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一人を診る医療から、社会を支える医療へ——Sasakawa看護フェローが留学して実感を得た看護師の可能性

Sasakawa看護フェローの古市陽香さん(左)と小谷愛さん

取材:ささへるジャーナル編集部

看護学分野における国際的な最高学術学位、「Ph.D.Nursing」。看護職の未来のために、新しい知識の創出や理論構築を目指す博士課程です。それぞれの志と目標を胸に抱いて看護師のお二人、古市陽香(ふるいち・はるか)さんはブリティッシュコロンビア大学看護学博士課程に、小谷愛(こたに・めぐ)さんはニューヨーク大学看護学博士課程にそれぞれ在学中です。

お二人が活用したのは、笹川保健財団が実施している海外留学奨学金制度「Sasakawa看護フェロープログラム」(別タブで開く)。「看護師が社会を変える」というスローガンのもと、これからの保健分野を支える新たなリーダーとしてグローバルな視点を持った看護職を支援しています。プログラムを活用した留学までの経緯、留学先で得た学びや自身の将来像についてお話を伺いました。

患者の健康管理が社会的要因に左右される現実

――お二人が看護師を目指したきっかけを教えていただけますか。

古市さん(以下、敬称略):15歳のとき、父が倒れて入院しました。その際、不安に包まれる家族に寄り添い、希望を与えてくれた看護師さんたちの姿に心を動かされ、私も人に温かさを届けられる看護師になりたいと思ったのがきっかけです。

小谷さん(以下、敬称略):私は物心ついた頃から看護師に憧れていましたが、父の転勤で渡ったアメリカで手術を受けた経験が、その想いをより強くしました。言葉がわからない私をジェスチャーや表情で励ましてくれて、看護には言語を超えて人を支える力があると感じました。

看護師を志したきっかけを話す古市さん

――留学前には看護師としてどのような経験を積まれ、どのような課題を感じていたのですか。

古市:大学病院で勤務する中で、患者さんの健康は個人の努力だけでなく、病院外にある社会的要因にも大きく左右されていると感じるようになったんです。その背景を確かめるため、1年間アメリカのフィンドレー大学に留学。ヘルスケアマネジメントを中心に、社会インフラや地域構造が健康に及ぼす影響を学びました。

帰国後は保健師として、自治体や後期高齢者医療広域連合に所属し、介護予防事業の企画や家庭訪問、疾病データの分析等に携わりました。医療現場と行政の双方から、多角的に予防医療に関われたのは良かったと思います。

小谷:私は看護師として働くうちに、看護は個人の力量ではなくチームで成り立つものだと強く実感しました。一人がスキルアップするだけでは限界があるんです。ただ、現場の課題は感じても、体制を変えるための提案力や分析力が自分には不足している……。そうした自覚から、まず大学院へ進学しました。

その後、NGOなどでの活動を通じて視野が医療現場の外へも広がり、地域全体を見渡す中で、予防医療につながる医療アクセスの重要性に関心を持つように。古市さんと同じく、社会的要因によって生じる健康格差を、予防の視点から減らしたいという想いが徐々に芽生えていきました。

医療現場で、看護師として感じた自身の課題を語る小谷さん

多彩なプログラムを通じて育まれるフェロー同士の絆

――Sasakawa看護フェローに応募するにあたり、準備として大変だったことは?

古市:英語の勉強ですね。応募要件としては「TOEFL iBT80またはIELTS6.0以上」となっていますが、例えば私が今在籍しているブリティッシュコロンビア大学(以下、UBC)のPh.D Nursing(看護学博士)の条件は、IELTS Overall7.0かつListening 7.5以上です。

現地の講義についていくためにも、保健師として働く傍ら、毎日英語の勉強を続けてきました。小谷さんが在籍するニューヨーク大学(以下、NYU)も、確か条件は同じですよね?

小谷:そうですね。あと、実際に留学して授業を受けた体感では、グループワークが多いので、単に語彙力があるかどうかより、幅広い知識と多様な視点を備えておくことが重要だと思います。医療英語は私も継続して勉強中です。

――お二人とも2023年にフェローとなり、2025年9月に海外留学するまでどのような活動を行いましたか

小谷:毎月1~2回、多様な専門家を招いて開催される講義に参加していました。なかでも笹川保健財団の喜多悦子(きた・えつこ)会長からは、自身の関心に留まらず幅広く知識を吸収する姿勢、日本人として母国の歴史に目を向けることの大切さを何度もご教示いただきました。

古市:私が印象に残っているのは、鳥取県日野町で実施された「地域フィールド視察研修」です。ハンセン病であったとされる同地出身の評論家、生田長江(いくた・ちょうこう)氏の歴史に触れ、長く迫害されてきた事実を知ることで、今後の医療の在り方について深く考える貴重な機会になったと思います。

小谷:私も参加させていただいたのですが、宿泊の研修だったので、フェロー同士の絆が深まったと思います。

古市:夜通し参加メンバーで、現在取り組んでいることや今後のキャリアプランなどについて語り明かして。カジュアルに、さまざまな議論ができたのも良い経験でした。

鳥取県日野町で実施された「地域フィールド視察研修」に参加した時の小谷さん(前列左から2人目)と古市さん(前列右端)

――フェローは同期のほか、先輩フェローの方々とも交流する機会はあるのでしょうか。

小谷:同期の人たちとは毎月の講義後に、喜多会長が食事会を設けてくださるので、そこで少しずつ親しくなりました。

古市:笹川保健財団の方やフェローの先輩方が、顔を合わせる機会を多く設けてくださいます。例えばPh.D申請時には志望書の書き方や勉強方法など、実践的な助言がとてもありがたかった。現在もオンラインを通じて相談できる関係が続いており、こうした縦横のつながりが育つ点はフェロープログラムの良いところだと思います。

