チェルノブイリ医療協力事業-ベラルーシでの活動
1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故によって放射能汚染の影響を受けた地域の住民に対する検診活動の一環として、1991年から2001年まで、放射線の影響を受けやすい児童を中心に約10万人の子どもたちの検診を行いました。
ベラルーシは風向きの関係で、チェルノブイリ原子力発電所での事故の放射能汚染を最も広範に受けたと言われ、その中でも特に汚染のひどいゴメリ州およびモギリョフ州を対象に、ゴメリ市とモギリョフ市の病院に検診センターを立ち上げ、モギリョフセンターでは5年間、ゴメリセンターでは7年間検診活動を続けました。
5年間の検診活動で、ウクライナやロシアを含めた5地域のうちゴメリ地域で児童に甲状腺がんの発症が多くみられたことから、ゴメリではさらに2年間検診を続けることにしました。
またモギリョフセンターは、5地域で検診を実施した5つの検診センターのデータ処理、環境の放射線汚染測定などに力を発揮し、5センターの中心的役割を演じました。モギリョフセンターにはデータ処理用のコンピューターやソフトウェアも供与しました。
5年間各センター所在地でシンポジウムを開き、第1回は1992年にモギリョフで、1995年にゴメリで開催しました。これとは別に、ベラルーシでチェルノブイリの支援活動をしている海外の団体は数多く、その調整を図るためにベラルーシ政府を支援し、1997年に調整会議をミンスクで開催しています。
期間 | 1991~2001年 |
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ゴメリで検診をした児童数 1991~1996年 1998~2000年 |
30,732人 39,286人 |
モギリョフで検診をした児童数 1991~1996年 |
29,212人 |
シンポジウムの開催 モギリョフ市 ゴメリ市 |
1992年 1995年 |
国際調整会議 ミンスク市 |
1997年 |
日本での研修・視察に招請した人数 1991~2001年 |
36名 |
旧ソ連国内での研修 1991~2001年 |
34名 |