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ガーナの啓発活動

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ガーナは1998年に人口1万人あたりの患者数1人以下という公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧を達成して以来、現在に至るまで制圧レベルを維持しています。しかし北部を中心に一部地域では依然として有病率が高い地域もあり、また北部を中心として偏見や差別が根強く残っているため、医療面と社会面の双方からの働きかけが必要とされています。
2003年にはガーナの患者・回復者やその家族の尊厳ある生活をめざして、回復者団体であるIDEAガーナが誕生しました。笹川記念保健協力財団は、IDEAガーナの2004年から生活環境改善や啓発活動を支援してきています。
IDEAガーナを率いるリーダーの一人であるコフィ・ニャルコさんのライフストーリーは、こちらです。子どものころに両親を亡くし、ハンセン病にかかり、さまざまな困難に立ち向かいながら、現在は教師として、ハンセン病を体験した個人として、多くの人に希望と勇気を与えています。
IDEAガーナは、ガーナにおけるハンセン病の偏見と差別をなくすためには、多くの人にハンセン病の正しい情報を知ってもらうことが必要だと考え、啓発活動を始めることにしました。その第1回は2009年の12月。まずはIDEAガーナの拠点であるセントラル州から開始しました。
回復者が多く住む村をまわり、1日かけて、回復者や家族、そして近隣に住む人たちに話をしました。
病気について、治療について、障がいについて。障がいがあっても病気は治っていることもあることも。そして病気にかかったことがあっても、障がいが残ったとしても、1人の人間として変わりはないことを。
コフィをはじめとするIDEAガーナのメンバーの人柄、熱意、能力に多くの人が心を打たれ、1日の初めと終わりでは、大きな変化がありました。回復者やその家族は希望を持つようになり、これまで回復者やその家族を避けていた人たちは、自分たちの過ちに気が付き、話しかけ、積極的に接するようになったそうです。
2010年にはアッパーウェスト州で、2011年にはノーザン州で同様の啓発活動が行われました。ノーザン州のある村では、村の人たちの尊敬を集めていた酋長がハンセン病を発症し、酋長の座から降りざるを得なかったそうです。1984年からこの村には酋長がいませんでした。2011年にIDEAガーナの啓発活動がこの村で行われました。村の人たちは熱心にハンセン病について質問をし、悪いことをしたからかかる病気でも、天罰でもないこと、簡単にはうつらないことなどを聞いたそうです。酋長だった人の息子もハンセン病にかかっていたのですが、村の人たちは、この息子のところに行くと、自分たちの仕打ちが間違えていたので、是非ともまた村の酋長になってほしいと頼んだそうです。

これまでIDEAガーナが啓発活動として訪れた村の多くの人が、言っています。「人生が変わったよ!次は是非とも参加させてほしい。この病気のために苦しんでいる人が、ガーナにはまだまだいるはずだ。今度は自分がその人たちの人生を変えてあげたいんだ」と。
今年はアッパーイースト州とノーザン州で啓発活動を行います。これまではIDEAガーナの拠点であったセントラル州のメンバー8人が、各地の村をまわっていましたが、今年からセントラル州からは4人、残りの4人は、これまでIDEAガーナが啓発活動を行った村の人たち4人がボランティアで参加します。同じ病気を、同じ差別を体験した人たちだからこそ分かりあえることもあります。IDEAガーナの活動は、小規模ながら、確実に一人一人の心に届き、少しずつ社会を変えていっています。