知ったきっかけは?

岡田:訪問看護の現場で働きながら、公衆衛生をしっかり学びたいと思い、奨学金を探していたんです。そんな最中に、私が通っていた看護大学の国際課から「笹川保健財団で奨学金制度ができました」というメールが届いて、「これだ!」と思いました。海外で学びたかったけれど、経済面でのハードルが高く、足踏みをしていたんです。

藤井:私は看護の現場に携わりながら日本の大学院で精神疾患について研究していた時期があったのですが、海外へ留学したいという思いを抱えながら、金銭的な理由で諦めていました。そんな折にSNSで笹川保健財団の奨学金制度を見つけました。

最初は金額が大き過ぎて「こんなに出してもらっていいのかな」と少しためらいましたが、やっぱり海外へ留学したいという気持ちが抑えきれずに応募を決めました。

――経済的支援もさることながら、笹川保健財団の奨学金制度のどんなところに共感されましたか?

岡田:「看護師が社会を変える」という力強いスローガンに心を打たれました。

藤井:同感です。看護師って、病院でも序列があって第一線で働いているのに影の存在になりがちじゃないですか。しかし、この言葉に触れ、自分たちの職業の可能性を見出し、社会に示していく必要性を強く感じました。

――おふたりはなぜ公衆衛生学を選んだのでしょうか?

岡田:1対1のケアだけでなく、予防や地域、集団など社会全体にアプローチできる力を身につけたかったんです。特に国の医療システムや制度を変えていくには、政策評価やエビデンス作成のスキルが不可欠だと考えました。

藤井:「病院から地域へ」というのが日本の医療の大きなテーマです。でも地域には精神障害に対する偏見や差別もあるし、今後増えていくであろう移民・難民の方のメンタルヘルスにも対応する必要がある。公衆衛生の視点で社会や地域を見られる看護師の存在が必要だと思ったんです。

互いの話に真剣な眼差しで耳を傾ける藤井さん(右)、岡田さん

それぞれが選んだ道、異なる“武器”の獲得

――留学先では具体的にどのようなことを学びましたか?

藤井:ジョンズホプキンス大学で社会行動科学を専攻し、人の行動変容(※1)を学びました。最も印象的だったのは「ポジティブデビアンス(Positive Deviance、ポジティブな逸脱者※2)」という考え方です。

例えば、同じ食糧不足の村でも栄養失調にならない家族がいる。調べてみると、他の家族が食べない根っこや植物を活用していた。新しく何かを作らなくても、社会の中に既にある解決策を見つけて活用する――この視点は、日本の精神保健の分野にも応用できると確信しました。

※1.「行動変容」とは、人の意識が変わることで行動や習慣が変わり、最終的にその変化が定着するまでの一連の流れを指す

※2.「ポジティブデビアンス」とは、同じ悪条件下にもかかわらず、周りと違った珍しい行動によって、よい成果を出している成功者や成功方法に着目する、課題解決の手法を指す

ジョンズホプキンス大学にてセラピー犬と交流する藤井さん

岡田:エモリー大学で行動社会健康教育学を学びました。研究経験がなかった私にとって、理論から学んで実習で活かし、自分でプロジェクトをつくってデータを取り、分析して修士論文にする一連の過程は大きな財産となりました。

特に印象的だったのは、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)での実習です。ヘルスセンターでメンタルヘルスプログラムの評価を行ったのですが、精神看護の経験があったからこそ、「どういう治療が必要か」「医療者にどんなニーズがあるか」を深掘りしながらインタビューすることができました。

また、他学部の「ヘルスポリシー(※)」に関する授業も取って、政策提言の書き方も学び、より実践的なスキルも身につきました。

※「ヘルスポリシー」とは、健康に関する社会的な目標を達成するために、政府や組織が策定する政策や戦略のこと

エモリー大学での岡田さん

――藤井さんは日本でも修士課程を経験されていますが、日本の教育との違いで印象的だったことは?

