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エチオピア リーベンさん

何年も前の話になりますが、エチオピアの首都アディスアベバからサスペンションに問題ありのジープに乗って、ロバの間を縫って北上し、デセという町に行きました。

雨期だったからか、伐採されて高い木はあまりありませんが、なかなか青々していて素敵です
エチオピアには全国回復者組織のENAPALがあります。ENAPALは1996年に設立され、現在では7地域に63定着村支部を持ち、15,000人を超える会員をもつ組織にまで発展しました(こちらもどうぞ 。ENAPALのホームページはこちらから。)デセはその支部の1つです。これはその書記をしているリーベンさんの話です。
「私は物乞いを35年間続けた。35年間の物乞いの重みや、辛さは分かってもらえないと思う。
私は病気にかかる前には、普通に仕事をしていた。しかし病気にかかると仕事は続けられなくなり、金はどんどんなくなっていった。必死に仕事を探したが見つからず、食べ物を買う金もなくなった。
仕方なく物乞いをするようになった。物乞いを始めてしばらくの間は、恥ずかしくて顔が上げられなかった。35年間、人の足元だけを見て暮らした。しばらくすると恥ずかしいことに慣れた。そのうちなんにも感じなくなった。他人にごみのような存在として無視され続けるうちに、誇りも自信も何もかもなくしてしまった。私が変わろうと思ったのは、子どもたちが理由だ。
私の子どもたちは、私のことを恥ずかしいと思っていて、長いこと口を利いてくれなかった。学校で、乞食の子どもといって、ずっといじめられていたそうだ。
ENAELP(旧ENAPAL)の支部ができると聞き、自分も変わらなければならないと思った。35年もの間、これ以外の生き方を知らなかった自分だ。失敗や新しいことに始める恐怖や不安はとても大きかった。それでも、自分のため、子どものため、そして同じ病気を体験した仲間のために変わらなければならないと思った。障がいのある私がやれることは限られている。だからヤギを飼おうと思った。
物乞いで稼いだ金を少しずつ貯めて、ヤギを買うのには時間がかかった。最初は2頭。多いときは8頭飼っていたこともある。今でもまだまだ稼ぎは大きくない。でも自分の働きで、お金が稼げるこの喜びは、何物にも代えがたい。自分の足で歩き始めた私は、ENAPALの書記もしている。役所に行くことだってある。35年もの月日がたち、いま、ようやく、私は顔を上げ、胸を張って生きていけるようになった。私は変わった。そして子どもたちも変わった。私のことを誇りに思うと言ってくれた」

彼の話はこちらにも掲載されています。

リーベンさんとその子ども