異国の文化と教育環境の中で磨かれる貴重な学び

――現在留学先でどのようなことを学んでいるのか教えてください。

古市:もともと、他分野との共同研究が盛んなところが良いと思って留学先をUBCに決めました。今は講義のほか、「BC Primary Health Care Research Network」という研究ネットワークに参画しています。現在携わっているのは、英国で実際に使われている電子診療情報をもとに作られたフレイル評価ツールを、カナダの医療現場に適合させ、標準的評価基準として導入するために、妥当性を検証するプロジェクトです。講義以外は、ずっと研究室にこもりっぱなしですね。

小谷:私は授業面でいうと、今はPh.Dの基盤となるフィロソフィー(哲学・理念)を通じて、自分が研究者として世界や現実をどう捉え、何をどのように測り、論じていくのかを学んでいます。この学びを通して、研究には、事実の正確性や研究理論が厳格に求められる一方で、その前提を満たした上での学術的議論は、必ずしも正解・不正解という二分法で整理できるものではないことを理解するようになりました。授業を通して、ようやく自分の価値観を含めた研究者としての「出発点となる軸」が明確になってきたところです。

あとは、とにかく他分野の方々と幅広く交流するようにしています。アメリカでは“コーヒートーク”という文化があり、話しかけると皆さん、気さくに応じてくださるんです。今後、医療分野では、AIや社会科学的視点などを取り入れた学際的な連携がいっそう重要になると考えているので、看護師も積極的にこうした輪に加わるべきだと感じていますから。

留学先のUBCで名誉教授を招いた記念授業にて、仲間と共に。中央が古市さん

古市:西洋の大学院教育は、学問の根底にあるフィロソフィーから学び始める場合が多いのではないでしょうか。看護学においても、どのような歴史や背景のもとで発展してきたのかを理解するところから学びが始まります。

看護学の歴史は比較的浅く、その分、まだ発展の余地は大きいはずです。これから日本独自の看護理論も徐々に確立されていくと思うので、そこにも大きな魅力を感じています。

小谷さん(右)が信頼を寄せる留学先NYUの指導教授と一緒に

留学したからこそ見えてきたキャリア形成の方向性

――留学生活を通して、ご自身の考え方に変化が生まれましたか。

古市:先ほどのフィロソフィーの話にも付随しますが、看護学の歴史を改めて学び、この学問が持つ可能性を強く感じています。多職種との協働によってその可能性はさらに広がり、看護師がチームの要になり得る。その姿はまさに、笹川保健財団が掲げる「看護師が社会を変える」理念そのものだと感じるようになったんです。

留学前、地元・福井県で看護師、保健師として懸命に働く中で抱えてきた課題や葛藤も、現在の学びを通して意味づけられ、私自身が社会に対して果たすべき役割が明確になってきた気がします。

小谷:私もその理念にとても共感しています。アメリカでは、社会的弱者にかわって権利を守り、意見を表明し支援するアドボカシー(Advocacy)が重視されており、看護師も政治的に発言すべきだという姿勢が強くあります。こうした文化も吸収し、日本とアメリカで得た「看護」と「研究」というバックグラウンドを活かした看護分野への関わり方を考えていきたいと思っています。

1学期修了時の打ち上げにて、古市さん(右例真ん中)とクラスメイトの皆さん

――目指すべき将来像や目標を教えてください。

小谷:私は教授になるために博士号を取得したいのではありません。留学を含め培ってきた知識や経験を、患者や看護師の声を社会に届けるための力として活かしたいという想いが原点で、それは今も変わっていません。

フェローとしての具体的な将来像は模索中ですが、将来的には、患者や看護師の代弁者となり、かねてから課題と感じてきた組織改善や予防医療の分野に還元していきたいです。

古市:私はやはり、これまでお世話になってきた地元(福井県)や、育てていただいた多くの方々に、どのように恩返しできるかを常に考えています。現場のニーズをくみ取り、研究を通して見えてきた課題を可視化し、言葉として社会に伝えていくことが自分にできる役割になると思います。

保健師も高齢化や健康課題の増加・複雑化により、人数の不足に直面しています。そうした中で、次世代にしっかり知見をつないでいきたいと考えています。

休日に、ルームメイトと一緒にニューヨークのガバナーズ島へおでかけ中の小谷さん(左端)

――最後に、大学院留学を考えている看護師の方に向けて、お二人からエールをお願いします。

古市:喜多会長がよく「人間関係は廃れない」とおっしゃっていますが、まさにその通りだと思います。フェロープログラムを通して素晴らしい仲間と出会い、仲間の存在は大きな希望と前に進む力を与えてくれます。ぜひ皆さんも、ご自身の志を実現するために挑戦してほしいです。

小谷:私はこれまで決して成績が良いほうではなく、論文の実績もなければ、海外大学とのコネクションもありませんでした。それでもフェロープログラムに挑戦し、さまざまな経験を積んで、得るものが大きかったからこそ、留学という次の一歩につながったのだと思います。実績がなくても諦めずに取り組めば、道は必ず拓けるはずです。

Sasakawa看護フェローの同期ということもあり仲の良いお二人

編集後記

医療従事者と患者の一対一のケアでは解決しきれない医療の課題に向き合い、患者個人の努力に委ねられてきた構造そのものに目を向ける。そこに挑み続け、重ねてきたお二人の学びは、日本の医療現場に変化をもたらす大きな原動力になるのではないでしょうか。

「看護師が社会を変える」――理念をまさに体現しようとしている古市さん、小谷さんの活躍に今後も注目していきたいと思います。

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撮影:永西永実

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