藤井:ケーススタディを中心とした教育を受けられたことですね。例えば、病院でコンポスト(生ごみの堆肥化)のごみ箱が使われていない課題に半年間取り組み、関係する人々へのインタビューを通して解決策を考え、病院に提案するまでを授業で経験できました。

対照的に日本では座学や詰め込み教育が多い印象だったので、留学先でのフィールドワークの経験を通して、実践的な学びが記憶に残りやすいと感じています。

ジョンズホプキンス大学での藤井さん

――その他に留学先で得られたものはありましたか?

岡田:看護フェロー同期で同じくエモリー大学公衆衛生大学院に留学した看護師の岩水さんという方がいるのですが、お互い大変な時期を支え合い、強い絆を育めたことは大きな財産です。彼女がいたから私はエモリー大学を卒業できたと思っています。「今日学校行く?」「一緒に勉強しよう」などと、いつも励まし合いながら取り組んでいました。

エモリー大学の卒業式で仲間と一緒に記念撮影する岡田さん(右から3人目)。右から2人目が、一緒に励まし合いながら勉強したという岩水さん

藤井:岡田さんと同様、看護フェロー同士のつながりが得られたことは大きいですね。

留学中もオンラインで情報交換する機会が度々あって、精神看護だけじゃなく、成人看護や老年看護などさまざまな専門のフェローが、それぞれの場所でどのような課題に取り組んでいるかを共有し合える。看護師としてこういう国際的なつながりができたことは、本当に貴重です。

制度と教育、異なる視点の交差

――留学経験を通じて、当初の目標はどう変わりましたか?

岡田:留学前は精神保健分野をより良くしたいと思っていたのですが、公衆衛生大学院で学ぶ中で「健康の社会的決定要因(Social determinants of health )(※)」の重要性を実感しました。

住居、医療へのアクセス、環境、教育といった要因が、医療と同じような重要度で健康に影響している。そういう気づきを得て、精神保健分野にとどまらず、国全体の制度や政策に携わっていきたいと思うようになりました。

※「健康の社会的決定要因」とは、個人や集団の健康状態に影響を与える、経済的、社会的、環境的な要因のこと

藤井:いい意味でも悪い意味でも「アメリカだからすごい」という感覚はなくなりましたね。日本でも本当に素晴らしい活躍をされている方がたくさんいて、実務経験としても誇れるものを有している。その中で、殻を破って外に出ることの大切さを実感しました。

今後、いろいろな人たちが集まる共生社会を形成していく中で、人として幅広く価値観を受け入れる体制を、看護師の立場として築いていけたらと考えています。

留学先で得られた学びについて話す岡田さん(右)と藤井さん

帰国後の挑戦――政策と地域プログラム

藤井:研究職を目指しています。出身地である大阪に戻って、移民や難民といった在日外国人の方たちともしっかり関係性をつくっていきたい。そして、自閉症や鬱、統合失調症など地域で暮らす人々のメンタルヘルスに対する理解を高めるプログラムを開発・発信していきたいと考えています。

多様な文化の中でより良い社会をつくるために、政策的なアプローチも含めて貢献したいですね。

岡田:まず2年間離れていた日本の医療状況をしっかり把握したいと。その後、厚生労働省や政策研究所などでの入職を目指したいと考えています。現場で感じた課題を、データに基づいた政策提言という形で解決に導けるよう、貢献していきたいと思います。

編集後記

おふたりの対話からは、それぞれの専門性への理解と敬意が感じられました。岡田さんの「エビデンス構築と政策評価」、藤井さんの「行動変容と文化的アプローチ」――異なる“武器”を持つからこそ、互いの視点に新たな可能性を見出せたのではないでしょうか。

「看護師が社会を変える」という言葉は、決して大げさではありません。それは、異なる武器を持つ仲間と出会い、相乗効果を生み出すことから始まるのかもしれません。

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撮影:十河英三郎

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